一人の男が訪れたのはやや古ぼけた雑居ビルの2階にある事務所。高級感漂うビジネススーツを見事なまでに着こなした初老の男性には似つかわしくないその場所は彼にとって最後にして最も信頼できる相手の居る場所。

      『有限会社 Cry Cry』

 何とも不思議な社名を掲げた会社へ続く扉のドアノブを回しそっと開く。扉の先で見たのは雑居ビルの雰囲気に合った――ありていに言えばこれまた古臭い雰囲気を醸し出した事務所が広がっており、その一室の一番奥――窓際の席で一人の女性がパソコンとにらめっこしていた。
「あらら、これはこれはずいぶん珍しい方が……それよりもわざわざこんな小汚いところに足を運ばれなくても、連絡をいただければこちらから出向きましたのにぃ」
 男の訪問に気付いて驚いた(おっとりとした口調の所為でいまいち驚いているようには見えない)女性は席を断ち男を来客用の席へと案内する。
「そう畏まらないで欲しい。私は君の事を対等以上の相手だと思っているのだから。それに今日はかなり無理なお願いをしに来たからね。こちらから出向くのは当然というものだよ」
 男は落ちついた物腰で女性に答えを返しながら年季の入ったソファに腰掛ける。女性は男の向かいにすわ……った後でお茶を出し忘れていたことに気づき慌てて立ちあがってお茶の準備をする。男は「お構いなく」というがその辺は社交辞令。お茶を出して改めて椅子に座る。
「すみません。今日は皆で払ってるのすっかり忘れていつもの調子で……」
「はっはっは、君らしくて良いと思うよ。私は」
 たわいない話を交わしながらお茶に口を着けて一拍置く。先ほどまでの明るい雰囲気から一転、緊迫した空気が張り詰める。
「さて、そろそろ本題にいたしましょうか。わざわざこんなところまで出向いてきたのですから当然、依頼内容は【本業】の方……っで間違いないでしょうか?」
 この有限会社Cry Cryは『表向き』は便利屋、何でも屋として活動していて夜間清掃から蜂の巣駆除まで依頼されればなんでも引き受ける……が、それは『表向き』でありあくまで『副業』。
「あぁ今日の頼みは、他でもない私の――」

「――なるほど……事情は解りました。その依頼、当社が責任を持ってお引き受けいたします」
 事情を説明した後、男の予想とは裏腹に二つ返事でOKが出たことに驚きを隠せず「本当に良いのか?」と言いだした本人が問い返すはめになった。
「確かにこの案件……普通に考えれば余り首を突っ込むべきではないでしょう。しかし、見て見ぬふりは出来ないモノです」
「おぉそうか……ありがとう、ありがとう」
 男が深々と頭を下げるのをあたふたと止めつつも――この依頼は、思いの外私たちにも深く関わってくる案件だろう――そんなことを考えてこの依頼を押しつけ……もとい任せる子に想いを馳せる。
第1話 密かに守るだけの簡単なお仕事です
「ようやく一人で仕事させてくれるって話だから喜んで飛びついてみたら、ボスから直接降りた仕事だし、依頼内容ちゃんと教えてくれないし、ってか高校とか……」
 真新しい制服に違和感を覚えながら小高い丘の上に立つ校舎を目指して愚痴を零しながらも行くのをやめると言う選択肢は彼にはなかった。
 有限会社Cry Cryの契約社員(というかアルバイト扱い)である響介は社長直々の仕事に何一つ疑うことなく飛びついてしまった。内容は「指定された対象の護衛。ただし誰にもバレちゃだめだよ〜」とだけ。詳しい内容を問いただしてものらりくらりとはぐらかして、(物理的に)全力で聞きだそうとしてようやく「詳細は護衛対象と護衛場所を一度見た後にね♪」と返り討ちにあいながら聞き出せたのがこれだけ。言いたいことは山ほどあるけれど迂闊に飛びついた自分が悪いとぐぅの音も出ない指摘をされて、今こうしてしぶしぶながらかなしくも初の一人仕事へと向かっているのだ。
「後で教えるで、結局渡されたのがこれだけってのもとてつもなく釈然としない……」
 おもむろにポケットから出したのは一枚の写真と生徒手帳。写真には護衛対象である一人の少女が写っている。名前は御巫 叶(みかなぎ かなえ)、今目指している私立煉武学園の一年生……というか昨日が入学式だったのだ。
 それに対して自分は水無月 響介(みなづき きょうすけ)その翌日に転校生としてか入るとか目立ち過ぎる演出で隠密何それ状態なわけだが……

「ん……なっ……!?」
 学園に付いた瞬間、自分よりも圧倒的に――目を疑いたくなるほど目立つ光景が広がっていた。

 あるものは手から炎を、あるモノは分厚い鉄の板を素手でスパッと、またある者は空を鳥にでもなったかのように縦横無尽に飛び回る。何とも現実から駆けなはれた光景が平然と広がっていた。
 だが、それを見た瞬間疑問の大多数が解決してしまった。ここはつまり――
「待っていたよ。さぁ、話はこっちで」
 グラウンドを呆然と見ていた響介に初老の男性が越えを掛けて来た。振り向けばそこには初老の男性――学園の理事長がそこにいた。理事長は響介の返事も待たずにスタスタと歩き始めたので足早に後を追う。

「さてと……よく来てくれた水無月響介君。話はどれくらい聞いているのかな?」
「最低限の情報だけです。御巫理事長」
 最低限……とは言うものの、いくつか解ったこともある。護衛対象の祖父にしてこの依頼のクライアントである御巫理事長を前にしてやっとCry Cryに――響介のもとにこの依頼が来た理由が分かった。社で最年少にして同年代である事、そして何よりも『自分と同じ異能力者』があんなに堂々と異能を使いまくる学園での護衛となれば
「まったく、彼女らしいな……依頼内容は改めて君から彼女に問い質すといいだろう。とりあえず私から言えるのは……ようこそ、煉武学園へ。孫の事……よろしく頼むよ」
 そうして異能者ばかりが集うこの学園での生活が始まる。あと、後でボスにクレーム出さないといけない……この先不安しか見えないが、やるからには全力で……だ。
byハガル・ニイド