いつごろからだったろうか。
その本を手にしていたのは。
いつごろからだったろうか。
黒スーツの男に狙われるようになったのは。
いつごろからだったろうか。
訳の判らない怪物に襲われるようになったのは。
いつごろからだったろうか。
気がついたら。
全世界を敵に回していたのは。
第二十八話 新世界を望んで
「・・・では,魔王の覚醒には失敗したと?」
朝でも、昼間でも、ひょっとしたら夜でも同じ薄暗さかと思いかねない、学園の最北端に存在する学園長室。その室内で学園長、春夏秋冬はぽつりと呟いた。
「ええ。おまけに血の十字架 は商会側に回収され、サンプルno.443はサンプルとしては再起不能。使える手駒、姫井トウヤは重症・・・まあ、こちらは僕の方で修復は終わりましたが」
「前線には出れるか?」
その問いに話の相手は肩をすくめ、
「無理、ですね。身体が修復されても、削りきられた心というものはそう簡単には直せません。良くて一週間は寝たきりですね」
「そうか」
「はい」
春夏秋冬はため息をつき、
「では、何もしていない姉のほうも彼と同じように昏睡状態にあるのはどうしてかね?」
一呼吸置かれ。
「シュウヤ君?」
春夏秋冬の話し相手―――シュウヤは、そう言われ罰の悪そうに頭をかく。
「流石ですね、もうバレましたか」
「私がいくら愚鈍でも、こう続けてこちらに不利な状況が続くと内部の人間を疑いたくなるよ、君」
どこが愚鈍なものか。
と、吐き捨ててやりたい衝動を抑えるシュウヤ。しかし、
「まあ奪われた相手が判っていれば、いくらでも取り返しようがあるものだ。怖いのは、あれがこの世から消されてしまうことくらいだからね」
春夏秋冬は微笑んだ。
心から嬉しそうに、おぞましく。
「・・・・・・!?」
春夏秋冬の、あまりの余裕にシュウヤは絶句し、そして気がついた。
この男は、楽しんでいる。
何もかも、自分に不利な状況すらも。
そして、
最後に笑うのは自分だと確信している、と。
「おや、どうしたね?」
「・・・・・・・・・」
沈黙。
出来ることは、少しでもこの男から情報を引き出して、それを手土産に一刻も早くラグド商会に寝返る事と、シュウヤは判断した。
「さて、君には頼みたい仕事がある」
「・・・・・・」
「なに、そう身構えることは無いのだよシュウヤ君。実に簡単な仕事だ」
「・・・」
頑なに沈黙の体制を崩さないシュウヤ。
「放課後、サンプルno.444を確保しろ」
「・・・・・・とうとう、彼女を使いますか」
「うむ、時が熟したのだよ。行きたまえシュウヤ君」
座っていた無駄に豪華な椅子から立ち、春夏秋冬は窓から外を景色を見下ろす。
いや、その目は明らかに、自分以外のモノを見下す目であった。
「私の新世界に人など不要だ」
少女は病室で、ある夢を見ていた。
小さい頃、両親も知らず、生まれてからずっと孤児院にいた自分のある日の夢を。
あの時、あの日、あの場所で、あの二冊の本に出会った日のことを。
初めは幸せだった。
書いたことが、そのまま現実になる力。
誰もが望み、誰もがあこがれる力。
それが突然、小さい頃の自分の手に入ったのだ。幸せでない理由がなかった。
しかし、忘れてはいけない。
誰もが望み、誰もがあこがれる力なら。
どんな事をしても、手に入れたいと願う人間が出てくるものだということを。
最初の頃は丁寧だった。
最後の頃は地獄だった。
飛び交う銃弾。
交差する、正体不明の現象。
黒いスーツの男たちに、謎の黒い影。
孤児院の先生が死に、仲のよかった友達も死に、駆けつけた警察官も死に、少女は訳の判らぬまま、戦わざるをえなかった。
ペンを振るい、一、十、百、千の死を書き続け、ようやく少女は理解した。
この力は、決して人を幸せにする力では無いことを。
そして、誰にも知られてはいけない力だという事を。
ゆえに少女は己の存在をひどく恐れ、嘆き、苦しみ、やがて一つの結論に至った。
自分の存在が、無ければいい。誰にも興味を持たれなければいいと。
そして本にさまざまな内容の文章を書き込み、少女は己の人生を造り替えた。
決して、自分の存在に興味をもたれない様に、と。
念は念を入れ、社会で暮らせる最低限のつながりを残し、存在を抹消したはずだった。
「なんだよ、あんたもサボリ?」
一筋の、光明がさした気がした。
(それも、所詮は無駄なあがきでしたけど・・・ね)
夢と現実の狭間の中、佐藤ユイはそんな事を思いながらぼんやりとしていた。
二冊の魔具を失い、右目の光を失い、全身の感覚をどこかに置き去りにしてしまい、今ではこの世界で、ユイは無限に過去を振り返ることしかできなくなっていた。
(まだ、私は死なないのですか)
そんなことしか考えることしか出来ないユイ。
彼女の心は、すでに壊れかけていた。
そんな時だった。
(本当に、そうか?)
(本当に、そう?)
誰かの声が聞こえる。
(ユイ、お前はまだ生きている。)
(まだ、出来ることがあるはずよ?)
どこからともなく、距離も、時間も、空間も無いはずのこの世界の中で。
誰かの声が、はっきりと聞こえる。
不思議なことに、ユイはその声の主が誰なのかをはっきりと理解できた。
(お父様・・・お母様)
気がついたときには孤児院にいたユイだが、両親の声と理解できたことに、自分でも驚いていた。
(不思議なものです・・・こんな時に、こんな形で、やっと出会えるなんて)
(・・・・・・ごめんね)
(・・・・・・すまない)
わずかな沈黙。
(恨んではいませんよ)
((・・・・・・))
(むしろ、私はうれしい位です。ようやく、自分の家族に会えましたから)
それがユイの本心であった。
二度と会えないと思っていた両親に会え、永遠の孤独から開放された。
それだけでユイは満足だった。
だが、
(ユイ、お前は行くんだ)
(・・・・・・え?)
(あなたはまだ生きているの。今は休んでいるだけ、じきに目が覚めるわ)
ユイを突き放すかのような、残酷な言葉。
(なんで!なんで、やっと一緒になれたのに、また一人にならなきゃいけないの!?)
(二度と一人はいや!孤独なんてもういやだ!ずっとここにいたい!)
(お父様!お母様!)
何も無い世界に響くユイの慟哭。
時間など流れていないはずの世界で、無限のような沈黙が続く。
(・・・分かっているはずだ、ユイ。お前にはお前の帰りを待っている仲間がいる)
(・・・・・・!)
(ユイ、あなたはもう一人じゃないのよ?)
ユイの脳裏によぎる、学園の仲間たちの表情。こんな自分を受け入れてくれた仲間たち。
そうだ。
自分だけが孤独なのではない。
自分がいなくなって、孤独になるかもしれない仲間がいるかもしれない。
傲慢な考えだけど、もしも、もしかしたら。
自分が帰ることにより、助けられる仲間がいるのなら。
なら、自分に出来ることは。
(・・・・・・行きます、みんなの所に)
(分かっているよ、ユイ)
(なら、こいつを持って行け)
その言葉と共に無機質の世界が裂け、ユイの目の前に本が現れた。
黒地に白の不思議な紋様が入った本。
(命を司る冥王の力と世界を司る天王の力を封印した、最後の本型魔具)
(この先どうしても、仲間の為に戦いたいのなら持って行きなさい)
しばしの間、目の前に現れた本型の魔具を見つめるユイ。
残された左目は、もはや死者のそれではなく、生きとし、生ける者の目であった。
ユイは迷わず本を手に取り目の前の空間に一礼する。
(ありがとうございます。お父様、お母様!)
直後、無機質の世界が砕けた。
(気を・・・つけ・・て・・ね、ユイ・・・魔王・・・は)
(一筋・・・縄では・・・せない・・・たち・・・のよう・・・は・・決・・な・・・)
やがて両親の声が聞こえなくなり、ユイの意識は次第に遠のいていった。
コンコン。
「佐藤さーん、検診の時間ですよ?」
ユイが運び込まれた病院の看護婦が病室のドアをノックする。
だが、部屋からは返事がない。
「・・・・・・佐藤さん?」
返事が無いことを不審に思った看護婦は、あまり良くないなと思いつつもドアを開けた。
そこには開け放たれた窓と、もぬけの殻になったベッドがあるだけであった。
授業中も、昼食も、午後の授業も、帰りのホームルームも、今のタケシには気まずく、マキノには不快な時間であった。
焦燥、怒り、不安、疑問、後悔。
あらゆる負の思念が連なり寄り添い、結果、今まで二人の間では流れたことの無い、気まずい空気が流れていた。
トウヤとの死闘の後、魔王の力を失い学生寮で目を覚ましたタケシと、自分のあずかり知らぬ所で色んな事が起きている事が不満なマキノは、朝配られた、普段はろくに見もしないプリントでそれを知った。
休学の生徒のお知らせ 某月 某日
佐藤ユイ 右目失明 全身打撲による重症の治療のため
姫井トウヤ 過労による意識不明の重態のため
珠姫ネネ 同上
放課後。
「ちょっと待ちなさいってば!」
明らかに普段と違うタケシを、マキノは苛立ちと怒りを詰めた声で呼び止める。
「・・・・・・」
これ以上の沈黙は鉄球で破られると思ったタケシは、観念したかのように振り向く。
その表情は、何かを思いつめているかのごとく、深く、淀んでいた。
「なんでも、ない」
「嘘ね馬鹿。あんた、朝のプリント見てからずっとそんな腐れ顔じゃない!」
鉄球を構え、
「こちとら我慢の限界なのよ。さ、話しなさい。あんたが腐れた原因を、直々に粉砕してきてやるから!」
高まる持ち主の怒りに呼応するかのごとく、不気味に振動する村正。
「・・・・・・分かった」
ため息をつくタケシ。
「全部、話す」
タケシはすべてを覚えていた。
いや、朝のお知らせを見たとき、思い出していた。
自分が自分で無くなっていく感覚に襲われたことも。
身体がどんどん醜くなり、人外になっていくあの感覚のことも。
ユイの身体を吹き飛ばし、彼女の右目から光を奪い取ったことも。
彼女に止めを刺そうとし、マキノに止めてもらったことも。
親友であるトウヤに、取り返しのつかない怪我を負わせたことも。
後悔。
どんなにあがいても取り返しのつかない事態に、タケシの心は疲れきっていた。
もう皆に会わせる顔は無い。
マキノに、ユイに、トウヤに。
この先彼らと、同じ道は歩めない。
「・・・・・・なにが単位だ、なにが魔具だ。こんな事になるなら、初めからあんな話乗るんじゃなかった!」
「・・・・・・・・・」
「マキノ、俺はもう学園辞めて遠くに行く!二度と皆には迷惑かけねぇ!遠くから、償えることは全部する!」
じゃらり。
「だから、もう俺に構わないでくれ!」
刹那。
「でいぃぃぃぃぃぃぃやっ!!」
マキノの気合とともに放たれた村正(改)のロケットブースターが勢いよく火を噴き、タケシの体をいつものように派手に綺麗小洒落にふき飛ばす。
そう。
いつもどおりに。
以前から、何ひとつ変わりなく。
「んなもん知ったこっちゃないわよ、私は」
ぼろ雑巾のように成り果てたタケシに、堂々と上から目線でしゃべる。
「魔王だかなんだか私は知らないし、どうでもいいし、邪魔なら叩き潰す!」
タケシの胸倉をつかみ上げ、
「私が今!一番ムカっついているのは!」
鉄球ではなく、己の拳を振り上げ、
「あんたの、寂しそうなそのツラだぁぁっ!!」
タケシの顔面に、マキノの鉄拳が思い切り叩きつけられた。
「・・・すまん」
「分かればいいのよ、分かれば」
学生寮から少し離れた川原。
二人はそこで、沈んでいく夕日をぼんやりと見ていた。
「あいつらなら、きっと大丈夫よ。副委員長も、ユイちゃんも。そう簡単にいなくなる子じゃないわよ」
「・・・・・・そんなものかなぁ」
「そんなものよ」
さらさらと流れる水をBGMに、この日ようやくいつもの調子で話す二人。
「とにかく、今分かるのは学園長がキナ臭いってだけね」
鉄球の柄をさすりながら、マキノがぽつりと漏らす。
「だな。血の十字架 の件も、生徒会長の襲撃とかの事件も学園長が一口噛んでるかもしれないし、最悪学園長と戦うことになるかもな」
「燃えるわね!なら明日の朝にでも行ってみましょっか!」
恐ろしいことを平然と考える二人。
しかし、今の二人には恐れるものなど何も無かった。
たとえ、相手が誰であろうとも。
どんな悪であろうとも。
そんな二人のやりとりを、キョウヤは橋の上から聞いていた。
(やむなくサンプルの回収に動いてきたものの、こいつは面白い)
春夏秋冬の命でここまで来たものの、このまま彼の元にいていい物か。
スパイとばれていた以上、もはや自分は使い捨ての駒だろう。使いまわされた挙句、用が済めば、始末されるのは明らか。
脳裏に、自分が修復した姫井トウヤのすさまじい惨状が浮かぶ。
自分も、ああなるのか?
そう思うと、背筋がぞっとする。ヒーリングの力でも及ばない、即死級の攻撃を受けでもすればもう終わりなのだ。
そんな中、降って沸いてきたこの話。
(仮にあの二人が学園長を倒せば、自分の身の不安もなくなる)
そう判断したキョウヤは、この場は静観を決め込むことにした。
場合によっては、あの二人に協力する必要もあるか。
そんなことを考えていたキョウヤだが、ふと彼の視界に妙なものが映る。
二人のいる川原の向こうから、何台もの黒塗りの車が走ってくるのが見えた。
「―――――まずい」
キョウヤには、その車の出所に心当たりがあった。
ラグド商会。
この状況から考えられるに、目的は一つだろう。
魔具の確保。
そして、
適格者の始末。
「「・・・・・・・・・」」
次々と自分たちの周りをとり囲む黒塗りの車を前にしても、中からスーツの男たちが手に拳銃を持っていても、タケシとマキノは不思議と落ち着いていた。
自分たちが仕掛ける前に、向こうから仕掛けてきた。
ならば、やることは一つ。
こちらも、それ相応に歓迎してやろう。
「おぉうりゃあぁっ!」
ブースターを点火させ、村正(改)を思い切り振り回すマキノ。
破壊の大竜巻に飲み込まれた車や男が空に舞い、砕かれ、裂かれていく。
まず大きい車の残骸が落下し、続いてスーツをズタズタにされた男が落ちてきて、細かく砕かれた破片はついには視界に落ちてこなかった。
「距離をとれ!あれをこちらに近づかせるな!」
「ダメです!車も何も、盾になりません!」
近づいてくる破壊の旋風に対し、拳銃を構える者もいたが。
「させるか!」
派手なマキノの攻撃の影に紛れ、タケシは男たちの拳銃を一つ、また一つと奪いとり、竜巻に向けて放り投げる。
拳銃はさながらミキサーに入れられた野菜のごとく、粉々にされて空高く飛ばされていく。
武器を取られた男たちは、すぐにタケシを取り押さえようとするが、直後に迫り来る竜巻に飲み込まれ、これまた強制的に空を飛び地面に叩きつけられる。
「どうだぁ!」
破壊の嵐の中心で勝ち誇るマキノ。しかし、
「・・・・・・っ!?」
突然体勢が崩れ、地面を転がるマキノ。よく見ると、彼女の脚に、注射針のようなものが刺さっている。
ラグド商会が放った麻酔弾が、命中したのだ。
「マキノ!」
マキノの元に駆け寄ろうとするタケシ。
しかし、まだ残っていた男たちにすぐに地面に組み伏せられる。
「ぐ・・・・・っ!」
頭にグリと、何かが押し付けられる感覚がした。
「さんざんてこずらせてくれたな、適格者」
頭越しにガチリと何かの音が聞こえる。
拳銃だ。
マキノのほうを見るが、彼女も同じように男達に取り押さえられ、頭に拳銃が突きつけられている。頼みの綱の村正(改)も、彼らの手の届かぬ場所へどけられていた。
「死ね、春夏秋冬の手駒共」
男の指がトリガーにかかり、反射的に目を閉じるタケシ。
その時だった。
「書く必要は無い」
どこかで聞いた声がした。
ふと気がつくと、自分を取り押さえていた男が居ない。
「願いが文字となり、本に記されるから」
辺りを見渡すと、そこには不思議な現象が起きていた。
次々と男たちの存在が消えていく。
マキノを取り押さえていた男も、遠巻きに銃を構えていた男たちも。
「記された願いは、世界を変える。世界が書き換えられてゆく」
瞬きをする間、いつの間にか目の前から消えるように、跡形もなく男たちが消えていく。
初めから、この世に居なかったかのごとく。
「新世界の門 」
タケシは声する方へ振り向く。
そこに居たのは。
右目を黒い眼帯で覆い。
右手にサイズのあわない松葉杖を突き。
左手に本を携え。
同じ学園のセーラー服を着た少女。
声の主は。
「大丈夫ですか、タケシ君?」
「ユイ!?」
まるで幽霊を見たかのように唖然とするタケシ。
「ええ、正真正銘。まるっきり混ざり物なしの、佐藤ユイですよ?」
ユイはそういい、にこりと微笑む。
直後。
「・・・・・・っ!ぐっ!」
バシャとユイの口から赤い液体が流れ落ちた。
流れる液体を本を持っていない手で受けようとし、松葉杖のバランスを崩して倒れるユイ。
だれがどう見ても、大丈夫そうには見えなかった。
「お・・・・・・おい!?ほんとに大丈夫なのかよ!」
「な・・・・・・なんとか大丈夫です。この魔具のパワーを、制御しきれませんでした・・・」
少年誌の主人公のように松葉杖を突いて立ち上がり、口元の血をセーラー服の袖で乱暴に拭うユイ。
体勢を整えたユイは、しりもちをついている体勢のタケシに手を差し伸べる。
「行きましょう。絶望の灯は、まだ消えていませんから」
朝でも、昼間でも、ひょっとしたら夜でも同じ薄暗さかと思いかねない、学園の最北端に存在する学園長室。その室内で学園長、春夏秋冬はぽつりと呟いた。
「ええ。おまけに
「前線には出れるか?」
その問いに話の相手は肩をすくめ、
「無理、ですね。身体が修復されても、削りきられた心というものはそう簡単には直せません。良くて一週間は寝たきりですね」
「そうか」
「はい」
春夏秋冬はため息をつき、
「では、何もしていない姉のほうも彼と同じように昏睡状態にあるのはどうしてかね?」
一呼吸置かれ。
「シュウヤ君?」
春夏秋冬の話し相手―――シュウヤは、そう言われ罰の悪そうに頭をかく。
「流石ですね、もうバレましたか」
「私がいくら愚鈍でも、こう続けてこちらに不利な状況が続くと内部の人間を疑いたくなるよ、君」
どこが愚鈍なものか。
と、吐き捨ててやりたい衝動を抑えるシュウヤ。しかし、
「まあ奪われた相手が判っていれば、いくらでも取り返しようがあるものだ。怖いのは、あれがこの世から消されてしまうことくらいだからね」
春夏秋冬は微笑んだ。
心から嬉しそうに、おぞましく。
「・・・・・・!?」
春夏秋冬の、あまりの余裕にシュウヤは絶句し、そして気がついた。
この男は、楽しんでいる。
何もかも、自分に不利な状況すらも。
そして、
最後に笑うのは自分だと確信している、と。
「おや、どうしたね?」
「・・・・・・・・・」
沈黙。
出来ることは、少しでもこの男から情報を引き出して、それを手土産に一刻も早くラグド商会に寝返る事と、シュウヤは判断した。
「さて、君には頼みたい仕事がある」
「・・・・・・」
「なに、そう身構えることは無いのだよシュウヤ君。実に簡単な仕事だ」
「・・・」
頑なに沈黙の体制を崩さないシュウヤ。
「放課後、サンプルno.444を確保しろ」
「・・・・・・とうとう、彼女を使いますか」
「うむ、時が熟したのだよ。行きたまえシュウヤ君」
座っていた無駄に豪華な椅子から立ち、春夏秋冬は窓から外を景色を見下ろす。
いや、その目は明らかに、自分以外のモノを見下す目であった。
「私の新世界に人など不要だ」
少女は病室で、ある夢を見ていた。
小さい頃、両親も知らず、生まれてからずっと孤児院にいた自分のある日の夢を。
あの時、あの日、あの場所で、あの二冊の本に出会った日のことを。
初めは幸せだった。
書いたことが、そのまま現実になる力。
誰もが望み、誰もがあこがれる力。
それが突然、小さい頃の自分の手に入ったのだ。幸せでない理由がなかった。
しかし、忘れてはいけない。
誰もが望み、誰もがあこがれる力なら。
どんな事をしても、手に入れたいと願う人間が出てくるものだということを。
最初の頃は丁寧だった。
最後の頃は地獄だった。
飛び交う銃弾。
交差する、正体不明の現象。
黒いスーツの男たちに、謎の黒い影。
孤児院の先生が死に、仲のよかった友達も死に、駆けつけた警察官も死に、少女は訳の判らぬまま、戦わざるをえなかった。
ペンを振るい、一、十、百、千の死を書き続け、ようやく少女は理解した。
この力は、決して人を幸せにする力では無いことを。
そして、誰にも知られてはいけない力だという事を。
ゆえに少女は己の存在をひどく恐れ、嘆き、苦しみ、やがて一つの結論に至った。
自分の存在が、無ければいい。誰にも興味を持たれなければいいと。
そして本にさまざまな内容の文章を書き込み、少女は己の人生を造り替えた。
決して、自分の存在に興味をもたれない様に、と。
念は念を入れ、社会で暮らせる最低限のつながりを残し、存在を抹消したはずだった。
「なんだよ、あんたもサボリ?」
一筋の、光明がさした気がした。
(それも、所詮は無駄なあがきでしたけど・・・ね)
夢と現実の狭間の中、佐藤ユイはそんな事を思いながらぼんやりとしていた。
二冊の魔具を失い、右目の光を失い、全身の感覚をどこかに置き去りにしてしまい、今ではこの世界で、ユイは無限に過去を振り返ることしかできなくなっていた。
(まだ、私は死なないのですか)
そんなことしか考えることしか出来ないユイ。
彼女の心は、すでに壊れかけていた。
そんな時だった。
(本当に、そうか?)
(本当に、そう?)
誰かの声が聞こえる。
(ユイ、お前はまだ生きている。)
(まだ、出来ることがあるはずよ?)
どこからともなく、距離も、時間も、空間も無いはずのこの世界の中で。
誰かの声が、はっきりと聞こえる。
不思議なことに、ユイはその声の主が誰なのかをはっきりと理解できた。
(お父様・・・お母様)
気がついたときには孤児院にいたユイだが、両親の声と理解できたことに、自分でも驚いていた。
(不思議なものです・・・こんな時に、こんな形で、やっと出会えるなんて)
(・・・・・・ごめんね)
(・・・・・・すまない)
わずかな沈黙。
(恨んではいませんよ)
((・・・・・・))
(むしろ、私はうれしい位です。ようやく、自分の家族に会えましたから)
それがユイの本心であった。
二度と会えないと思っていた両親に会え、永遠の孤独から開放された。
それだけでユイは満足だった。
だが、
(ユイ、お前は行くんだ)
(・・・・・・え?)
(あなたはまだ生きているの。今は休んでいるだけ、じきに目が覚めるわ)
ユイを突き放すかのような、残酷な言葉。
(なんで!なんで、やっと一緒になれたのに、また一人にならなきゃいけないの!?)
(二度と一人はいや!孤独なんてもういやだ!ずっとここにいたい!)
(お父様!お母様!)
何も無い世界に響くユイの慟哭。
時間など流れていないはずの世界で、無限のような沈黙が続く。
(・・・分かっているはずだ、ユイ。お前にはお前の帰りを待っている仲間がいる)
(・・・・・・!)
(ユイ、あなたはもう一人じゃないのよ?)
ユイの脳裏によぎる、学園の仲間たちの表情。こんな自分を受け入れてくれた仲間たち。
そうだ。
自分だけが孤独なのではない。
自分がいなくなって、孤独になるかもしれない仲間がいるかもしれない。
傲慢な考えだけど、もしも、もしかしたら。
自分が帰ることにより、助けられる仲間がいるのなら。
なら、自分に出来ることは。
(・・・・・・行きます、みんなの所に)
(分かっているよ、ユイ)
(なら、こいつを持って行け)
その言葉と共に無機質の世界が裂け、ユイの目の前に本が現れた。
黒地に白の不思議な紋様が入った本。
(命を司る冥王の力と世界を司る天王の力を封印した、最後の本型魔具)
(この先どうしても、仲間の為に戦いたいのなら持って行きなさい)
しばしの間、目の前に現れた本型の魔具を見つめるユイ。
残された左目は、もはや死者のそれではなく、生きとし、生ける者の目であった。
ユイは迷わず本を手に取り目の前の空間に一礼する。
(ありがとうございます。お父様、お母様!)
直後、無機質の世界が砕けた。
(気を・・・つけ・・て・・ね、ユイ・・・魔王・・・は)
(一筋・・・縄では・・・せない・・・たち・・・のよう・・・は・・決・・な・・・)
やがて両親の声が聞こえなくなり、ユイの意識は次第に遠のいていった。
コンコン。
「佐藤さーん、検診の時間ですよ?」
ユイが運び込まれた病院の看護婦が病室のドアをノックする。
だが、部屋からは返事がない。
「・・・・・・佐藤さん?」
返事が無いことを不審に思った看護婦は、あまり良くないなと思いつつもドアを開けた。
そこには開け放たれた窓と、もぬけの殻になったベッドがあるだけであった。
授業中も、昼食も、午後の授業も、帰りのホームルームも、今のタケシには気まずく、マキノには不快な時間であった。
焦燥、怒り、不安、疑問、後悔。
あらゆる負の思念が連なり寄り添い、結果、今まで二人の間では流れたことの無い、気まずい空気が流れていた。
トウヤとの死闘の後、魔王の力を失い学生寮で目を覚ましたタケシと、自分のあずかり知らぬ所で色んな事が起きている事が不満なマキノは、朝配られた、普段はろくに見もしないプリントでそれを知った。
休学の生徒のお知らせ 某月 某日
佐藤ユイ 右目失明 全身打撲による重症の治療のため
姫井トウヤ 過労による意識不明の重態のため
珠姫ネネ 同上
放課後。
「ちょっと待ちなさいってば!」
明らかに普段と違うタケシを、マキノは苛立ちと怒りを詰めた声で呼び止める。
「・・・・・・」
これ以上の沈黙は鉄球で破られると思ったタケシは、観念したかのように振り向く。
その表情は、何かを思いつめているかのごとく、深く、淀んでいた。
「なんでも、ない」
「嘘ね馬鹿。あんた、朝のプリント見てからずっとそんな腐れ顔じゃない!」
鉄球を構え、
「こちとら我慢の限界なのよ。さ、話しなさい。あんたが腐れた原因を、直々に粉砕してきてやるから!」
高まる持ち主の怒りに呼応するかのごとく、不気味に振動する村正。
「・・・・・・分かった」
ため息をつくタケシ。
「全部、話す」
タケシはすべてを覚えていた。
いや、朝のお知らせを見たとき、思い出していた。
自分が自分で無くなっていく感覚に襲われたことも。
身体がどんどん醜くなり、人外になっていくあの感覚のことも。
ユイの身体を吹き飛ばし、彼女の右目から光を奪い取ったことも。
彼女に止めを刺そうとし、マキノに止めてもらったことも。
親友であるトウヤに、取り返しのつかない怪我を負わせたことも。
後悔。
どんなにあがいても取り返しのつかない事態に、タケシの心は疲れきっていた。
もう皆に会わせる顔は無い。
マキノに、ユイに、トウヤに。
この先彼らと、同じ道は歩めない。
「・・・・・・なにが単位だ、なにが魔具だ。こんな事になるなら、初めからあんな話乗るんじゃなかった!」
「・・・・・・・・・」
「マキノ、俺はもう学園辞めて遠くに行く!二度と皆には迷惑かけねぇ!遠くから、償えることは全部する!」
じゃらり。
「だから、もう俺に構わないでくれ!」
刹那。
「でいぃぃぃぃぃぃぃやっ!!」
マキノの気合とともに放たれた村正(改)のロケットブースターが勢いよく火を噴き、タケシの体をいつものように派手に綺麗小洒落にふき飛ばす。
そう。
いつもどおりに。
以前から、何ひとつ変わりなく。
「んなもん知ったこっちゃないわよ、私は」
ぼろ雑巾のように成り果てたタケシに、堂々と上から目線でしゃべる。
「魔王だかなんだか私は知らないし、どうでもいいし、邪魔なら叩き潰す!」
タケシの胸倉をつかみ上げ、
「私が今!一番ムカっついているのは!」
鉄球ではなく、己の拳を振り上げ、
「あんたの、寂しそうなそのツラだぁぁっ!!」
タケシの顔面に、マキノの鉄拳が思い切り叩きつけられた。
「・・・すまん」
「分かればいいのよ、分かれば」
学生寮から少し離れた川原。
二人はそこで、沈んでいく夕日をぼんやりと見ていた。
「あいつらなら、きっと大丈夫よ。副委員長も、ユイちゃんも。そう簡単にいなくなる子じゃないわよ」
「・・・・・・そんなものかなぁ」
「そんなものよ」
さらさらと流れる水をBGMに、この日ようやくいつもの調子で話す二人。
「とにかく、今分かるのは学園長がキナ臭いってだけね」
鉄球の柄をさすりながら、マキノがぽつりと漏らす。
「だな。
「燃えるわね!なら明日の朝にでも行ってみましょっか!」
恐ろしいことを平然と考える二人。
しかし、今の二人には恐れるものなど何も無かった。
たとえ、相手が誰であろうとも。
どんな悪であろうとも。
そんな二人のやりとりを、キョウヤは橋の上から聞いていた。
(やむなくサンプルの回収に動いてきたものの、こいつは面白い)
春夏秋冬の命でここまで来たものの、このまま彼の元にいていい物か。
スパイとばれていた以上、もはや自分は使い捨ての駒だろう。使いまわされた挙句、用が済めば、始末されるのは明らか。
脳裏に、自分が修復した姫井トウヤのすさまじい惨状が浮かぶ。
自分も、ああなるのか?
そう思うと、背筋がぞっとする。ヒーリングの力でも及ばない、即死級の攻撃を受けでもすればもう終わりなのだ。
そんな中、降って沸いてきたこの話。
(仮にあの二人が学園長を倒せば、自分の身の不安もなくなる)
そう判断したキョウヤは、この場は静観を決め込むことにした。
場合によっては、あの二人に協力する必要もあるか。
そんなことを考えていたキョウヤだが、ふと彼の視界に妙なものが映る。
二人のいる川原の向こうから、何台もの黒塗りの車が走ってくるのが見えた。
「―――――まずい」
キョウヤには、その車の出所に心当たりがあった。
ラグド商会。
この状況から考えられるに、目的は一つだろう。
魔具の確保。
そして、
適格者の始末。
「「・・・・・・・・・」」
次々と自分たちの周りをとり囲む黒塗りの車を前にしても、中からスーツの男たちが手に拳銃を持っていても、タケシとマキノは不思議と落ち着いていた。
自分たちが仕掛ける前に、向こうから仕掛けてきた。
ならば、やることは一つ。
こちらも、それ相応に歓迎してやろう。
「おぉうりゃあぁっ!」
ブースターを点火させ、村正(改)を思い切り振り回すマキノ。
破壊の大竜巻に飲み込まれた車や男が空に舞い、砕かれ、裂かれていく。
まず大きい車の残骸が落下し、続いてスーツをズタズタにされた男が落ちてきて、細かく砕かれた破片はついには視界に落ちてこなかった。
「距離をとれ!あれをこちらに近づかせるな!」
「ダメです!車も何も、盾になりません!」
近づいてくる破壊の旋風に対し、拳銃を構える者もいたが。
「させるか!」
派手なマキノの攻撃の影に紛れ、タケシは男たちの拳銃を一つ、また一つと奪いとり、竜巻に向けて放り投げる。
拳銃はさながらミキサーに入れられた野菜のごとく、粉々にされて空高く飛ばされていく。
武器を取られた男たちは、すぐにタケシを取り押さえようとするが、直後に迫り来る竜巻に飲み込まれ、これまた強制的に空を飛び地面に叩きつけられる。
「どうだぁ!」
破壊の嵐の中心で勝ち誇るマキノ。しかし、
「・・・・・・っ!?」
突然体勢が崩れ、地面を転がるマキノ。よく見ると、彼女の脚に、注射針のようなものが刺さっている。
ラグド商会が放った麻酔弾が、命中したのだ。
「マキノ!」
マキノの元に駆け寄ろうとするタケシ。
しかし、まだ残っていた男たちにすぐに地面に組み伏せられる。
「ぐ・・・・・っ!」
頭にグリと、何かが押し付けられる感覚がした。
「さんざんてこずらせてくれたな、適格者」
頭越しにガチリと何かの音が聞こえる。
拳銃だ。
マキノのほうを見るが、彼女も同じように男達に取り押さえられ、頭に拳銃が突きつけられている。頼みの綱の村正(改)も、彼らの手の届かぬ場所へどけられていた。
「死ね、春夏秋冬の手駒共」
男の指がトリガーにかかり、反射的に目を閉じるタケシ。
その時だった。
「書く必要は無い」
どこかで聞いた声がした。
ふと気がつくと、自分を取り押さえていた男が居ない。
「願いが文字となり、本に記されるから」
辺りを見渡すと、そこには不思議な現象が起きていた。
次々と男たちの存在が消えていく。
マキノを取り押さえていた男も、遠巻きに銃を構えていた男たちも。
「記された願いは、世界を変える。世界が書き換えられてゆく」
瞬きをする間、いつの間にか目の前から消えるように、跡形もなく男たちが消えていく。
初めから、この世に居なかったかのごとく。
「
タケシは声する方へ振り向く。
そこに居たのは。
右目を黒い眼帯で覆い。
右手にサイズのあわない松葉杖を突き。
左手に本を携え。
同じ学園のセーラー服を着た少女。
声の主は。
「大丈夫ですか、タケシ君?」
「ユイ!?」
まるで幽霊を見たかのように唖然とするタケシ。
「ええ、正真正銘。まるっきり混ざり物なしの、佐藤ユイですよ?」
ユイはそういい、にこりと微笑む。
直後。
「・・・・・・っ!ぐっ!」
バシャとユイの口から赤い液体が流れ落ちた。
流れる液体を本を持っていない手で受けようとし、松葉杖のバランスを崩して倒れるユイ。
だれがどう見ても、大丈夫そうには見えなかった。
「お・・・・・・おい!?ほんとに大丈夫なのかよ!」
「な・・・・・・なんとか大丈夫です。この魔具のパワーを、制御しきれませんでした・・・」
少年誌の主人公のように松葉杖を突いて立ち上がり、口元の血をセーラー服の袖で乱暴に拭うユイ。
体勢を整えたユイは、しりもちをついている体勢のタケシに手を差し伸べる。
「行きましょう。絶望の灯は、まだ消えていませんから」
byキング