一瞬にも永遠にも感じられた長い長い沈黙は、竜の放った言の葉によって破られた。
「少年よ、何を望む?」
その威厳に満ちた声は、眼前の少年を更なる沈黙の牢獄へと導き、尚余りあるものに感じられた。それほどに重い『何か』が含まれていたのだ。この『何か』は、この竜が生きてきた歳月から来るものなのか、『竜族』という種族の格差から来るものなのか。おそらく両方であろう。どちらが欠けてもありえない響きである。
「あなたとの主従関係です」
邪悪に口を歪ませて、静かに、はっきりと、少年は『沈黙の牢獄』に入ることなく、言い放った。その両手はいつの間にか、制服のズボンのポケットに入っている。
これにはさすがの竜も、表情には出さなかったが、驚いた。少年の答えにではなく、ありとあらゆる生きとし生けるものの頂点に君臨する『竜族』を眼前にしてのとは到底思えない、その態度にだ。
「何故だ?」
この無礼千万な少年に対し、少し興味を抱いた竜王は問うた。
もちろん少年がとっている態度についてではない。彼が言った答えについてだ。
暫しの沈黙の後、少年は口を開き、語りはじめた。それは、神父に懺悔するようにどこか淡々としていたが、今日あった出来事を親に話すように聴いてもらえることが嬉しいようでもあった。
2、少年の抱える『狂気』
竜は黄金と赤い生地、そしてルビーに彩られた玉座に腰掛け、少年は
夏仕様の制服―半袖のカッターシャツに通気性の良い薄手の長ズボン―に身を包み、佇んでいた。その両手は相変わらず制服のポケット
に入れられたままだったが、この玉座の間の主は、もうそんなことは
気にしていなかった。
竜は少年が語り終わっても黙っていた。彼の目を見据え、見透かすよ
うにして何かを掴もうとしていたのだ。
「・・いま述べたことが理由です。十分でしょう?」
竜の反応を見守っていた少年だったが、何の反応も返ってこないこと
に不安を感じ、一言付け加えた。
再び二人の間に長い沈黙が横たわる。今度の沈黙は、少年にはジリジ
リと長く感じ、竜には一息置くぐらいに短く感じた。
沈黙を破ったのは、やはり竜であった。
「少年よ、そなたは本当に
静かにゆっくりと、竜は言葉を紡いだ。
「そうです」
少年は一瞬、何を言われたのかわからないようだったが、即答した。
3、玉座の竜に『できること』
竜はしばらくの間考えを巡らせ、その間少年は、今しがた竜がやっていたように彼の目を見据えていた。
やがて竜は重い口を開き、少年に静かに語り掛け始めた。
「少年よ、ワシがそなたの望みを叶えるのはたやすい。しかし、そなたは未だ若い。経験、周囲の人間関係、物事を見定める力、考え方、善悪の区別、全てまだ未熟だ。悪いがいまのそなたの意思に従い、人類を滅ぼすことはできん。だが、そなたが成長し、物事を確りとみることができるようになったら、もう一度、ここへ参られよ。そのときは力になろう。」
三度の沈黙が続く中、少年は小刻みに震えていた。やがて押し殺したように彼は呟いた。いや、『呟いた』というのは語弊があるかもしれない。独白といった方が正しいだろう。
「ボクは、ぼ、僕は、説教を受けにここまできたわけじゃない」
何かを訴えるように語気が荒くなる。
「そんな、そんなことは今まで散々、嫌というほど聞いてきたんだ!」
「落ち着け、少年よ」
少年を落ち着けようと、竜は静かに言葉を掛ける。しかし、彼の心には届かない。
「こ、こんなことのためにここまで来たんじゃない・・・。ここに、あなたのところに来れば、願いを、望みを叶えてくれるというから・・
だから・・・。」
放心したように崩れ落ち、膝を地面につける少年。それを黙って見守る玉座の竜。
「そなたには、これからを生きる『力』、そして未来が必要だ・・・。少年よ、そう悲観することはない。たしかにそなたの望みである『人類の絶滅』は今は叶えられんし、今ワシは月並みの説教をしただけだったかもしれん。しかしだな少年よ、他の選択―可能性がなくなったわけではない。可能性は無限なのだ。言い変えれば、それ以外の願いは叶えられるということだな。これから日々の生活にもどったときに必要なものを考えてみよ。それくらいは与えてやれる。」
そう竜が優しく少年に語りかけると、少年の心にすこしづつ光―希望があふれてきた。それと同時に一瞬、少年の口が邪悪に歪んだ。
4、『終わり』の扉
「じゃあ、じゃあ、『あなた』を。『あなた』を友人として僕にください。それが僕の望みです」
キラキラと輝く目で目の前の竜を見つめながら、少年は言った。
「フッ」
少年の一瞬歪んだ口もとを見逃さなかった竜は不敵に笑い、言い放った。
「いいだろう」
二人は玉座を離れ、部屋を横切り、銀色の重厚な扉の前に来ていた。
扉を開き、少年の背中を押しながら竜は表情を隠し、言った。
「本当に行き詰まって、どうしようもなくなったときには、再び『ここ』に来い。いまのそなたには、まだ『竜』は早い。」
「え?」
その瞬間、少年は扉の向こうの光に包まれ、消えていった。