僕は傍観者だ。
いつもの口調で参考書を手に取り、教壇に立つ教師。それを聞いているのかいないのか、黒板に書かれた授業内容を無心に写し続ける生徒。そんな退屈な光景に飽きてしまい、睡眠を取る生徒や隠れて携帯で遊ぶ生徒。
変わらない日常風景。その中、僕は一点だけを眺めていた。
そこにいるのは一人の少女。つり上がった眉に、ムっとしたヘの字口。世界から色を失くした様な真っ白な長い髪は、少女の特徴を示すのに十分だ。
彼女は、一ヶ月前にこのクラスへと転入してきた。外国人とのハーフで帰国子女という彼女が、クラスメイトの話題の種になるのは誰もが予見出来たが、唯一想定外だったのは彼女自身の性格だった。
何を話しても彼女は笑う事はなく、一言でしか返さない。どこから来たのか、という問いに対しても「あなたには関係ありません」と一言で断絶。クールビューティーなどと言えば聞こえはいいが、会話をバッサリと切ってしまうのだ。成績も悪くなく、運動も出来ないわけじゃなかったが、彼女が孤立するのにそれ以外の理由は要らなかった。
イジメを受けているわけでもなく、嫌がらせもされていない。ただ彼女は孤立した。それ自体を彼女自身が望んでいるかの様に。
そんな彼女がどういうわけか、今日に限っては何か様子がおかしい。具体的に何が、と問われると困るが、何故か僕にはそれが断言出来た。
そう思っている矢先、彼女が静かに手を上げた。
「先生」
クラスの視線が一瞬にして彼女へと集まる。今まで自分から何か行動する事の無かった少女が、この静かな授業中に何を言おうとしているのか。その場にいた者は皆、どこか緊張して息を飲んだ。
「…お、おう、どうした?」
「少し気分が悪いので、保健室へ行ってきます」
そう告げるがいなや彼女は立ち上がり、教師の返事を待たずに教室を出て行った。残るは沈黙の世界となった教室。ゴホンと、軽く咳払いをして授業を再開する教師。再び生徒達はペンを持ち作業に取り掛かった。
当然の如く、彼女の事が気に掛かった僕は教室を後にした。
保健室に行くと言ってはいたが、彼女が階段の上へと昇って行ったのを僕は見ていた。この学園の保健室は一階にあり、彼女の教室は四階だ。そして、四階の上には屋上しか存在しない。
後を追う様にして屋上へと上がると、普段閉まっているであろう扉が何故か開いていた。だが肝心の彼女が見当たらない。そこに広がるのは、殺風景の広がる屋上の姿だった。
彼女はどこに消えたのか? 僕は困惑したが、答えはすぐに見つかった。
彼女は始めからそこにいた。ただ、屋上から更に何メートルも上に。分かりやすく言えば、彼女はどういうわけか宙に浮いているのだ。
こちらに背を向けながら、まるで十字架に張り付けられたかの様に両腕を広げ、目を閉じながら何かボソボソと呟いている。
見てはいけないものを見てしまった気がした。だが、その奇妙で謎に満ち満ちている光景を、何故か僕は美しいと感じた。一瞬の出来事だったか、それとも数分の出来事だったのか。時も忘れ、しばらく見入ってしまっていた。
「…誰かいますね?」
彼女の声にハッと我に返ったが、もう遅い。すでに空の上から、凍る様な視線がこちらを見ていた。ゆっくりと屋上へ降り立つと、無表情で僕の前へとやってきた。
「あなた、『交信』見ましたね」
交信? 何の事だかさっぱりだ。僕は言葉を返す事も無く、彼女を見つめ続けた。
彼女は少し思案する表情を見せたが、何か答えを見つけたのか、再び無表情で僕へと向き直る。
「本来は処罰対象です。でも、あなたは対象外」
淡々と発せられた処罰という言葉にゾクリとしながらも、事の顛末を静かに僕は見守る。
「要観察対象として、捕獲します」
そう言うと、僕は一瞬にしてその右手に収められた。人間離れしたその素早い動きに、僕は逃げる暇も無く、いとも簡単に捕まってしまったのだ。
これから僕はどうなるのか。不安と好奇心で胸が渦巻く中、渦中の中心である少女は表情を変える事の無いまま、僕へと語りかける。
「これからよろしく、小鳥さん」
これは傍観者である僕が彼女の元で過ごした、一ヶ月の奇妙な物語である。
第一話 少女と傍観者
by絶望君