この国は俺たちを捨てた……掃き捨てた。
貧困に喘ぎ苦しむ人々を知りながら……その目で見ておきながら……見捨てた。
自分たちの至福――保身――欲のために……その為だけに俺たちを切り捨てた。
――西暦2027年――
それまでぎりぎりの状態で保たれていた日本経済がついに破綻した。経済の流れが完全にストップしてしまい政府の対応も蚊がさす程度の効果も得られなかった。
国民の6割以上が失業者となり、税金など誰一人払えるわけも無く公的機関もすべて成り立たなくなり。病院ではとても治療を受けることは出来ず、明日の食べ物にすらままならない日々。
そう……まるで第二次世界大戦後の日本――いや、それよりも酷い有様となってしまったのだ。
……そんな国家崩壊状態が二年近く続いたある日……それは起こった。
全国各地で突然謎の病気を発症し倒れる人が続出したのだ。病院で診て貰おうにもそんな金は何処にも無く。何より医者も何の病気なのかわからないのだ。
そうこうしているうちに病気は瞬く間に広がり国民のほぼ全員がこの病に伏せた。
この事態に対して日本政府は恐ろしいほどに迅速な対応を起こした。政府はすぐさまこの病気の正体を発見し治療薬の生成に成功したのだ。
そのニュースに日本中が歓喜した。だが、その喜びが消えるのは早かった……彼らが政府の本心を知ったのは本当にすぐだった。
政府は治療薬を政府重役や大企業の人々にのみ配布し、貧困に喘ぐ人々にはバブル全盛期の時ですら払えないような高額な代金を要求してきたのだ。
そう……国は篩いに掛けたのだ。そして俺たちを……見捨てた……。
俺たちは確実に死に近づきつつあった。子供や老人など弱いものは病に負け死に絶え、それ以外の者たちも死なないもののいまだ苦しみ続ける者は多い。
運良く体内で免疫を作り出し助かったものなど本当に一握り程だった……。
人々はすぐさま政府に押し入ろうとしたが、そんなもの遅すぎたのだ。政府は東京と大阪、そして京都……その三つの都市に巨大な壁を建てていたのだ。
着工からわずか二年……すべてはこの日のために行われていたのだ。俺たちは気付くのが遅すぎたんだ……。
篩い落とされた人々は集い必死に生に食らい続けた。病におびえながらも互いに助け合い生き続けた。壁の向こう側の人々への憎悪を籠め続けながら3年の月日を耐え続けた……
第1話 打ち鳴らすは復讐の鐘
東京からおよそ300km離れた太平洋の上。一隻の豪華客船が東京向けてゆっくりとしたペースで向かっていた。そしてその客船を睨む様に見ている青年の姿があった。
「……こちら【チャリオット】。今ターゲットを視認したぜ。このペースなら東京湾までの後半日ちょっとで到着するな……けっ!ずいぶん優雅なもんだな」
『こらぼやかない。今更そんなこと言ったって意味ないでしょう?』
悪態をつく青年に対して耳にしている無線から女性の声がそれを諌める。彼はわかっていると返事をするものの時折舌打ちに混じりで悪態をつき続ける。
『はぁ……それにしても本当に良かったの?この期に及んでこんな事を言うのもあれだけど、やっぱり今回のミッションプランは……無茶苦茶よ?』
「マジで今更だな。一体何処が不満だってんだよ?」
『全部よ、全部に決まっているでしょ。いくら海上で警備が緩くなってるって言ってもミッション難易度はダントツのAランクよ?本当ならもっと大規模な作戦になるものを……』
「何言ってるんだよ?大規模な作戦になんぞしちまったら皆の身に危険がふりかかるじゃねぇかよ」
『自分は数に入れてないのね……ホントにもう……言ってるこっちが情けないじゃない』
「気にすんな。それよかそろそろ【ヒルミット】が仕込み終える頃じゃねぇか?」
『ご明察。大当たり〜ってな。今準備は完了したぞ。ナイスタイミング俺』
唐突に二人の会話に軽い口調の男の声が割り込んできた。その声を聞いた青年は関心半分呆れ半分のため息をつく。
「相変わらず仕事が速いこった。ターゲットがまだ作戦範囲内にすらはいってねぇじゃねぇかよ」
『この程度で時間を掛けるのは間抜けと能無しだけだってな』
「そこまで言うか……まぁいっか。ちっと早いが準備が完了してんなら作戦を多少前倒しにしたって問題ないだろ?」
『もう……本当にあなた達は時間を守れないわね』
「いいじゃねぇかよ遅れるよりかよっぽどましじゃん。そーだろ【リーエス】?」
『こら、ちゃんとコードネームで呼びなさい。コードネームの意味が無いでしょうが』
「へいへい。以後気をつけますよ〜っと」
『はぁ……どーせ改めるつもりなんて毛頭無いくせに……まぁいいわ』
それまで比較的和気藹々とした会話は終了を迎える。三人はおよそ一分の間沈黙し続けた。まるで黙祷を捧げるかのように深く静かに……
『それではこれより今回のミッションの確認を行います。』
リーエスと呼ばれた女性の声が無線を通して届く。
『ヒルミット。チャリオット。両名は客船【アークリンデ号】に乗船しているターゲットの拉致。ターゲットの確保後は指定の逃走経路を使い本部への帰還。
ただし作戦時間はこれより1時間とする。これを超える場合はミッション達成の有無にかかわらず即時撤退。何か質問は?』
『ヒルミット了解』
「同じくチャリオット。了解」
『解ったわ。作戦中はこちらのサポートがないことをくれぐれも忘れないように……では、ミッション……スタート!』
その言葉と共にチャリオットと呼ばれた青年はターゲットの居る船へと走りだす。
そう……彼は船を出すわけでも泳ぐわけでもなく、海を走る。まるで大地を踏みしめているかのように力強く駆けてゆく。
「……あたりに監視はなし……っと」
あたりをやや警戒しながら船に飛び乗ると素早くターゲットの捜索に取り掛かる。通常ならば大型の客船を人一人で探すなど無理にも程があるのだが、そんな心配など何一つ必要ないのだ。
耳を澄まさずとも聞こえる笑い声。一人二人の単位ではなく数十の単位の笑い声が少し遠くから聞こえるのだ。
「あっちか……まったく解りやすくて助かるぜ」
そうして声のする方へと足を進める。このとき息を潜めてはいるが別段隠れながら移動するでもなく通路を堂々と歩いてゆく……声のする船首へと。
船首のデッキでは盛大なパーティーが催されており、各国の政治家を始めとした多くの著名人がそろいにそろっている。
「おーおーぞろぞろ居るねぇ。アメリカの国務長官。世界的大企業の社長に……おいおいおい、イギリスの皇太子まで居るじゃねぇかよ。かーっ!さすがにこりゃ想像以上じゃねぇかよ」
会場を上から覗き込みながらパーティーに参加している面々を確認していく。非公式のパーティーではあるがこれだけの大物がそろっていれば自然と警備もおかしいものだ。ここに来るまではそれらしい人影はあまりなかったが、なるほど。殆どが此処で守ってるって分けか。効率が良いやら悪いやら……
「さてさて、無駄なこと考えてねぇで仕事だな。お探しのターゲットはっと……」
再びデッキを見回すとある一点で止まった。視線の先に居たのはパーティードレスに身を包んだ十代後半程度のその少女だった。彼女はやや緊張気味な面持ちで各界の著名人と何かを話し合っている。その少女の姿を確認すると無線のマイクに向かって話し始める。
「こちらチャリオット。ヒル応答してくれ」
『はいはいこちらヒルミット。見っけたかい?』
「あぁ、お探しのものを今確認した。これからターゲットの確保に移るがお前から何か要望はあるかい?」
『あーそうだなぁ……そんじゃリオ。そこにいるお偉いさん方にちょっとしたサプライズを送るってーのはどうだ?』
「サプライズねぇ……それじゃ堂々とパーティーのど真ん中に飛び込んでみっか?」
『そりゃいいぜ!お偉いさん方の驚く顔が拝めそうだぜ。よしそれ決定。俺もすぐに見に行くぞ』
まるでビックリパーティーの打ち合わせでもしているかのような軽い会話が交わされる。そんな違和感たっぷりの襲撃の算段が組まれていく。そして……
「んじゃ……いくぜ?カウントしてくれや」
『了解。んじゃカウント10秒前……7、6、5、4、3、2、1……やっちまいな!』
ヒルミットの合図と共にチャリオットは高々と跳びあがり会場のど真ん中に跳び込んだ。周囲に居た人々は一体何が起きたのかまるでわからないまま全員が呆然とチャリオットを見る。
「お集まりの紳士淑女の皆様こんにちは。あまり回りくどくのは嫌いなので率直に……一応テロリストなので少々大人しくその辺にへたり込んどいてくださいな。」
一瞬の沈黙の後混乱が大爆発した。近くに居た人は大慌てでチャリオットから逃げるように遠ざかり、入れ替わるように黒服の男たちが素早く彼を取り囲む。
「動くな!おかしな真似をしたら即発砲する」
いきりたった黒服の男たちは全員銃を抜きいろいろな国の言葉で警告を叫びながらチャリオットを狙う。だが、当の本人はまるで意に返さないようにターゲットに視線を移す。
「おーいたいた。ちゃんと大人しくひっくり返ってんな」
彼はまるで銃など見えてないかのようにそのまま少女の方に歩き始める。それに反応して黒服の男たちは迷わず彼に発砲するのだが……
「ぐわっ」「がっ」「あ゛ぁ!」
引き金を引いた瞬間銃が爆発する。一つや二つではなく引き金を引いた銃すべてが銃身を破裂させている。銃が暴発したにしては都合が良すぎる。
「あぁ言い忘れてた。銃は使うなよ〜あぶねぇからなぁ。と言っても手遅れだったかな?」
あざ笑うかのように忠告しながらも少女にゆっくりとしたペースで歩み寄る。少女は未だ立ち上がることが出来ずそのままの格好で彼を見ている。
素早く彼女の警護をしている黒服の男が3人。銃ではなく警棒を取り出して彼に襲い掛かり始めた。
「おっとっと。そんなにあわてるなって。のんびり昼寝でもすることをお勧め」
そういいながら彼が手をひらりと払うと突然男たちが何かに躓いたかのようにその場に倒れ込んでしまう。男たちも何が起きたのかわからないまま床に激突した。
「おいおい。勧めはしたが何もこんな所で寝なくてもいいんじゃねぇか?」
クックックっと含み笑いをしながらついに少女の前にまでたどり着いた。そこに来て少女はようやく我に返ったかのように立ち上がり必死に彼との距離を取ろうとする。
「あっ貴方!自分がいったい何をやっているのかわかっているの!?テロリストなんて馬鹿な真似……」
まだ幼さの残る、澄んだ高い声で彼に問いかける。だが彼は気にもせず彼女と対峙する。
「自分が何をやっているかもわからずにやる人間なんぞこの世には居ないよ。言いたいことは山ほどあるだろうが、とりあえず今は俺と来てもらおうかね。【お姫様】」
そういって彼は少女に手を伸ばすが後ろから黒服の男たちが再び襲い掛かってきた。
「テロリストの好きにさせてたまるものかぁぁ!!」
怒号と共に襲い掛かるが後一歩と言うところで突然何かにぶつかったかのようによろめき倒れてしまう。端から見ればまるでパントマイムでもしているかのような光景である。
「残念だけどそーはいかねぇんだよなぁ。こっちもやること多いんでな。さて……ヒルミット!撤収だ!」
男たちの方を見向きもせずにそのまま少女の腕を掴み引き摺り始める。その間にも黒服は襲い掛かっているが誰一人として彼にたどり着くことが出来ない。
「放しなさい!このっ!!」
必死に抵抗するも彼の手を振り解くことは出来ない。歩みを止めようとしてもそのまま引き摺られてしまう。そして船の縁のところまで来るとそこにはもう一人の男が立っていた。
「ほいヒルミット先にこの【お姫様】を乗っけといてくれ。俺はもうちょっと後ろの奴らと遊んでるからよ」
「了解。じゃ、先行ってるぜ?」
そう言ってヒルミットは【お姫様】と呼んでいる少女に触れると次の瞬間その場から消え去った。
「っ!?お嬢様!!」
そこに居た人たちは今起きたことに目を丸くしていた。その隙を突いて彼は素早く男たちに近づいた。
「あぁ安心しなよ。遊ぶって言っても一瞬しか相手しねぇから」
彼はそれだけ言い残すと驚異的な速さで黒服の男たちを殴り倒す。宣言に違わず本当に一瞬だけ相手をするとすぐさま船に縁に立ち……
「それでは皆さんごきげんよう……あぁ最後に一つ。追っかけるのは無駄だからお勧めしないぜ?」
それだけ言い残して船から飛び降りる。
「ぐっ……まっ……まて……」
黒服の男たちは彼を追うことも出来ずに床に伏している。だが、それもほんの一時のことだった男たちは立ち上がると素早く現状の収集を始めた。
「くそっ!何たる失態……すぐに官房長官につないでくれ!お嬢様がテロリストに誘拐された!!」