目が覚めたケンジは、起き上がって周りを見渡す。
自分の着ている服も、気絶する前に来ていた服ではなく入院患者が着るような、簡素なパジャマに代わっていた。
と、入り口のドアが開き、白衣の男が入ってくる。
「おお、起きたかい?」
不意に声を掛けられ、体がすくむケンジ。
「すまないノックを忘れていたね。私はここの院長だよ」
脅かしてすまない、と院長を名乗った男はばつの悪そうに頭を掻く。
「ああそうだ、君の服は血やら泥やらで汚れていたから勝手に着替えさせてもらったよ」
そういえば、ホルダーがあの天使に両断されたとき、近くに居た自分にも血飛沫が飛んできていたなと思い出す。
 「まあ飲みなさい。只の白湯だが、少しは落ち着くよ」
 院長は手に持っていた湯飲みを差し出す。
 差し出された湯飲みをケンジは受け取り、手のひらで湯の温かみを感じる。
とりあえず、聞きたいことは色々ある。
何故自分がここに居るのか。
あの後トシオやチヅルがどうなったか。
そして、自分の身に何が起こっているか。
ケンジは差し出された白湯を口に含みつつ、少しずつ話し始めた。
第六話 動き始める者達
「ここは私が個人で開いている病院だよ。病院と名乗るには少々手狭だが、まあ一通りの手当てはできる」
 院長は気さくそうにケンジに話す。
「しかしホルダーの抗争も激しいものになってきたなあ」
 窓の外を見やり、遠くを見るような目で院長はぼやく。
 話を聞くと、ここの病院にもホルダー関係の事件に巻き込まれて担ぎ込まれるという患者も多いとの事である。
「声がどうのこうのというのは、只の夢じゃないかな?不安になると、つい悪い考えに流され気味になるというからね」
なるほどとケンジは思う。しかし、あの時の会話は妙にリアルだった。
空想で片付けるには、なにか違和感がある。しかし、今のケンジにはその違和感の正体など知りようがない。
「後はトシオ君とチヅルさんだったか。彼らは一足先に帰って貰ったよ。君の体に異常がないか検査があるからね」
「どういう事ですか?」
「うむ。大事が無いか、少し検査するだけだからね」
「……入院ですか?」
渋い顔をするケンジ。
なにしろ、政府の支援があるとはいえ基本は貧乏な学生。
 あまり経済的な余裕が無く、入院費用がどれだけかかるかとケンジは恐る恐る聞いてみる。
「なに、気にする事はないさ。こんな世の中だからこそ医者が助けにならないとね」
わははと軽く笑い飛ばし、院長は立ち上がる。
 「用意に少し時間が掛かるから、一眠りするといいよ」
 そういい残し、院長は部屋を後にする。
 言われてみれば、確かに眠い。まだ疲れが残っているのだろうと思い、ケンジはベッドに横になる。
 間もなく、ケンジは深い眠りについた。

ケンジが眠りについたのを見計らい、院長は電話を取り出し慣れた手つきでボタンを押す。
僅かなコール音の後、相手が電話に出たのを確認し、話を始める。
「私です。例の子供ですが、やはり『キャリア』ですね」
『そうか。感染ルートは?』
「逃げ出す直前にホルダーの血液を浴びたらしくて、そこからの感染のようです」
『やはり条件が合えば体液からの感染も可能か。それで、その子は?』
「今は薬で眠らせています。数日は眠ったままでしょうから、回収の程願います」
『承知した、明日には向かわせよう』
「では、回収と工作はお願いします。こんな世の中でも、人一人を居なかった事にするには大変ですからね」

 「姐さん、例の目撃者は壁の外に送られるみたいっス。」
 「グッジョブポチャ男。あの男の子、どうやら『キャリア』みたいだし捕まえりゃいい戦力になるかも」
 ポチャ男、と呼ばれた小太りの少年は目の前のモニターに出力された情報を見ながらぼやく。
ユナ・サイクニルとポチャ男は『九龍』のアジトの一室に居る。
薄暗い部屋の中、ポチャ男の周りは複数のモニターと配線、ハードディスク等に埋め尽くされており、モニターには、ケンジを診察した院長の情報が所狭しと並べられていて、先程の電話の相手の電話番号や住所、果ては会話までもが文章化されて表示されていた。
しかし、奇妙なことに彼の周りにはキーボードに当たる機材が一切無く、モニターだけがせわしなく動いている。
「男の子って……その人って姐さんと齢同じくらいじゃ…痛い!痛いっス!」
余計なこと言うな、と言わんばかりにユナの両手がポチャ男のこめかみをぐりぐり抉る。痛みに耐えかね、たまらず机をタップし降参の意を伝える。
「ポチャ男くーん、細かいことは気にしないの。OK?」
「OKっス……でもこんな情報、意味あるんスか?」
「ぶっちゃけあんまりないんだけどね。でも、興味はあるんだ」
ユナはモニターに表示されたケンジのデータを見ながら話し続ける。
「アタシ達の戦力は、アタシ達8人のホルダーとまだまだ未発達なその他大勢。『天使』と戦うのにも、優秀なホルダーは多いに越したことはないしね」
今までの軽い調子ではなく、少し陰気な面持ちでぽつりと呟くユナ。キャラじゃないなとユナは思い、改めていつもの調子で話を続ける。
「にしても、あんたの能力ってえらく便利なのねー。無茶フリと思ったけどこちらのリクエストにしっかり答えてくれるし」
「僕の電子の精霊(エクトプラズマ)は、ネットワーク経由で必要な情報を望む形で出力させるってだけですから、姐さんの言うような便利な能力じゃないですよ……と、印刷OKっス」
照れくさそうに頭を掻き、ポチャ男はモニター脇のプリンタから印刷された資料をユナに渡す。
「謙遜謙遜。あんた、少しは自信を持ちなさいよ!」
ばしん、とポチャ男の張った背中を思い切り叩き、ユナは印刷された資料を手にし暗い部屋を後にする。
「まったく、姐さんには敵わないっスねぇ」
勢いよく出て行ったユナを見送り、ポチャ男はぽつりと漏らすのであった。

「うーす、レオー!」
レオの私室の扉を蹴り破るユナ。
それを見たレオは面倒くさそうに壊れたドアを一瞥し、冷静に怒る。
「お前これで何度目だ?何回ドアを蹴り壊すなと言った?何故普通に開けないこの阿呆!」
「痛い痛い痛いごめんなさいー!」
ユナは瞬間でレオに背後を取られ、先程ポチャ男にしたのと同じようにこめかみをぐりぐり抉られる。
レオの気が済むまで悶絶させられ、床に沈むユナ。
それを尻目に彼女が持ち込んだ書類をレオは拾い、目を通す。
「新しい『キャリア』か」
「そうなのよ、明日にはもうあいつらに回収されるみたいだから、今のうちにスカウトした方がいいかなってさ」
「確かにな」
「だけどあのフロウって女をのしているから、回収する部隊に『天使』が護衛にいる可能性があるのよね」
「最悪、『天使』との戦いも考えないと不味いか」
あの時はフロウ一人だったが、今度は更に強力な『天使』が出張ってくる事もありえる。ならば、こちらも相応の戦力を当てよう、とレオは考える。
「よし、ムスペルとガルムを連れて行け。あの二人なら十分だろう」
二人の名前を聞いたとたん、ユナは不満そうな顔をする。
「マジでー…?正直ガル君苦手なのよね、あの能力」
「知るか馬鹿。我侭言うなら更にお仕置きだ」
「ぐぬぬ、だけどお仕置きっていやらしいのならああああ―――――!」
余計な冗談を言う前に、全力でユナの尻を蹴り上げるレオ。
恍惚な表情で痙攣しているユナを完全に無視し、レオは連絡用の端末を起動する。
「ガルム、ムスペル。仕事の時間だ」

「月山ケンジ、か」
壁の向こう側。
新しく構築し直された日本の首都、新東京のとある施設。
新たな『キャリア』を捕まえたという報告書を眺め、その女は呟いた。
黄金の髪を靡かせ、背後に待機する男に話しかける。
「ガブリエル。貴様と苗字が同じなようだが弟か何かか?」
「知らん」
ガブリエル、と呼ばれた青年は一言だけ言うと、また黙る。
「まあいい、力がある。それだけで十分だ」
「すぐに回収班を向かわせよう。例の『九龍』の件もある」
「下らないな。そういえばガブリエル、貴様の部下が重傷で帰還したとの事だがどうなのだ?」
「今はラファエルの治療を受けている。間もなく復帰は出来ようが、まあ差し向けた所で返り討ちに会うだろう」
「ならば念は押しておこうか。ウリエルを同行させる」
ウリエル、という名前を聞いたガブリエルは一瞬動きを止める。
「本気か、ミカエル」
ガブリエルは確認するように、目の前の女に尋ねる。
「本気だとも」
「あれは危険すぎる。『九龍』の駆除は簡単だろうが、最悪壁の中は今度こそ壊滅するぞ」
「ガブリエル、忘れたか」
金髪の女、ミカエルは当然のように言う。
「秩序を乱す者は残らず消す。それが、我々『天使』の役割だ」
byキング