鳥のさえずり声が心地良い、晴れた日の早朝。俺はいつもよりも早く登校していた。
「だいぶ、治ってきたみたいッスね」
「えぇ。もう痛みはないわ」
この広すぎる学園の中には、同じ部屋がいくつも存在する。生徒達が使用する音楽室や視聴覚室等の特別教室や、食堂なんかが良い例だ。
当然、俺達が今いる保健室もそれに含まれる。
昨日の変態野郎――大鳴サクとか言ったか――にやられた傷を治療しに来ていた。俺自身の傷は血の十字架(クロスブラッド)の能力で完治しちまったが、会長の傷はそうもいかない。脚に穴が空いてるんだから、そう易々と治るはずがなかった。
だが、それを可能とするのが魔具の存在だ。
「ありがとう、シュウヤ。助かったわ」
「困った時はお互い様、だろ?それに俺の能力はこういう時でこそ役に立つ」
そう言いながら、その男は傷口の上にかざしていた手を退けた。
昨日の惨劇が嘘のように、会長の脚には傷跡すら残されていなかった。っていうか、会長って美脚じゃね?スラリと伸びた長い脚に、程良い肉付きの太ももが―――!
「どこ見てるのかなぁ?タケシクン」
ハッ!?思わず見惚れてしまった!
恐る恐る会長の顔を窺ってみると、顔は笑っているが目が笑っていない。昨日の手紙の件から言って、この人を敵に回すとロクな事が無さそうだ…。話題を切り替えて逃げよう。
「アハハ…それよりも凄いッスね。癒しの指輪(ヒーリング)、でしたっけ?」
「あぁ。名前の通り、対象の生物の治癒力を瞬間的に強化して傷を治す魔具だ」
男が髪をかき上げると、左手の薬指にはめられている魔具が反射光で輝いた。
何とも便利な魔具のようではあるが、実はそうでもない。治癒力の強化にも限度があるらしく、すぐに傷が癒えるわけではないらしい。昨日も泊りがけで治療していたようだ。それでも一晩で完治してしまうんだから、凄いと言えばそうなのだが。
いつぞやの、偽物の鏡(フェイクミラー)の時も怪我人を治したのは彼のようだ。
しかし、この男は会長と一晩過ごしたって事だよな?しかも保健室で。あの魔具は直接、傷口に触れて治すようだし、きっとベタベタと色々な部分を触ってたに違いない…。くそぅ!魔具を借りて俺が残っておけば、あの無駄にでかいメロンをおいしく食べれたかもしれないのにっ!
俺は「お前なんか不幸な目にあってしまえっ!」と、妬みの怨を込めた眼光でその男を睨んだ。
彼は視線に気付くと俺の心を読んだように、ニヤリとまるで勝者の様な笑顔で返してきた。こ、この野郎…っ!触ったんかっ!?触っとったんかっ!?
「さて、と。傷も癒えたし、私はシャワーでも浴びてこようかしら♪」
「――っ!?」
な、なんですとっ!?シャワーだって!?
会長はウキウキ気分で、保健室の隣にあるシャワー室へ入って行った。
この学園にはシャワー室まで完備されている。本来はプール等の授業や、部活動で主に使われるのだが、そこは生徒会長特権という奴だろう。
昨日から帰らずに治療してたんだもんな。そりゃ、汗を流したい気持ちも分かる。
しかしこれは、覗かないわけにはいくまい…っ!朝早く寮を出た甲斐があったってもんだ。あぁ、会長の豊満な生メロンを想像するだけで、たまらんっ…!
鼻血が垂れてきた気がするけど、そんな事は気にしないんだぜっ!
だが、このミッションには邪魔な人間が一人いる。この男だ。どうやって消すべきか…?
俺はチラっと彼を見やる。そこには同じく鼻血を垂らした同族がいた。
「男として、覗かない方が失礼に当たる。…だろ?」
彼は親指をグッと突き出し、俺もまたそれに合わせた。
どうやらエロスの前に男は平等なようだ。完全に利害は一致した。もはや彼は敵ではない。すでに戦友と言っても過言ではないだろう。
俺達はこそこそとシャワー室の前に移動し、彼がドアノブに手をかける。幸い鍵はかかっていない様だ。扉の先では、会長の生着替えシーンが繰り広げられているに違いない。互いに生唾を飲み込み、目線で合図を送る。
さぁ行こう!男のロマンの世界へ!
彼がそっと音も立てずにドアノブを回し、真理の扉に隙間が出来る。そして――っ!
グシャッ!
「ぐわぁあぁああああぁああっっ?!!」
隙間から二本の指が物凄いスピードで彼の眼を抉った。
隣で茫然とする俺。こ、これはまさか…罠だったのかっ!?
扉が向こう側から勢いよく開くと、一枚も脱いですらいない会長が立っていた。もちろん人差し指と中指は血で濡れている。
「な・に・し・て・る・の・か・なぁ〜?」
会長の脚を眺めていた時と同じく、表情は笑顔である。それが逆に壊すぎるぅぅぅっ!!
俺は無言で謝罪の意を込め土下座した。い、命だけは勘弁して貰わねば…っ!
彼は目を手で押さえ呻いている。物凄く痛そうだが「ご愁傷様です」としか俺には言えない。
「ま、待てネネ!目はマズイって!幼馴染が失明したらどうすんだっ!?」
「…こういう時の為にあなたの癒しの指輪(ヒーリング)はあるんでしょ?ったく、昨日あんだけやられておいて反省しないなんて、とんでもないバカね」
二人の痴話喧嘩が続く。一人置いてけぼりの俺。こういう光景をよく目の当たりにする気がするのは、デジャブだろうか?
どうやら、俺達の行動は全て読まれていたようだ。しかし、昨日も色々としてたのかよ、こいつ。どんだけ欲望の塊なんだよ…。会長の治療が今朝までかかったのも、これが原因じゃねーのか?
だが俺は彼の勇気ある行動に敬意を表し、これからはエロスの兄貴と呼ばせて頂こう。
「――しかも、タケシ君と組んでなんて…あら?そう言えば、いつの間に二人は仲良くなったのかしら?」
「…そういや、自己紹介もまだだったな。俺は槇野(まきの)シュウヤ。この学園では風紀委員長をやってる。お前とは気が合いそうだし、以後よろしくな!タケシ!」
「いや、こちらこそ!エロ…じゃなくてシュウヤの兄貴!」
俺達はニヤリと微笑み合う。戦友、いや、兄弟となった二人の絆は深いようだ。兄貴が手で目を覆い隠しているせいで、モザイクになってしまっていたわけだが。その状態でニヤリはちょっと面白いぞ、兄貴。
そういや、兄貴って誰かに似てる気がする。誰だっけ?毎日見てる気もするんだけど。
そんな事を考えていると、予鈴のチャイムが学園中に鳴り響く。
「やべっ!もうこんな時間か?!じゃあ先輩方、また今度!」
駆け足で教室へと急ぐ。遅刻でもしたら、あいつがうるさそうだしなぁ。
どんどん遠ざかっていく二人から、大声が聴こえてきた。
「廊下は走らないで行きなさーい!」
「タケシー!妹によろしくなぁー!」
…妹?そう言えば、兄貴の名前って―――!
俺は、それ以上の思考を止めて教室へと急いだ。

「ところで」
タケシが去った後のシャワー室前。
残された男女二人は、響き渡っていた予鈴が沈んでも、そこに佇んでいた。
「あなたはいつになったら、シャワー室から出て行ってくれるのかしら?」
「…バレた?」
女は近くに置いてあったモップを手にし、モザイク男目がけてフルスイングをかました。



あれから一時間後―――。
何とか授業に間に合った俺だったが、脚が限界を超えてしまった為、机に突っ伏して動けないでいた。マジ死ぬ。
顔を横に向けると、目線の先にクラスメートと仲良く喋ってるマキノを発見した。
よく考えると、俺ってあいつの事何も知らないんだよなぁ。
風紀委員で刺鉄球の魔具『村正(改)』の持ち主。んで、風紀委員長の兄がいると。
今思えば、この学園に入学して、いつの間にか一緒に居たんだよなぁ。
どうやって、あいつと出会ったんだっけ?
マキノが視線に気付いたのか、こちらへと近付いてくる。
「なによ?人の事ジロジロ見て、何か用なわけ?」
「いや、今朝お前の兄貴に会った」
「ふ〜ん。何だそんな事かぁ…ってアイツに会ったの!?」
おぉ、何だその見事なノリツッコミ。予想外デス。
マキノが顔を近付けてくる。おいおい、そんなに見つめるなよ、恥ずかしいだろ?…って痛たたっ!?何で俺のほっぺた抓ってるの!?
「アイツにどこで会ったのか言いなさいよっ!」
「ムググ…保健室だよ…。でも、もういないんじゃね?」
「あっそ…じゃあいいわ…」
パッと引っ張られていた頬が自由にされる。何でこんな目にあうわけ?
「何か用事でもあったのかよ?」
「別に……」
珍しく素っ気ない態度を取りやがる。お前は某有名女優かっつーの!
この学園は全寮制の上に、バカでかい校舎だから、まず会う機会は少ないんだろうが。
ん?でもよく考えたら、同じ風紀委員だから会議とかで会うんじゃねーの?
「委員長は自由人で、なかなか会議に出席しないからね。マキノさんと会う機会は少ないんだよ」
いきなり会話に入ってきたのは、風紀委員2のトウヤだ。
へぇ、そんな事情があったのか。トウヤは何でも知ってるなぁ。俺の心を軽く読んでしまうあたりも流石である。化物め。
「ここだけの話、マキノさんは委員長と会えるから風紀委員になったらしいよ。凄く仲が良いみたいだね」
「べ、別にそんなんじゃないわよ!適当な事言ってると、ぶっ飛ばすわよトウヤ!」
「アハハ、じゃあ今のは聞かなかった事にしといて。…でも実際は、委員長は全然会議に出てこないし、仕事は全部僕に振られるし…ハァ……」
トウヤは、いつもの鬱モードに入ってしまったようだ。
しかし、マキノがブラコンねぇ…。それにしても、この兄妹全然似てねぇな。
誰かに似てる気がしたんだが、気のせいだろうか?マキノにでも聞いてみっか。
「なぁ、マキノ。お前の兄貴って誰かに似てないか?」
「――っ!!?」
マキノは顔を真っ赤にして黙っている。誰か思い当たる節でもあるのか?
「あぁ言われてみれば、委員長ってタケシ君に似て―――」
突然、村正(改)が物凄いスピードで空を切り裂いていき、壁に激突した。道中でトウヤの右頬をかすめていきながら。
「…何か言ったかしら、トウヤ?お兄ちゃんは誰にも似てないわよね?」
「いや、僕は何も言ってないよ、うん。タケシ君、委員長は誰にも似てないよ。似てたとしても、それは他人の空似だよ」
今何か物凄い圧力が働いた気がしたが、俺もあの壁のようになりたくないので黙っておこう。
トウヤはせかせかと壁の修復に当たる。ぶつぶつと「今日は半壊くらいで済んで良かった…」とか呟きながら。ビビった理由はそっちかよ。
ここは話題でも変えて、逃げに徹しよう。そうしよう。
「でも、あれだな。お前でも『お兄ちゃん』なんて可愛らしい呼び方するんだな?」
「――っ!!?」
再び真っ赤になるマキノ。そして、また再び魔鬼乃モードが現れる。あれ?なんか踏んじゃいけないフラグ、踏んじゃったのかな?もうリセット効かないのコレ?あ!?いや!?そんな刺鉄球を振りかぶるのは、やめてぇぇえええぇええ――っ!!?
「へぶしっっ!!?」
先程の壁にまた激突し、遂に壁は崩壊。そして俺の意識も昇天。トウヤ涙目。
村正(改)のおかげで、第三の教室の出入り口が出来てしまった。
あぁ、廊下の先に女神が見える…!お迎えが来たのか…?
その時、何かが胸の辺りから輝き始める。
逝きかけた魂を現世へと繋ぎ止めたのは、血の十字架(クロスブラッド)の輝きだった。それはつまり、魔具の反応を示していた。
「ま、魔具かっ?!」
素早く立ち上がり、臨戦態勢を整える。体がふらつくのは致し方なし。
朦朧とした頭がはっきりしてくると、女神の正体が分かった。
廊下には、羽の生えた美少女がプリントされたTシャツを着た男が立っていた。こんなもんを堂々と着てこれるのは…!
大鳴サク…またお前かよ…。
廊下へと出てきたマキノが、サク相手に睨みを利かせる。サクはビクッと反応し、プルプル震え始めた。
「あんた何しに来たのよ!?3年は下の階でしょ?」
「い、いや、昨日ここに落し物をして…」
「じゃあなんで魔具を発動させながら来てんのよっ!?」
「こ、これは、リーさんから貰った新しい魔具を、自慢したくて…」
紛らわしい奴だな。っていうか、昨日戦った相手に自慢するってどうよ?
しかもどうやら、マキノが苦手らしい。二人を見てると、まるで猫と鼠だな。いや、鬼と蟻か?
「はい、これどうぞ。落ちていたのを僕が回収しておきました」
トウヤがポケットからそれを取り出すと、サクは今までの暗い表情から一変し、ニッコリと笑った。なんか気持ち悪いぞ?
「あぁ!我が愛しのエリーちゃんっ!無事で良かったヨ!」
サクはそのフィギュアを握り締め、頬にすりすりと擦り当てる。
こいつは…本物だ…っ!
あまりの気持ち悪さに背筋が寒くなる。流石のマキノも不快感が顔色に表れている。
サクの喜びを邪魔するように、トウヤが彼に近付き、彼の耳元で何か囁いた。
「…会長を傷付けた事、僕は忘れませんよ……」
「…ボ、ボクだって、まだ、彼女の事を諦めたわけじゃ、ない……!」
俺には何を話していたのか聴こえなかったが、二人が険悪なムードなのは遠目からでも感じ取れた。
トウヤに、このオタク。それに、シュウヤの兄貴とも仲が良さそうだったし、会長モテモテだなぁ。
そうして、お気に入りの人形を回収したサクは去って行った。
まぁ何事も起こらなくて良かった、か?
そう楽観的に考えながら、教室に戻ろうとした際、マキノが俺を見て何かに気付いた。
「あれ?あんた体が赤くなってるわよ?何で?」
「え?うぉ!?あれ、勝手に…?」
何故か血の十字架(クロスブラッド)が発動していた。
何でだ?あのオタクが魔具を持ってきたから、それに反応しちまったのか?
発動条件もよくわからないが、解除条件もよくわからない。
今、村正(改)にうかつに触りでもしたら、俺の意思とは無関係に消滅してしまうだろう。
そういや、この能力の事って秘密なんだっけ?会長がそんな事言ってたような…。
「具合でも悪いの?もしかして何かの魔具攻撃?」
「いや、何でもないけど、ちょっとトイレ行ってくるわ!あとよろしく!」
猛ダッシュで逃げる俺。また走るのかよっ!?
「変な奴。もう次の授業も始まるってのに…。ねぇ、トウヤ?」
「そう、だね……」
教室から駆けて行く俺を、トウヤは何かを思案するように見つめていた。



「ハァ…やっぱりか……」
洗面台の鏡の向こうにいる自分が、赤黒く変色しているのが見える。
幸いトイレには誰もいなかったが、元に戻らねーと、こっから出れないぞ?
昨日はいつの間にか治ってたし、時間が立てば治るんだろーか?
しかし、これを隠せって言うのは無理難題じゃねーか?いつかバレるぞ、絶対。
「うっ…!?」
ズキンと頭の芯が痛む。
また、あの声だ…。さっきから断片的に聴こえていたが、今ははっきりと聴こえる。
能力を使うと聴こえてくるあの声。それは止む事を知らないように、脳内で響き渡る。
“――魔具ヲ破壊セヨ―――”
誰とも分からぬ声で、俺の脳裏へと語りかける。
それが俺にはたまらず、動機が激しくなり汗が止まらない。
ズキンズキンと、だんだん頭痛が酷くなっていく。
「くそっ…!誰かこの声を止めてくれ…っ!」
俺はあまりの頭痛で次第に意識が薄くなり、地面へと崩れ落ち気を失った。

魔王復活まで約6日。
最後の1週間はすでに始まっていた。
あとがき
“マキノ”とは実は名字で、ブラコンでしたとさ。
ちゃんちゃん。
by絶望君