ある名家の門前。
太陽はその夏一番の輝きを発し、日差しは地面を焦がす勢いで降り注いでいた。
その中を二人の母娘が手を繋ぎながら歩いて行く。
会話など一切無く、虫のしつこい程の鳴き声だけが響いていく。
そこへ、一人の少年がやって来る。
その顔はすでに泣きそうな程に歪んでいた。
「おねえちゃん、どこかに行っちゃうの…?」
「……っ!」
母親は日傘を持つ手に力が籠る。それが少女にも伝わり、彼女は繋いでいた手を離す。
少女は、少年の元へ駆けつけると、小指を突き出した。
「おねえちゃん、おかあさんとしばらく、お出掛けするんだ。…だから、約束しよっか」
「やくそく…?」
「うん、約束。おねえちゃん達がちゃんと、おうちに帰って来れるように、大事な約束するの。絶対に破っちゃダメだよ?」
「わかった。ぼく、"やくそく"守るよ」
少年も指を突き出し、二人の小指が交わる。少女は瞼を閉じ、少年もそれに合わせるように、暗闇の世界へと誘われる。
少女が約束の言葉を紡ぐと、それは二人の小さな絆を伝わる様に、少年の中へと響いていく。
"約束の儀式"が終わると、少年は何も無い世界から、色のある世界へと視界を変える。
一番始めに少年の瞳の中へ映り込んできたモノ。そこには、太陽の輝きに負けない少女の微笑みがあった。
それが、少年が見たこの世で一番美しい、少女の最後の姿だった―――。
第二十七話 約束
それはすでに、自分の知っていた人物から変わり果て、魔王と呼んだ方がふさわしい姿となっていた。
刻一刻と体の変化は更に進んでいき、赤黒く変色したその体は筋肉が膨張され、人間の限界を超える力を易々と引き出していた。その反面である、反動も当然大きいはずだったが、それすらも
こうなってしまうと、先刻の様な一瞬の隙はもう訪れないだろう。
正々堂々と、ぶつかっていくしかない――。トウヤはそう決意し、脚に力を込める。
「行くぞ!!」
気合を入れた雄たけびと共に、意を決して飛び込む。その間、
それを難なく片手で受け止め、破壊者は本物のトウヤへ反撃態勢を取ろうとした。
しかし、眼前にはトウヤではなく、刺鉄球が飛び込んで来る。それを逆の手で防ごうと身構える。だが、トウヤはその手に持つスイッチを押し、村正ブースターを発動させる。
破壊者の防御は間に合わず直撃した――かのように見えた。
すんでのところで、頭突きという原始的方法により直撃は免れ、同時に
突如、黄土色の空間を突き破るように一閃の攻撃が迫る。
だが、人間とはかけ離れた生物になった今、その程度の目くらましで敵の視界を防げるわけは無かった。トウヤの剣閃は避けられ、そして―――
「破壊、スル」
硬く握りしめられた拳が迫り、避ける間も無くトウヤに直撃した。
肉を裂き、骨を砕き、内臓を潰して、その拳は体内を突き破り、外へと飛び出す。
「がはぁあぁっ!」
トウヤは血反吐を吐き、白目をむいたまま、相手に倒れ込む。貫通した腹部から大量の血液が流れ出ていき、地面を真っ赤に染める。
「…所詮、コンナモノカ……」
ダメージは明らかで、決着が着いたかの様に砂煙が晴れていった。
トウヤの手の力が抜け、握られていた
倒されたのは、
「どこを見ているんだい?僕はこっちだよ」
破壊者がその声に気付き振り向くと、空に浮かぶ一匹の竜の存在が目に入る。
何時の間にか現れていたその砲台は、すでに標的へと構えていた。
発射。
光線が迫り、避けようと体を動かすが、完全に消えきっていない
貫通した腕が簡単に抜けるわけも無く、弾丸は直撃する。
校庭を中心地に大きな衝撃破が生まれた。
消えかかっていた
爆撃の中、何も無くなった校庭に唯一人、
服は焼け焦げ、露わになった上半身は、人間の骨格を無視した形状へと進化していた。
まだ倒れていない事に驚きもせず、ただ冷静に、トウヤは次の一手を打つ。
レヴァの力で背後へと空間転移した彼は、
一閃。
咄嗟に避けられたが、
ソレが罠だと気付くのに、トウヤは数瞬と掛からなかった。
刺さった刃先が抜けず身動きが取れない。右腕をあえて犠牲にする事で、筋肉を膨張させ
何も考えていないように見えた敵が学習し始めている。
トウヤはゾッと悪寒がした。
だが、それ以上考える間も無く、敵の拳がトウヤの眼前へと迫る。
先刻の、
「破壊スル」
「く――っ!?」
トウヤの体が吹っ飛ぶ。二転、三転、と荒れ地と化した校庭を自分の意思とは無関係に転がっていき、やがて停止した。
何とか立ち上がり、自分が受けたダメージを確かめる。
ぎりぎりで刺さった
瞬時に両腕で体を覆う様に防御姿勢を取ったが、それが仇となったのか、当たってしまった右腕はぷらんとぶら下がったまま動きそうに無い。
ついてるだけマシ、か?――なんて考えがトウヤの脳裏に浮かぶ。
今は
「何ヲシテモ…無駄、ダ……。破壊、スル……」
声の主は、右腕に刺さった
「さて…どうしたものか…」
トウヤ自身意外だったが、この状況でも頭は冷静に働いていた。
鉄ですら簡単に溶かしてしまう光線も、ダメージは火傷程度でしか目に見えず、もしも見ていた者がいたならば絶望している状況だろう。
だが、トウヤは違った。いや、トウヤには違う見方が出来た。あれだけの攻撃をしたにも関わらず、あのダメージという事は、少なくともタケシが死ぬ事は無いだろう。
安心して自分の最大限の力を発揮出来る。そうトウヤは感じ取った。
さらに、ダメージが効いてないわけでは無い。
「かつて魔王を倒したとされる伝説の剣はダテじゃない、ってところか…」
とはいえ、いくら冷静に状況を把握出来たとしても圧倒的な力の差は埋められない。
唯一の武器となり得る
まずは、
左腕の拳を逆の掌で包み込み、腰元へと構える。
校庭全体が静かに揺れ、目に見えそうな程の魔力が体中を覆い、その拳へと流れ込んでいく。それは明らかに、深く強く魔力を溜め込んでいた。
まるで、ガンマンが早撃ちするかのような構えは、トウヤに警戒心を抱かせるのに十分だった。
何かが、来る。そう感じた時には、もうすでに
一発の弾丸と化した拳は、地面が割れそうな程の踏み込みと共に発射された。
腕を回転しながら放った事によって、溜め込まれた魔力に渦が発生し、まるで竜巻となってトウヤに襲いかかる。
自身の周囲ごと包みそうな大きさの竜巻から、逃れる術は見つからない。
だが、その数秒の間にも、竜巻となった弾丸は刻一刻とトウヤの眼前に迫り立ちはだかる。
トウヤの視界が竜巻により覆われる。もう逃げ場は無い。しかし、危険が迫る最中、彼は表情を変える事も無く、ただ黙って立っていた。
突如、トウヤの体が消え、弾丸は何も無い空間を飲み込んでいった。
直撃かと思われた瞬間、レヴァの能力によって、トウヤは落ちている
そのまま
すんでのところで避けられ、トウヤの伸びきった体に反撃が迫る。
竜巻を避けた時と違い、レヴァの空間転移を使用出来ない制約があった。一度使用したならば、次の使用までに数分の時間を要する。竜自身の攻撃と能力の併用も出来ない。空間を自在に操る魔具にとって、当然の代償と言えた。
だが、トウヤはニヤリと笑う。初手が避けられるのは彼にとって、計算の内だった。いや、そもそも初手を打った瞬間に詰んでいた。
「グガァッ――!!?」
ダメージを受けたのはトウヤではなく、反撃者の体だった。
振り下ろされた
何が起こったのか、破壊者には理解出来ていなかった。
トウヤは口に咥えていた本を離し、地に落とす。
開かれたページには、「斬撃は必ず命中する」と書かれていた。
破壊者はバランスを崩し、倒れかける――かのように見えた。
右脚を強く踏み込み、崩れかけた体勢から一転、戦闘態勢へと形を変える。
「!?――浅かったかっ!」
思わずトウヤの口から言葉が零れる。見た目以上にダメージを受けていないのは、その行動が示していた。
咄嗟に
「―――ッ!!」
声にもならない衝撃が体中を駆け巡る。地に立つ二本の足が宙に浮かび、そのまま衝撃で吹っ飛んでいく。
かろうじてトウヤは意識を保っていた。地に這ったまま、体を動かしてみる。どうやら肋骨が数本折れたようだ。声にも鳴らない溜息が彼の口から漏れた。
ズキン、とトウヤの折れた右腕が痛む。倒れたまま辺りを見渡すと、レヴァの姿も
制服は破れて汚れ、体中も傷だらけ。そこには、いつもの風紀副委員長の姿は見当たらなかった。
意識が朦朧とし、瞼が自然に閉じていく。トウヤの体はすでに限界を迎えていた。
暗闇の世界で、彼の意識は落ちていった。
――満開の桜が咲き誇り、新入生を祝している。
入学式と書かれた看板が校門に立てかけられていた。
体育館に集まられた学生は、これから訪れる新しい生活に、期待と不安で胸がいっぱいだろう。
ある者はとんでもない大きさの刺鉄球を傍らに置いて椅子にのけ反り、ある者は入学式だというのに静かに本を読み、ある者は大きなイビキをかいて寝ていた。
気持ちが昂っているのは新入生だけではない。
新しく事務員として入ったさらしを巻いた男も、意気揚々と木刀を振りかざしている。
そんな中、ただ一人笑う事も無く、鋭い眼光で辺りを観察している青年がいた。
一族の頭領である青年は、家宝である草薙刀を所持し、この学園にやってきた魔具の所有者を見張っていた。
それは、魔王を討つという一族の大義の為であったが、彼は他に探している人物がいる。
いやむしろ、大義は建前で、それこそが彼がこの学園に入学した理由であった。
それは彼以外、誰も知らない。語られる事の無い真実。
青年の一族には、二人の子孫が誕生した。活発な少女と内気な少年。
姉である少女は、幼い頃から知能や運動能力が桁外れに高く、天賦の才があった。まだ幼かったが、次期頭領として誰もが認めていた。
対して、弟である少年は控えめな性格が災いし、運動能力はゼロに等しかった。加えて、これといって特徴も無く、一族の末裔としてはパッとしない存在だった。
少年にとって、姉は憧れの対象であり、超えるべき目標でもあった。何より、少年は姉の事が誰よりも好きだった。
しかし、少女には一族の人間として、欠けてはいけないモノが一つだけ欠けていた。
魔具を扱う事が出来なかったのだ。魔具を扱うには、それに見合う魔力を少しでも持つ事が条件だが、少女には素質者としての見込みは無かった。
それまで彼女を溺愛していた一族の人間は、それを知ると手のひらを返したように少女を一族の恥として扱うようになった。
やがて、それは少女を生んだ母親にも向けられていった。少女は一族の子孫では無いんじゃないか?そんな根も葉もない噂が、瞬く間に広がっていった。
母親は自身の為、娘の為、一族の為に家から去る事を決意する。
そして、その日は訪れ、少年は少女と最後の別れを交わした。
それからは、少年にとって厳しい日々が続く。
地獄の様な修行の毎日。倒れるまで父親の稽古は続き、休む暇さえ与えられない。次期頭領として天才の姉と比べられる事で、少年の不出来さは目立つばかりだった。
姉さえいなければ、こんな事にはならなかったのではないか?少年は、いつしかそう思うようになっていった。
憧れであった姉は憎しみの対象へと移り変わり、逃げていった姉への復讐を心に刻む。
暗く深い憎悪が、少年を動かしていく。つらい修行も、復讐以外の事は何も考えないようにする事で楽になっていった。
ある日、少年は自室に隠されていた、自分宛ての小さな包み箱の存在に気がつく。
かわいらしいテディーベアの包装紙が、送り主の存在を露わにしていた。
姉への憎しみしか抱いていなかった少年は、それを壁に叩きつけ、中を見る事も無く破り捨ててしまう。
引き裂かれた箱の中から零れおちる包帯。少年は無性に中身が気になり始め、箱を開ける。
そこには、大量の包帯や傷薬、絆創膏が入っていた。
ハッと自分の体を見渡すと、すり傷や切り傷だらけだった。定めた目標のみ考えていた少年は、自身の体の傷など気にした事など無かった。
あの日交わした約束が思い出される。
姉が帰って来るまで、"絶対に大怪我しない事"。
姉はいつも少年を見ていた。父親も母親も一族の人間も皆、少年の事を次期頭領として見る中、姉だけが少年を大事な弟として見ていた。
気付くと、透明な液体が頬を伝っていく。それは止まる事を知らない。
姉と別れたあの日。あの日から流した事の無かった涙が、無残に裂かれた包装紙を濡らしていく。
心のどこかで分かっていた。少年は、少女を憎んでいたんじゃない。復讐という形でも何でもいいから、少女に会いたかったのだ。
ただ一人、自分という存在を見てくれた姉に。
少年はボロボロになった箱を抱き締め、声が枯れるまで泣き叫んだ。
時は流れ、少年から青年へと成長した彼は、一族の頭領となった。
だが、青年は自分よりも一族の長という器を持つ存在を知っていた。その人に再び会う為、青年は私立YS学園に入学したのだ。
一族とは無関係になったとはいえ、あの人は大義も忘れる程、馬鹿じゃない。必ずこの学園の中にいる。そういう自信が青年にはあった。
入学式も、終盤へと差しかかっていた。
長い学園長の挨拶が終わると、新入生達にドッと疲れが見え始めていた。
「えー、次は生徒会長の珠姫ネネさんより、ご挨拶です」
司会進行が発したその名前に青年は驚き、壇上へと顔を向ける。
青年が知っていた容姿とは、かけ離れた存在がそこに立っていた。
長く綺麗な黒髪に白いカチューシャが清楚な風貌を表し、大きな瞳と透き通るような白い肌、その抜群のスタイルを持つ女性は誰が見ても美しかった。
新入生は男女問わず、ステージに降り立った女神に釘付けになる。
「紹介に預かりました、生徒会長の珠姫です。まずは皆さん。入学おめでとうございます。長々とした演説は学園長にお任せ致しましたので、私から言う事は特にありません」
その皮肉交じりの挨拶に、新入生からクスリと笑みが零れる。
学園長の顔を窺うと、司会の副会長が冷や汗をかきながら宥めていた。
「ただ一つ、皆さんにお伝えする事があります。この学園は自由です。皆さんの思うように行動し、皆さんの思い描いた通りの未来を紡いで下さい。未来を決めるのは、親や教師、大人ではありません。あなた方自身なのですから――」
以上です、とばかりに深く頭を下げる生徒会長。
静まり返った体育館にパチンっと乾いた音が響く。一つ、また一つと音は増え続け、広い館内を埋め尽くすような拍手が生まれた。
少し照れながら壇上から降りていく生徒会長。体育館の端に待機していた生徒会役員の元まで辿り着くと、緊張していたのか笑みが零れる。それを笑いながら茶化す役員達。
青年はそこで気付いた。自身の愚かさに。
一族から追い出された姉には、もうすでに『居場所』が存在していた。
家を出てからはつらい事がたくさんあっただろう。頼る者など母以外、誰一人いない状況で彼女はここまで歩んできたのだ。
姉を助けられるのは自分しかいないと、青年は一人で勝手に思い込んでいた。
彼女はすでに過去に囚われず、自分自身の為の一歩をすでに踏み出していたのだ。
それは青年が姉の為に作りあげようとしていた頭領という立場では無く、彼女自身が自ら手に入れた未来だった。
「未来を決めるのは自分自身、か―――」
これからどうするか。姉が手に入れた居場所を脅かす事は出来ない。姉を一族に連れ戻そうとしていた青年には、自身がこの学園へやってきた意味を見失ってしまった。
だが、不思議と心の中は穏やかな気持ちで一杯だった。
ずっと探していた姉は、やはり姉のままだった。優しくて、温かくて、いつも自分に新しい道を示してくれる。
そんな姉を支えていきたい。それは一族の弟としてではなく、一人の生徒として、一人の人間として、一人の愛する男として、青年はそう思った。
青年が生徒会長を見つめていると、彼女が振り返り、二人の目が合う。
幾年振りの邂逅。お互いに顔も身もあの頃とは変化し、立場も変わっていた。青年にはどんな顔を浮かべればいいのか、分からなかった。
それを悟ったかのように彼女は、泣いた赤子をあやすような優しい頬笑みを見せる。
それは青年が幼い頃に見た、天使のような姿だった―――
荒れ果てたグラウンドは、校庭というより荒野と言った方が相応しかった。
その中心に立つ、赤黒い肌の色を持つ破壊者。
隆起した筋肉、尖った牙、異様な姿へと形を変えた腕は凶器と化していた。
斬られた右腕と胸部から、魔力らしき黒い煙が立ち上り、空へと消えていく。傷跡と思しき箇所から、元のタケシの肌を覗かせていた。
だがそれも、タケシの体をじわじわと蝕んでいる魔力が、完全に体中を駆け巡ってしまえば消えてしまうだろう。その時は、完全にタケシの存在は消えてしまうかもしれない。
誰かが止めなければ。この破壊者は倒す術を持つ誰かが。
それを理解している青年は、倒れそうな体で立ち上がった。
壊れそうな
「ハハッ…こんな状況で夢を見るなんてね…」
ボロボロの体だったが、トウヤは笑っていた。
夢の中で見たのは、懐かしい遠い昔の話。
自分が今ここに立っている理由。守ろうとしている未来。
教室のドアを開けると、見慣れた光景のチーターとガゼルが暴れ回り、遊びに来た女生徒が片手に持った本をよそに、二人を見てクスッと笑っている。
携帯からいつもの呼び出しがかかると、生徒会室まで猛ダッシュ。
道中に女生徒をナンパしてる風紀委員長や、また高等部へ忍び込んでいる小型のドラゴンを連れた少女、生徒にどなり散らすサラシを巻いた事務員、さらには美少女の絵が描かれたTシャツを着た学生を見かけるが、それらに一切構う事無く、一直線に目的地へ走る。
息も絶え絶えにやっと辿り着くと、そこには二人の女生徒が待っている。副会長は毎度の驚異的なスピードに驚き、拍手を送る。
待ってましたと言わんばかりに、呼び出した全校生徒の長は笑顔でいつものセリフを吐く。
「今日も時間ピッタリ!さすが姫井君ねっ!」
そんなありふれた日常。トウヤが守りたい世界。
そこには、誰もが笑顔になれる。誰もが優しい気持ちで溢れている。笑顔など忘れていた彼にも、幸せな気持ちを取り戻させてくれる。
それがトウヤの望んだ世界。自分で選び、行動し、手に入れた未来。
掴み取った日常を守る為に、目の前にいる親友を助け出す。
一族の頭領としてでは無く。学園長の下で働く生徒としてでも無く。ただ、一人の人間として、トウヤは闘う。自分の未来の為に。
それを教えてくれた大事なヒトがいたから。いつも笑顔にさせてくれる人達がいるから。
「僕は…ここで、負けるわけにはいかない。僕達を待っている人達の為に、僕は勝ってタケシ君を救い出す!」
想いは人を強くさせる。トウヤの瞳には、絶望の色など見えない。先にある未来しか映っていないのだから。
地に刺していた
体の震えと息切れが止まらない。だが、
結界のヒビが全体まで広がっていく。それは、破壊者による
もう持たないだろう。結界内でしか、痛み止めの効果は発揮する事は出来ない。おそらく、次の攻撃が最後の一撃となる事をトウヤは理解していた。
左手で握っている剣の持ち手に、折れている右手をそっと添え、両手で絞る。
最も基本的な青眼の構えを取り、最後の一撃となる次の一手に、全神経を集中する。
「コレデ最後ダ…全テヲ、破壊スル……」
破壊者は立ち上がったトウヤに気付くと、一歩、一歩と足を踏み出し、近寄っていく。
やがて踏み出された足取りは速くなっていき、加速していく。
相手から攻めてくれるのは、トウヤにとって都合が良かった。余計な体力を使う必要が無い上、今の彼には守りの姿勢が合っていた。
徐々に狭まっていく二人の距離。
驚異的な速さで突撃する、全身凶器となった赤い悪魔。
ただ静かに視線を一点に合わせ、血塗られた剣を構える傷だらけの剣士。
一歩、また一歩と加速していく悪魔は、敵前で拳を構える。
お互いの射程に入った瞬間、剣士は強く踏み、飛び込んだ。
対となった戦士同士がぶつかり、衝撃が辺り一面に瞬間的に広がっていく。
ぶつかり合う拳と刃。鍔迫り合いのようにお互いに力が拮抗する。
悪魔の拳から魔力が流れ出ていく。
剣士の持つ刀身にヒビが入る。
それを物ともせず、戦士達はお互いに相手を倒す為、最大限の力を込める。
「うおぉおおぉおおおぉっっ!!!」
剣士の叫び声が響き渡り、さらに一歩、強く足を踏み込んだ。
鍔迫り合いの状態から懐へと飛び込んだと同時に、剣士の魔具は砕けた。
その瞬間、
崩れていく結界。
二つの衝撃によって巻き上がる砂煙。
辺り一面が覆い隠される。
その中で見えるのは一人の影。
砂煙が晴れると立っていたのは――、
―――破壊者だった。
トウヤは地面へと倒れ、ピクリとも動かない。
空はすでに黒くなり、曇った空には月の輝きも見えなかった。
ロウソクの火は燃え尽き、完全に消失してしまった。
「魔具ヲ…全テヲ…破壊スル……」
勝者となった破壊者は歩き出す。次なる獲物を求めて。
一歩、一歩と歩み進めるが、足取りが重い。
何故か力が入らない。自分の体を見た時、破壊者は初めて理解する。
トウヤは最後の瞬間、フェンシングのように折れた刀身を突いた。
それは破壊者の胸を貫き、突き刺さった。
刺された相手すら気付かない、一瞬の出来事だった。
「ガアアァァアァアァアァッッ!!?」
急激に体内の魔力が外へと吐き出され、破壊者は膝から崩れ落ちる。
赤黒い体は、急速に肌色へと変色していき、元のタケシの体へと戻っていった。
タケシの意識こそ無かったが、体には斬られた跡すら残されておらず、
突き刺さった
荒野と化したグラウンドには、二人の男が横たわっていた。
「トウヤ――っ!!?」
そこへ駆けつける、一人の女生徒。
トウヤの大怪我に目を見開き、次にタケシを見る。
どこにも怪我らしき物が無いのを見渡すと、ネックレスの部分が壊れてペンダントのみとなった
自分では、どちらか一人しか連れて行けない。女生徒はそれを理解していた為、タケシを後回しにして、傷だらけのトウヤを背負う。
それでも彼女の細い体では、一人でも連れていくにはつらいはずだったが、苦ともせずに急いで保健室へと向かう。
そこには、傷を治す魔具を持つ男がいる。トウヤを死なせるわけにはいかない。強い意志で彼女は歩いていく。
「……ね………ちゃ………」
「え?」
背負っているトウヤから、ボソッと呟き声が聴こえ、立ち止まる。
まだ意識がある事にホッとしたが、何を言ってるのか聞き取れなかった。
耳を澄ませ、彼の口元へと耳を傾ける。
「…やく…そ、く……守れ…なか…た……」
「―――ッ!!?」
衝撃が彼女の体中を駆け抜ける。
幼い頃にした約束。背中にいる少年は、覚えていてくれたのだ。
自分が去ってから、つらい事が無い日など無かっただろう。自分という存在を恨んだ事もあるだろう。いや、もしかしたらまだ恨んでいるのかもしれない。
でも、あの約束だけは忘れずに覚えていてくれた。
自分の帰りを、ずっと待ってくれていたのだ。
「ごめん…!こんなお姉ちゃんで、ごめんねぇ…っ!」
思わず涙が溢れてくるのを抑え込もうとしたが、それは止まる事を知らず、流れ出ていく。
ネネはずっと心のどこかで恐れていた。
自分の正体を口に出してしまう事で、折角元に戻った関係が崩れてしまうんではないかと。彼が気付いている事にも気付いていたが、あえて気付かない振りをしていた。生徒会長と風紀副委員長という形だけの関係を壊したくなかったから。
だが、それは違う。お互いに偽っていては、本質など見えてこないのだ。
そこに本当の信頼出来る関係など、在るわけが無かった。
そう分かっていながら、ただ黙って時を過ぎていくのを彼女らはお互いに待っていた。
今の関係に満足していると、自分自身の心を偽りながら。
でも、今はもう違う。大切な自分の弟の気持ちを知ってしまったから。
頭の白いカチューシャを取り、見つめる。
それは幼い頃、大好きだった弟が初めてくれた彼女の宝物だった。
ドジな弟はサイズを間違えてしまったけれど、成長した今では嘘のようにピッタリである。
家を出た後も、弟の事を想わない日など一日も無かった。
トウヤが起きたら打ち明けよう。自分が姉なのだと。
もしかしたら、いや、確実に今の関係から変化が起こるだろう。だが、それでもいい。
弟は、今もまだ彼女が帰って来る事を待っているのだから。
今ここで足を踏み出さなかったら、自分が描いた未来は確実にやって来る事は無い。
ネネはそう決意した。
壮絶な戦いから、数時間が経った。
真夜中の学園には生徒どころか虫の一匹さえ存在せず、自身の足音だけが感覚を支配していく。
漆黒の闇が漂う空間の先に、明かりが一つ灯されている。
そこには、激闘を繰り広げた二人がベッドに横たわっていた。
心配そうな表情を浮かべる足音の主は、持ってきたペットボトルに思わず力が入る。
「おいおい、ネネ。そんなに強く握ったら、俺の飲み物が無くなっちまうだろ?」
「…ねぇ、容体はどうなの?ずっと治療してたみたいだけど……」
シュウヤは、自分の話を無視された事に溜息をつきながら、肩をすくめる。
「無事だよ。さすがは学園一最強の男ってところだな。骨折はしてるが、全て致命傷には至ってない。ま、俺の
「そう…良かった…っ!」
安心したネネの体から緊張が解け、へこんだペットボトルが音を鳴らし、元の形状へと戻る。
それを見ていたシュウヤも二つの意味でホッとし、笑みがこぼれる。
「だが、お前の一族の宝刀も
「…えぇ、そうね。でも、魔王討伐の鍵はここにあるわ」
ポケットから
そうは言ったものの、彼女の内心では違う想いが渦巻いていた。
確かに今となっては、魔王に対抗出来る唯一の魔具だが、
いっその事、捨ててしまおうかとも思っていた。だが、それでは魔王相手にどうしようもなくなってしまう。答えの出ない問題が頭の中を駆け巡る。
やはり、学園長――春夏秋冬を頼るべきだろうか?だが、彼のシナリオ通りに動いていいのだろうか?結果として、トウヤの現状がここにはあった。
疑念が膨らむ。そもそも、トウヤをわざわざ挑発したのは、あの男だ。もしも、こうなる事もシナリオ通りなのだとしたら、ネネは春夏秋冬を許すわけにはいかなかった。
ふと、トウヤの隣のベッドに横たわる男を見やる。
タケシは春夏秋冬の実験台だったのかもしれない。
そんな彼女の心配をよそに、当の本人はいびきをかきながら寝ている。
それを見ていると、自分が考えている事が馬鹿らしくなってきた。
「クスッ。随分、気持ちよさそうね。そんなに寝心地がいいのかしら?」
「ん?あぁ、タケシか。そうだな。まるでさっきまでの戦いが嘘のようだな」
まるでその現場に立ち会ってたかのような言葉に、ネネは困惑した表情を浮かべる。
校庭は
「まるで見てきたみたいな物言いね?」
「…今のは失言だったようだな。忘れてくれ」
「ちょっと!それって、どうい…ぅ……」
ネネに急激な眠気が襲ってくる。体がフラっと倒れそうになるのを、ベッドに手をつき事無きを得る。
やがて足に力が入らなくなり、膝がガクンと落ちる。ベッドにしがみついた腕に力を入れ、抵抗しようとするがもう限界だった。
ただ黙ってその光景を見守る男を見上げ、疑念や不安、様々な感情を織り交ぜた表情で見つめる。
「……シュ、ウ…ャ……?」
「安心しろ。大事な弟は必ず治す。だから今はぐっすりとおやすみ」
操り人形の糸が切れたかのように力が抜け、崩れ落ちる。
彼女をシュウヤは静かに優しく抱きかかえ、トウヤの隣に寝かせた。
「何十年振りの姉弟水入らずだ。夢の中で満喫してくれ。目覚めた頃には全てが終わっているだろう」
二人を寝かせたベッドのカーテンを閉めると、保健室へ男がやって来る。
「まさか、私の創った
「むしろ、これが本来の使い方だ。癒すのは外側じゃあなく、内側だってこった」
「成程。つまり、二人が目覚めるかどうかはあなた次第、と言う事ですか。やはり、あなたに預けたのは間違いじゃなかったようですねぇ」
その男は、シュウヤを褒めているようでその実、自分自身を称賛していた。
彼はその事に気付いており、そういう男である事も知っていた。だが、やはり気に食わないのか、フンッと鼻を鳴らした。
「それよりも、これが例のブツだ。受け取れ」
「これが
差し出されたのは、中心の赤い宝石が不気味に輝く十字架型のペンダント。
ソレは指輪をはめた男から、白い手袋の男へと受け渡される。
「あなたは、これからどうなさるのですか?」
「
それを聞くと男はニヤリと微笑み、紳士のようにお辞儀をする。
「もしよろしかったら、我々の元へいらっしゃいませんか?先日、とあるお嬢さんに部下を減らされましてね。お恥ずかしい事に人員不足、と言ったところでしょうか?」
「お断りだ。あんたらのやり方は好きじゃない」
「…残念です。あなたのような方なら、大歓迎だったんですけどねぇ」
始めから想像のついていた会話が繰り広げられていく。その光景に苛立ちが募ったのか、今まで沈黙を保っていた男の肩に止まる一羽の鴉が、口を開く。
「マスター!そろそろお時間ですよ!早く行きましょうよ!」
「おや、もうそんな時間ですか。それでは、失礼しますよ」
そう告げると、男は保健室から漆黒の闇が続いていく廊下へと歩いていき、闇に消えていった。
相変わらず、何を考えているのか分からない男だ…。そう、シュウヤは感じていた。
彼は寝ているタケシを背負い、学生寮へと帰る為に保健室を出ていく。
後に残されたのは、目覚める事の無い二人の男女。
静かに寝息を立て、お互いに向き合う様にして眠る。
ずっと待ち望んでいた瞬間。近くて遠かった二人の距離が、今この瞬間は無くなっていた。
突然、彼女の瞳から一滴の涙が零れる。それは伝染するように、彼の表情にも表れた。
まるで二人が同じ夢を見ているような、そんな光景がそこにはあった。何故かそれは、幸せそうな表情にも見えた。
求めあう様にして、二人の手が繋がる。もうその絆が離れる事は無かった。
長い一日が終わり、新しい朝を迎えようとしていた―――。
あとがき
遅れてスマソ。
いつも長文でスマソ。
でも今回はやり切った。そんな満足感が支配している。
またここに来て新展開だが、あともう少しだから頑張ろう。
遅れてスマソ。
いつも長文でスマソ。
でも今回はやり切った。そんな満足感が支配している。
またここに来て新展開だが、あともう少しだから頑張ろう。
by絶望君