第二十一話 その男、現る。

「っと…。」

屋上の手すりの上に降り立つ少女。その横に従者のように浮かぶ蒼い竜。
結局教室にはいなかった先輩を求めて、最後に立ち寄った屋上。
もしかしてと思いのぼってきたが、やはり収穫はないようだ。

「こんばんは、お嬢さん。お探し物ですか?」

そこへ、男が声をかける。
ダークスーツに、肩まである黒髪を後ろで束ねている。スーツを着ていながら、かなりラフで柔らかい印象を受ける。歳は三十代半ばといったところか、白い歯が月光を受けて輝く。

 このひと…。

少女には、目の前の人物が善人か悪人かの判断はつかなかった。だが、同時に敵意も感じることはなかった。少女は先の事件以来、なるべくなら一人で出歩かないこと、危険だと感じるひとやモノには近づかないこと、と、自分を救出してくれた先輩から言われていた。そうした先輩の言葉や、自分の中の基準と照らし合わせた結果、少なくとも、自分に害をなす存在ではないと判断したのだ。正直少女は、会うたび常に怒声か鉄球を振り回している先輩の方が、自分にとっては何百倍も危険だと感じている。そんないつ襲ってくるやもしれない日常よりは、目の前の出会いは、それはとても優しいものに思えた。

「いえ、ひとを探していたんです。」
「おやおや、そうでしたか。」

笑みを絶やさず近づいてくる男。そのあまりの自然な動作に、少女は近づかれたことに気づかない。

「私もね、ひとを探しているんですよ。」

少し休憩ですと言って、少女を見上げるかたちで手すりに身体を預ける。ハッとなにかに気づき顔を赤くした少女は、制服のスカートを抑えながら俯きかげんで手すりを降りる。それに習ってふわふわと宙を漂う竜。

「綺麗な(ドラゴン)ですね。」

男は夕焼けに染まった雲から、彼女の横へと舞い降りた青い従者へと視線を移す。男の言葉に少し驚いた様子の少女だったが、魔具である従者を隠すことも忘れ、すぐに男へと顔を向ける。

「私のところにも、赤いのがいましてね。少々大きいのですが、これがかわいいんですよ。最近では食費を稼ぐのが大変ですけど。」

苦笑して、親馬鹿ですねと付け加える。
少女も同調してはにかむ。

「申し遅れましたが、私、ラグド=チェーン・リーといいます」
「ぁ、わたしは、」

おもむろに少女へと向き直り、手を差し出す男。それにつられ、少女も慌てて手を伸ばし、自己紹介をする。



が、それが果たされることはない。
突如切り裂かれた空から、突風が吹き込み二人の間に割って入る。
突風は少女を抱え、跳ねるようにして男と距離をとった。

「おやおや。」

そこには肩で息をしながらも、少女を傍らに、刃の切っ先を男へと向ける少年がいた。対して男は髪一つ乱れていない。

「…先輩」

必死に呼吸を整えようとしている少年―トウヤ。その表情を見、驚くより先に少女―リンは、悟った。自分は、ここに来てはいけなかったのだと。突然目の前の交流から引き離されたことより先に。自分はまた守られたのだと自覚するより先に。その実に苦々しい表情をみて。少女は、己の過ちを悟っていた。

いまの一撃で、青龍棟全体を覆っていた結界は消し飛んだ。いくら放課後とはいえ、ひとがくるのも時間の問題だろう。トウヤはリンに、こちらに向かっているマキノとタケシを連れてくるように伝える。なにかを言い出そうと迷う素振りをみせたリンだったが、一呼吸おいてわかりましたと頷くと、レヴァを伴って屋上から転位した。

彼―トウヤにとってそれは苦渋の決断だった。
敵の気配を感じとるや学生寮から飛び出し韋駄天、屋上にその姿を認めると地を蹴った。手にした木刀が身体能力を限界まで高め、その身体を上空の遥か高みへ飛翔させる。そして木刀を一旦収め、魔具による迎撃に備え、草薙刀を正面に構える。何かの手応えがあった。と同時に、迷わず草薙刀から木刀へ切り換える。そして眼下、敵の脳天に渾身の一撃を…。
ここまでは完璧だった。
しかし、敵の正面には見知った人影。
先日助けた少女。脳内で記憶が再生される。


構わず叩くか

   敵の手が少女に伸びる。

彼女を守るか

   少女も手を伸ばす気配。

一旦退くか

   距離が縮む。

いましかない

   敵が迫る。

いましか…


そして、彼は決断を下した。
眼前の敵を葬り去る、その千載一遇の好機を捨て去り、彼は少女を抱え、敵と再び距離をとったのだった。

「大変身勝手なお話なのですが、状況が変わりました。一時休戦といきましょう。いまよりあなた方との戦闘行為を中断します。停戦協定です。」
「…」

トウヤ応えない。相手の様子を窺い、その言動の真意を探るため思考を重ねる。

「…聞いておられるのでしょう、春夏秋冬殿?」

なぜこの場においてその名が発せられたのか、トウヤはわからなかった。正確にいえば、確かにその言葉は鼓膜を震わせ、音としては脳に伝わっていた。しかしその意味を脳が理解するまでには至らなかったのだ。

『ふんっ…』

すると、あたまの中で鼻をならす音。あの全てを見透かしたような、不敵なイメージが浮かぶ。

隠者(ヒルミット)か…。

その場にいながらにして、世界の全ての事象を観測・干渉できる。隠者の名を冠する魔具。物理的な干渉こそできないが、任意の場所に幻影を投影するほか、相手に自身の思考を送ることができる。使い方次第で、ある意味世界制服に一番近い代物といえる。

「ここにいらしたのですかマスター。」

そのとき、空からバサバサと一羽の鴉。

「もう少しご自分の立場を自覚してください。マスターにもしものことがあれば、私は失職してしまいます。」
「悪い悪い。あとで焼き鳥おごるから。」

「そういう問題ではありませんっ。」
リーの肩にとまり、勝手にほっつき歩いていた主人を責めている。しかし叱責を受けた当人はあまり反省の色をみせず、軽い調子で返している。
一方、人語を介す突然の珍客にも、まったく動じない少年と隠者。日頃の特異な環境が、彼らから驚きや感動を奪っているのだとしたら、なんとも悲しい話である。

「っと。話を遮ってはいけないよミヤちゃん。」

失礼、とリー。話を遮ったことを謝罪し、話を続ける。

「我々は武器商人です。然るべきときに然るべきひとへと、ご要望の品をお届けするのが仕事。本来なら、魔具を回収、自前のラインで改良や量産を行い、それを魔王の復活に合わせるかたちで、納品。未曾有の事態に備える賢人たちを支援してゆく予定でした。」

ここで一呼吸おく。自らの主張がどう伝わっているか、聴衆を観察し、反応を窺う。

「我々も辛い立場です。世界規模の危機に対応しようというのに、中には我々、しいては一部の勢力が力を持ち過ぎると、弾劾し、圧力をかけてきています。」
内輪で争っている場合じゃないんですけどね、とリーはわざとおどけてみせる。これではどちらが敵かわからないと。

「真に戦うべきは、誰か。大局を見失わなかった者だけが、それに対することができます。」

真っすぐ、ただただ真摯に、相手へ視線を投げかける。その相手も片方は姿が見えないが、そんなことは関係ない。自身がとる姿勢や雰囲気が、相手に訴えを届けるのだ。所詮言語など、相手に影響を与える要因の数%に過ぎない。
自らがいままで行ってきたことを帳消しにはできない。それでも相手を納得させ、少しでも信用してもらう。場合よっては手を組まねばならないこともあるだろう。そんなとき、相手に受け入れてもらうにはどうすればよいか。商会の長、リー自身が出てきたこともそんな状況で誠意をみせる手段である。ともあれ、相手を説得したら勝ちなのだ。

「我々の予測では約七日後、魔王は復活します。」

そして告げられる事実。
春夏秋冬は相変わらず沈黙しているが、これにはさすがにトウヤも相手の様子を窺う余裕などない。思わず驚いた衝撃が顔に出る。

「事は一刻を争います。というわけで、あなた方に全面的に協力します。」
世界が滅んだら、武器は売れませんからね。と、やや強引にまとめに入るリー。驚嘆をあらわにしている少年には悪いと思いつつも、時間がないのも事実である。

…恐ろしいひとだ

実のところ、リーは望んで自ら足を運び、休戦を申し出に来たわけではない。そうせざるを得ないよう、仕向けられたのだ。当初、リーも魔王が復活する事実までは掴んでいた。そこにおいて魔具が主力になることもだ。しかし、その情報を得た時点で、既に大半の魔具は春夏秋冬の手によって収集されていた。しかし、それもなんということはない。復活といってもあくまで数年後の話。後々わずらわしくなるであろう勢力を排除して、それから事を成就させればいいだけのことである。魔王の復活に合わせるかたちで、魔具を回収、自前のラインで改良や量産を行い、首尾よくいけば、魔王復活に際してデータやサンプルを採取、さらなる研究開発へつなげてゆく。計画は順調に思えた。
が、それはついさきほどまでの話である。
リー自身、観測部隊からの緊急連絡を受けるまでは、ホテルでゆったりとくつろいでいた。まさに寝耳に水。さすがに一組織のトップといえど、数年後だった予測が突然七日後になったと聞かされれば驚きもする。口にした烏龍茶を吹き出さなかっただけ僥倖といえよう。だがそこからのリーの決断は早かった。余裕のあるように振舞ってはいるが、リンが屋上に着くのと、リーが学園内に侵入したのはほぼ同時であり、それは途中作戦中の部隊に連絡を入れつつ叩き出された驚異的なタイムだった。
こうして、流れは完全に春夏秋冬に傾く。
唯一のオリジナルである血の十字架(クロスブラッド)を発動させることによって、自ら魔王の復活する時期を早めてみせる。そうすることによって、春夏秋冬は、見事リーらラグド商会を一時的にしろ味方につけてみせたのだ。

「っと…。」

そこに、タケシらを伴ってリンが帰ってきた。なぜか手すりの上に着地するのがクセらしい。バランスを取ろうと呟きがもれる。一方、夕飯を前にして強制的に呼び出されたマキノ様は相当ご機嫌斜めらしく、タケシの頭にカジりついている。晩餐に合掌である。

ギィ…

不気味な音に、リー以外の全員がその場で振り返る。そこには涼しい顔をしたユイ。錆びついた屋上の扉を押しのけ、皆と合流する。

「皆さんはじめまして、私は…

皆が揃ったところでリーが口を開き、再び自己紹介と演説が開始される。
それぞれの事情を抱えた戦士たちが、ひとつの目的をもった義勇軍として結束してゆくのであった。
あとがき
発想を実行する強引さと無謀さをもって、物語は次のステージへ。
時間をかけただけあってなんとか思い描いたとおりの展開へもっていけました。遅れてすみません。
お疲れさんでした。
by図書神