こことは違う、どこか別の、とある世界の物語。

文明が発達した大地に、人間など容易に飲み込んでしまいそうな大きな亀裂が走り、かつて在ったであろう巨大なビル郡は崩壊している。どこまでも、広く、長く、続いていく荒野。人の気配など存在せず、もはや人間の住む世界とは、まるで思えない世界が広がっていた。

そこへ現れる一人の少女。

巨大なしもべを駆り、一筋の光も見えない、灰色の雲に覆われた空を飛ぶ。世界は闇に包まれ、暗黒の世界と呼ぶにふさわしかったが、もはやそう呼ぶ事の出来る人間はこの世界には、わずかしか残っていない。
少女は思い出の地を巡る。慣れ親しんだ家はもう存在せず、通いなれた懐かしい母校は瓦礫の山と化し、もはやその姿は原型を留めていない。

母校であった地の中心地に、石碑が建ててある。少女が作ったものだった。そこへ降り立つと、この世界のどこに咲いてたのか、菊の花をそっと飾る。
愛した家族、愛した友人、愛した人々の為に、少女は祈りを捧げる。
顔を上げると、決意を固めた表情がそこにはあった。今となっては形見となり、心の拠り所であった僕に触れると、少女の体は輝きを発し、少しずつ姿が消えていく。

終わってしまった世界の中、生き残ってしまった少女は最後の賭けに出る。
第三十話 村正
私立YS学園内の保健室に4人の姿はあった。

シュウヤによって導かれたタケシ達は、ここに移動するまで誰一人として、一言も発していなかった。
チクタクと正確に鳴り続ける、時を刻む音が支配する空間を、いつものように彼女が破壊する。

「……で、お兄ちゃん。学園長の目的ってのは何なの? もったいぶらないで、さっさと言いなさいよ!」
「やれやれ。相変わらず我が妹は、兄に対して冷たいねぇ」

肩を竦めてお手上げのポーズを決めるシュウヤ。
だが、それを口火に話しは切り出された。

「奴の狙いは、魔王の力を用いてこの世界を破滅させる事さ」
「「っ!?」」

一同に戦慄が走る。それは当然であった。春夏秋冬 神という男は、彼の言葉とは真逆の事をタケシ達にさせて来たのだから。

「…何でそんな事しようってわけ?」
「さぁね。そこまでは俺も知らない。だが、奴が人間を駆逐しようとしているのは間違いない」
「で、でも! 学園長は魔王を倒す為に、俺らに魔具集めをさせてきたんじゃないのかよっ!?」
「それは逆だな、タケシ。もし自分が魔王となった時、それに対抗し得る魔具が全て手元にあればどうなると思う?」
「っ! 邪魔者がいなくなる、のか……!」
「そうだ。まぁ目的は他にもあったようだがな……」

シュウヤは、チラっとユイを見やる。
その視線に彼女はハッと何かに気付き、保健室に来てから初めて声を発する。

「……もしかして、私ですか?」
「ご明察の通りだよ、ユイちゃん。キミと血の十字架クロスブラッドの存在が魔具集めに大いに関係してくる。魔具集めとは聴こえの良い呼び方だが、本来の意味はキミの持つ魔具、新世界の門ヘブンズゲートを手に入れたかっただけなのさ」

タケシとマキノの視線が、彼女の持つ特異な本へと向けられる。
ユイが死線をくぐり抜け、最愛の親から授かった新世界の門ヘブンズゲート。初めから、それを手に入れる為に春夏秋冬は動いていたというシュウヤの言葉を、にわかには信じ難かった。

「どうして、学園長自身が血の十字架クロスブラッドを使って探さなかったわけ?」
「あの魔具は適格者の潜在力、つまり魔力によって発動能力が変わるらしい。魔具を持った事の無いタケシが選ばれたのは、適格者としての器が小さかったからだ。だから、血の十字架クロスブラッドの最も弱く補助機能とも言える、魔具探知の能力が自在に操れたんだろうな」

それを聞いたタケシには、納得出来る部分があった。何故、自分が魔具探しの使命を与えられたのか、ずっと疑問に思っていた答えがそこにはあったのだ。
だがそれはつまり、学園長が血の十字架クロスブラッドを扱えば、強大な力になる事も示していた。

「でも、何でユイの新世界の門ヘブンズゲートが欲しいんだ? 最初から血の十字架クロスブラッドがあれば十分じゃねーか?」
「…私の新世界の門ヘブンズゲートの能力は、願った世界へと変える力。学園長の願う新世界へ導くには欠かせない魔具なのでしょう。でも、そのような事をすれば魔具の反動で学園長もただではすみませんよ?」

魔本の持ち主であるユイには分かる。血の十字架クロスブラッドに飲み込まれたタケシや、先刻の彼女が新世界の門ヘブンズゲートの使った反動を見ても、それは明らかだった。強大な魔具の力を制するには、莫大な魔力が必要なのである。だが、そんな魔力をたかが人間が持っているというのだろうか?いや、そんな事は不可能だ。そう、魔王でも無い限り――

「フッ。そこで登場するのが血の十字架クロスブラッドだ。魔王の生き血という絶大な魔力の塊があれば、それも不可能じゃない。おそらく、新世界の門ヘブンズゲートで復活した魔王を制し、自分の力へと変えようとしているのだろう」

いとも簡単にユイの考えていたロジックは打ち破られ、彼女はぐうの音も出なかった。再び無音の空間が辺りを支配し始めた時、めずらしく何かを思考していたマキノの口が開いた。

「よく考えたら、簡単な事じゃない? ようは、血の十字架クロスブラッド新世界の門ヘブンズゲートを渡さなければいいって事よね!? 楽勝じゃないっ!」
「……残念ながら、血の十字架クロスブラッドはすでに奴の手に渡っている」
「なんだって!? あの闘いの後、血の十字架クロスブラッドはトウヤが持って行ったんじゃないのか!?」

トウヤとの激闘は記憶に残っているものの、血の十字架クロスブラッドがシュウヤからリーへと手渡された事については、タケシも知らない。あの闘いの場にいたのは二人だけだったのだから、そう思っても仕方の無い事だった。

「実はそうじゃない。お前達の闘いの後、血の十字架クロスブラッドはラグド商会の者が手にしていた。何故そうなったのか(・・・・・・・・・)は知らないけどな」
「ラグド商会が……。つまり、リーというあの男は、学園長の協力者という事ですか?」
「そう話は単純じゃない。彼は唯一、春夏秋冬 神という存在をよく知っている人間だ。彼なりに奴のシナリオに抗おうとしたようだが……。残念ながらラグド商会はたった今、壊滅したらしい……」
「「えっ!?」」

先刻からラグド商会との連絡が取れない事から、すでにラグド商会が壊滅している事にシュウヤは気が付いていた。
そうなると、彼らがタケシ達の拉致に失敗したのはむしろ好都合だったと考えられる。捕まっていたのならば、もうすでに新世界の門ヘブンズゲートでさえも奪われていた可能性があるのだから。

「残されたのは、ユイちゃんの持つ新世界の門ヘブンズゲートだけって事さ。無論、ただでやるわけにはいかないが、奴も本気で奪いに来るだろう。こっちの生死など気にする事など無く、ね」
「……っ!」

少しづつ解けていく、学園長こと春夏秋冬 神のシナリオ。
あの日、タケシが血の十字架クロスブラッドを受け取った日から本格的な計画は始まっていた。それは寸分違わず彼の引いたレールの上を走り、今現在この状況に辿り着く。
迫る魔王復活の最中、突如現れた巨大な壁にタケシ達に為す術は無かった。

「……今考えてみると、タケシとトウヤをぶつけたのは唯一の対魔王の能力を持つ、剣型の血の十字架クロスブラッドを破壊する為だったのか……。成程、奴のシナリオは考えれば考える程、良く出来ているな……」

シュウヤの独り言にも聴こえる発言の中から、タケシはある事に気付いた。

「そうだっ! トウヤはっ!? トウヤはどこにいるんだ?」

タケシとの闘いに傷つき、力尽きたトウヤ。彼の安否は誰も知る者がいない。それは、彼を傷付けた張本人であるタケシにとって、最も辛い事実であった。

「……いるよ、そこのベッドにね。気持ち良さそうに寝ているよ」

そう言ってシュウヤが指を差した方向には、カーテンで覆われたベッドが一つ。タケシは迷う事無くカーテンに手を掛ける。だがその瞬間、飛び付かれたように腕を力強く掴まれた。

「開けてどうする気だっ! また闘わせるのか、彼をっ!!」

驚きと緊張でタケシの動きはピタリと止まる。いつになく真剣なシュウヤに、マキノでさえ驚いていた。
次第に握り締められている腕が痛み、自然とカーテンから手が離れる。それを見たシュウヤも、ホッと胸を撫で下ろし掴んでいた手を離す。
やがて自分の考え無しの行動に、タケシは嫌気が差し込み、床を眺める事しか出来なかった。

「彼はそこにいれば安全だ。俺の癒しの指輪(ヒーリング)で傷は癒されている。そのカーテンを開けなければ、一週間は目覚める事は無い」

怒鳴ってしまったフォローなのか、俯いたままのタケシの肩に手を置きポンポンと叩く。それは、余計にタケシ自身の無力さを自覚させるだけだった。

「もしかして、生徒会長もそこにいるのですか?」
「あぁ、ネネもいる。彼女達は奴の手駒だからな。トウヤの持つ対魔王への力が破壊され、血の十字架クロスブラッドが奴の手に渡った今、もう存在価値は無い。始末されるだけだからな」
「でも、こんなとこにいて安全なわけ?そもそも、この学園自体が学園長のテリトリーみたいなもんじゃないっ!もっと遠くへ逃がした方がいいじゃない?」
「だからこそ、だ。当然学園長はここにいる事に気付いている。だが、動けない状態だと知っているのならば、奴も彼女達を始末する必要はない。だとしたら、お互いに目を張れる場所に置いておいた方が良いだろう? 言わば、これは俺から奴への取引みたいなもんだ」

お前の代わりに二人を始末したから、手を出すな。それがシュウヤの、二人を守る最善の策だった。例え、癒しの指輪(ヒーリング)の空間から抜け出したところで、傷が癒えていないトウヤはまともに闘えるような状態では無い。それが、春夏秋冬が手を出してこない決め手である事も彼は理解していた。

「そっとしておいてやれ。それに今は、仲間よりも自分の心配をした方がいい。奴からどう身を守るか考えておけ。特にユイちゃん、君が一番危険だからな。……じゃあ、今日はもう遅いし、話は終わりだ。また明日な」

そう言って、すれ違い様にユイの肩にポンと軽く手を置き、そそくさと保健室を後にするシュウヤ。残された3人は付いて行く事もせず、ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
覚悟していた事とはいえ、あまりの状況に思考が追いつかず、どうすればいいのか、という議論が延々と頭の中をループしていく。

だが、やるべき事など一つしか無い。シュウヤの言っていた通りだとするならば、新世界の門ヘブンズゲートを守り抜く事しかないのだ。

「私は、この本を学園長に渡すつもりなんかありません。どんな事をしてでも、守ってみせます」

ユイにとって新世界の門ヘブンズゲートは、最愛の親から唯一譲り受けた大切な形見でもあり、仲間を守り抜く為の力でもある。彼女にとって、かけがえのないそれを、両手でギュッと握りしめる。

「そう……、そうだな! 俺達が守り切ればいいんだしな! 俺らが力を合わせれば、逆に血の十字架クロスブラッドを奪い返す事だって出来るかもしんねぇよなっ!? ……って、あれ?ユイ?」
「え? ……あっ!」

何時の間にか、ユイは突いていた松葉杖を離し、負傷していたはずの右脚で立っていた。すでに痛みは無く、ギプスを外してみると、右脚は元の姿を取り戻していた。
それどころでは無い。他にも血の十字架クロスブラッドに取り込まれたタケシとの戦闘で残った傷が、失ってしまった右眼以外は全て完治していた。

「も、もしかして……。癒しの指輪(ヒーリング)で、俺らの気付かない間に治してたのかよ。ハハッ、やっぱ凄ぇや、シュウヤの兄貴は!」
「……そんなわけないでしょ。そんな急激に能力を使えば、いくらお兄ちゃんだって尋常じゃあ無いはずの魔力――体力を消耗しているはずよ。あのバカ兄貴……っ! また無茶して……!」

タケシも彼が保健室を出ていく時に、妙によそよそしく感じていたが、そこまで考えは及ばなかった。これからユイに襲いかかるであろう、危機に備える為なのであろう。もうすでに戦いは始まっていた。

何にしても今のタケシにとって、自分の『罪』であるユイの傷が癒えた事で、ほんの少しだけ心が救われた気がした。だが、ならばトウヤの傷も完治しているのではないだろうか? そんな疑念がタケシの脳裏をよぎったが、シュウヤの一言が歯止めとなり、それ以上は考えなかった。

「じゃあ、シュウヤの兄貴を追った方が良くないか? もしかして、倒れてたりするんじゃ……」
「バカね! そんな姿を私達に見せたくないから、先に行ったんでしょっ!? ……それに、お兄ちゃんだって最低限の体力ぐらいは残してるわよ……」

徐々に凋んでいくマキノの声。どこか希望とも取れるそれは、彼女の心情を表していた。

「……明日、お礼を言わないといけませんね。それにしても、何故あそこまであの人は知っているんですか? まるで……」

まるで、学園長に協力していたみたいですね。ユイはそう言葉を続けようとしたが、妹であるマキノを前に、その先は声にならなかった。

事実だけを見るならば、彼女は正しい。槇野シュウヤという人間は、初めから裏切る為に春夏秋冬に近付き、彼の計画に加担していたのだから。
そうであるならば、彼は信用に足る人間なのだろうか? 彼こそが春夏秋冬の最後の下僕なのではないのだろうか? いくら借りを作ったからといって、死線を何度も潜り抜けてきたユイが、その結論に達してしまうのは致し方無い事であった。

だが、そんなユイの考えを打ち消すような発言が、マキノの口から飛び出される。

「私ね……。実は記憶が無いのよ……」
「「……!?」」

突然の告白に、固まる二人。突拍子も無く放たれた一言は、彼らを釘付けにした。

「もう2年前位かな……。私はこの学園で目を覚ましたわ。自分のいるココがどこかも分からないし、自分が誰かも分からない。記憶喪失なんて半信半疑だったけど、まさか自分がなるなんて思いも依らなかったわ」

マキノは語り始める。自身のルーツについて。そして、槇野シュウヤという男について――



――巨大な学園の中庭に、一人投げ出されたかのように、ポツンと彼女はそこに存在した。それはまるで、模型の学園に一体の人形を置いたかのように。右も左も分からない土地で、ただ一つ、馴染みのある刺鉄球が傍らに落ちていた。

「……どこよ、ココ……?」

何故自分がこんな状況に陥っているのか、まるで理解出来ず、ただただ混乱するばかり。落ち付いて考えようとすればする程、冷静ではいられなくなっていった。
何か思い出そうにも、何も思い出せない。せめて、自分の名前くらい分からないものか、自身の衣服をまさぐり手掛かりを探したが、見つからない。何故か胸の小ささが気になったが、何かコンプレックスでもあったのだろうか?

「もう、何なのよ! 無性に腹が立ってきたっ! なんで私がこんな目に合わないといけないのよーっ!」

知らない世界に放り込まれ、遂に感情は爆発した。刺鉄球の持ち手を握り締め、喚き散らしながら辺り構わず破壊していく。
幸い、学園は休みなのか生徒は見当たらなかった。怪我をする者はいなかったが、このまま彼女の気が済むまで破壊を続けさせたら、学園は廃墟と化してしまうだろう。

荒れ果てていく中庭。崩壊していく校舎。
それを止めたのは、彼女の腕を掴む突如現れた手だった。

「……ここで何してる? うちの学園の生徒じゃない奴に暴れられると、風紀委員として見過ごすわけにはいかないんだが……」

やれやれ、といったところで、男はため息を吐いた。どこか特徴があるような、しかしてどこにでもいそうな風貌の男だった。おそらく、自分から行動するタイプの人間じゃないのであろう。自分の役職として、仕方なく彼女を止めたというのが、顕著に表れていた。

未だなお、掴まれた腕を振りほどこうとする彼女に対し、男はギュッと強く腕を握りしめた。やがて彼女の抵抗は弱々しくなっていき、男へと振り返った。

「……だれよ?」

瞳には涙が今にも零れそうな程、溜まっていた。後の彼女を知る者が見たならば、あまりの驚愕の姿に言葉も出ないだろう。それ程までに、彼女は弱っていた。

だがこの時、対峙していた男には、別の衝撃が体の中を駆け巡った。初めて顔を合わせたはずだったが、男は彼女を知っていた。姿形こそ彼の知るそれとは違っていたが、直感が間違い無く、自分の良く知る人間(・・・・・・・・・)だと告げていた。

「お前……! 何だ一体……っ!? 何でそんな姿をしている……?」
「……っ!? 私のこと、知ってるの……?」

彼女にとって、何も知らぬ地で、初めて自分を知る手掛かりを得た気分だった。絶望しかけた感情は、うって変わって希望と期待に心が膨らんだ。
片や混乱。片や歓喜。二人の心は対称的なまでに、正反対だった。



場所を移し、男のお気に入りの一室である保健室へと移動していた。
そこで、彼女は自分の現状を彼に伝え、不安で一杯な心の想いをぶちまけた。それだけで、彼女は心が少し楽になった、そんな気がしていた。

「……成程ね。記憶喪失ってわけか……。大体、お前の状況は理解出来た」
「じゃあ、今度はあんたの番よ! 私の事、知ってるんでしょ? とっとと言いなさいよっ! っていうか、そもそもあんた一体何者なわけ?」
「初対面の割には、随分威勢のいい娘だな。普通そういう聞き方するか?」
「あんただって、私のこと『お前』呼ばわりしてんじゃない! お互い様よっ!」
「ハハッ。こりゃ、一本取られた!」

お得意のおちゃらけた雰囲気を持つこの男に、彼女もどこか懐かしい感覚を感じていた。誰だか思い出したわけでは無かったが、こんな小さなやり取りの中にも、記憶を取り戻す手掛かりがある、そんな気がしていた。

対して、男は悩んでいた。自分が知っている情報を、彼女に伝えてしまっていいのだろうか? 彼女がここに現れた目的を、先に探るべきじゃないか? だが、もうはぐらかすのは無理そうだ。もはや語るしか道は無い。そう男は決意し、意思を固めた。

「……まず、俺の名前は槇野シュウヤ。この私立YS学園の1年生で、風紀委員の副会長をやらしてもらってる」
「風紀委員ってのはさっき聞いたし、あんたの事なんてどうでもいいわ。私が聞きたいのは、私の事について!」
「それが関係無いってわけでもないんだな、これが……」
「なにもったいぶっちゃってるわけ? 早く言いなさいよっ!」

彼女は身を乗り出し、彼――シュウヤの言葉に耳を澄ませる。

「……お前は俺の妹によく似ている」
「……はぁ?」

彼女は拍子抜けし、肩の力が抜ける。期待していた結果がこれだ。彼女にとってみれば、唯一の希望であった情報源が全く役に立たない、頭のおかしい奴だったのだ。驚嘆の声を上げる以外、続く言葉が出なかった。

もう用は無いので、話を切り上げて出て行こうかとも考えたが、一応最後まで話を聞く事にした。

「……それで? あんたの妹に似ている私が、何かの拍子に頭を打って、記憶喪失になっちゃったってわけ? 大体、よく似ている(・・・・・・)って何よっ! 自分の妹かもしれないのに分からないの!?」
「待て、落ち着け。当然の疑問だが、よく聞いてくれ。似ているっていうのは、俺の知っている姿とは違うって事だ。俺の妹の、今の姿とはな」
「だから、何だっていうのよっ! じゃあ一体、あんたの妹ってのはどんな娘なわけ?」
「いいか? 落ち着いてよく聞け。俺の妹は……」

シュウヤは、ポツリと呟くようにその先の言葉は発し、それを聞いた彼女は目が丸くなる。あまりに意味のわからないシュウヤの言葉に、彼女は失望を隠し切れず、遂に言葉を失った。とんでもない奴に捕まってしまったな、そう考えていた。

「……あんたの言ってる事が本当なら、私は未来かどっかから来た、あんたの妹ってわけ?」
「そう言う事になるな。お前にはとても信じられないだろうが……」

それは、至極当然の出来事だった。いくら、記憶を無くした状態とはいえ、そんな非科学的な事を言われて「はい、そうですね」なんて、言える奴はいないだろう。
呆れて反論する気にもなれない彼女に対し、シュウヤは彼女の持つ刺鉄球を指差す。

「それは魔具と呼ばれる代物だ。我が槇野家に代々伝わる伝説の魔具『村正』。それも俺の知っている形とは若干違うようだが、もしも、俺の知っているよりも強力な能力だとするならば、時空間の移動は不可能では無い。そして『村正』を持っているという事は、俺の一族であるという事に違いない。同じ魔具は二つ存在しないからな」

魔具の存在を知らない彼女にとって、シュウヤの話は暴論に過ぎなかった。その上、『村正』を持っていたからといって、彼の一族の人間とは限らない。譲り受けたのかもしれないし、拾ったのかもしれない。それこそ、奪ったのかもしれない。そんな思考が頭の中をよぎる。

「私は魔具なんて知らないし、何で私がこれを持ってるかも知らないわ。だから、これを持っている事が、私があんたの妹だって証拠にならないわね」
「重要なのは、『村正』を所持している事じゃない。『村正』に反発されずに持ち続けていられる事なんだ。まぁ、それを今のお前に言っても仕方無い事だろうがな。俺に言えるとすれば、ただ一つ。お前は、自分自身を他人の物を大事に扱うような人間(・・・・・・・・・・・・・・・)に思うか?」

シュウヤの問いに、彼女は考える。記憶を失くしたからといって、元々の性格や本質は変わらない。それは、長年染み付いた癖や動きを、体自体が記憶しているからだ。これまでに積み重ねてきた人生という経験は、思考回路にまで及ぶ。

考え抜いた末に彼女が出した答えは、NOだった。

「ようやく理解してくれたようだな? 『お兄ちゃん』なんて可愛らしく呼んで慕ってくれていた奴が、ちょっぴり凶暴に成長したようだが、お前は間違い無く俺の妹だ。例え、体や顔つきが変わろうとも、妹を見間違えるような兄はいない」

シュウヤの真っ直ぐな気持ちが、彼女の心に突き刺さる。嘘偽りの無い、兄妹だからこその言葉。彼の瞳は、初めから彼女の本質を見抜いていた。
兄としての言葉と眼差しに心が動かされ、彼女は彼の言葉を信じてみたくなった。

「……本当に私は、あんたの妹……なの?」
「始めから、そう言ってるだろ? 記憶を失くしたとはいえ、お前からしてみたら、兄の昔の姿に会ってるんだ。感動の再会だろ? 抱きついてくるか? その薄い胸で――」

そう言い終わるや否や、渾身の右ストレートがシュウヤを襲い、悲鳴の様な声を上げながら、文字通り吹き飛ぶように保健室の壁へと叩きつけられる。そのままズルズルと崩れ落ち、地べたに這いつくばる。
気を失いそうになりながら、シュウヤが顔を上げると、そこには仁王立ちの鬼がいた。

「分かったわ……。今ので少し思い出した気がする、あんたの事。セクハラが大好きなエロ男。認めてあげるわっ! このエロお兄ちゃんっ!」

鬼の表情から一転、恥ずかしそうにそっぽを向きながら彼女は怒鳴る。そこまで恥ずかしいなら「お兄ちゃん」なんて呼ばなきゃいいのに……。と、シュウヤは思わず笑みが零れる。
彼女が記憶を取り戻したわけではなかったが、そこには確かに兄妹と呼べる絆が存在した――


「――それが2年前の、お兄ちゃんとの出会い。それから私は、お兄ちゃんの協力でこの学園に入学して、記憶を呼び戻す手掛かりを探していたわ。後はあんたたちの知ってる通りよ」

マキノの話をただ黙って聞いていた二人。これまで知る事の無かった彼女の過去に触れ、想像もしていなかった真実に驚愕する。

だが、ユイには納得出来る部分もあった。以前に小宇宙の記憶(コスモメモリー)でマキノの記憶を読んだ際、彼女に関する項目が少なく、余白が多かったのだ。
3歳児の赤ん坊ならともかく、本来、十数年生きている人間の情報とは膨大な量である。しかし彼女の場合はそれが極端に少なく、大きく書かれた「ツンデレ」の文字が目立ってしまっていた。ユイ自身はそれを彼女の性格ゆえ、と考えていたが、真実はそうではなかった。

「じゃあマキノ、お前は未来から来た人間って事か……?」

恐る恐る顔色を伺いつつ、タケシは問いかけた。
フッと笑みを浮かべ、彼女はその問いに答える。

「そうよ。私はこの世界よりも、おそらく数年後からやってきたわけ。まぁ未来がどんなだったかも覚えてないし、ここへやってきた理由も思い出せないんだけど。でも、学園長の目的が分かった今、私がここにいる理由は大方察してるけどね」

学園長の目的が人類の滅亡だとして、もしもそれが、どんな形であろうと達成されてしまったのだとしたら……? そこには何も無い、ただ空虚だけが広がる世界。そんな世界で、彼女が生きていたのだとしたら? 過去へ遡る術を持ち、それを扱えるような力を持っていたら?
やる事は一つだろう。彼女の性格から、それは容易に想像出来る。

だが、それはもう一つの絶望的な事実が在る事も示していた。

「マキノさんの言う通りだとしたら、それはつまり……私たちは学園長に敗北しているって事ですよね……」
「でも、そこに今の私はいなかったわ(・・・・・・・・・・)。そして、一度そうなった事を、今ここにいる私たちは知っている……って、お兄ちゃんなら言いそうね。ったく、突然いなくなったと思ったら、いつの間にか私以上に未来について詳しそうなんだから……」

マキノが未来から来た事を、唯一知っていたシュウヤ。彼は妹の為に、記憶の手掛かりを探し続けた。だからこそ、春夏秋冬やラグド商会について探る事が出来たのだろう。そのおかげで、タケシ達は現状を把握し、何をすべきなのか、理解出来た。

だが、逆に言ってしまえば、未来の妹に会ってしまったからこそ、彼の人生は変わってしまった。もっと平凡な、何のやっかい事も無い普通の学生生活もあっただろう。しかし、彼はその道を捨て、あくまでも妹の為に危険を顧みず行動し続けた。兄である彼を巻き込んでしまった事をマキノは理解していた。

思わず感情が溢れだしそうになるが、きゅっと唇を噛み締め、気付かれないように顔を伏せた。

だが、その何気ない細かな動作を見逃さない男がいた。
男はコツコツと靴音を響かせ、マキノの前までやって来る。次の瞬間、彼女に衝撃が襲った――

「俺はっ! お前の過去なんか知らねぇっ! 未来がどうなってるかも興味ねぇっ! とにかく今は、わけわかんねぇ野望抱いてる学園長をぶっ飛ばす!……そんで、ゆっくりと兄孝行してやろうぜ?」

自分を奮い立たせるように、顔を真っ赤にしながら、声を張り上げて叫ぶタケシ。
一瞬何が起こったか分からず、混乱するマキノ。気付くと、彼女は彼の腕に包まれていた。

ドクンドクンと心臓の鼓動が、お互いの体を伝い響き渡る。それが二人の距離をより意識させた。
早くこいつを殴らねばっ! なんて考えがマキノの頭をよぎるが、思う様に体が動かない。それはタケシが彼女を強く抱きしめているからでは無く、彼女の心が彼を離したがらなかったのだ。
お互いの目がふと合い、時間が止まったように、二人の動きが止まる。それは数時間にも感じられた、数秒の出来事だった。

魔法の呪文を解くように、沈黙者は居づらそうに咳払いをした。その声でマキノはバッと勢いよくタケシから離れ、近くにあったいつものアレを握りしめる。

「なにしてんのよぉおおぉおぉっ!」
「ぐおぉおおぉぉおぉおおぉおっ!!」

顔面に村正(改)を食らい、いつかのシュウヤの如く保健室の壁に叩き付けられ、崩れ落ちるタケシ。そのまま意識も消沈。
ぜーはーっと、緊張が解け息を大きく吸うマキノ。沸騰した顔は真っ赤なままだった。

「え、え〜っと……あ、あ、当たり前でしょっ!? 学園長は絶対ぶっとばすわよ! それに私は今のこの生活が気にいってるの! だから、あんたらも協力しなさいよねっ!」
「フフッ、もちろんです。皆さんがいて、私の学園生活も成り立っていますから……!」

イイものを見たと言わんばかりに、満面の笑みでユイが答える。「何笑ってんのよっ!?」なんてマキノがツッコむが、彼女の心を煽るだけという事に気付いていなかった。イラついたマキノが、腹いせで意識を呼び戻すような強烈な一撃をタケシに浴びせた。
先程までの暗い雰囲気から、うって変わって、保健室の中は笑い声と怒鳴り声、悲鳴が木霊する。

三人はより強固な絆で結ばれる。来るべき決戦の時に備えて。



そんな保健室から数百メートル先の通路に、その男の姿はあった。
ユイの治療に全体力を使い果たし、消耗しきった体は言う事を聞かない。壁に背をもたれる様に、地べたに座っていた。

「そろそろか……?」

そわそわと時間を気にしていると、シュウヤの目の前の空間が歪み始める。やがて、それは姿を現し、小さな竜と共に着地する。

「遅かったじゃないか……リン。もうクタクタなんだ。寮まで送ってくれ」
「連絡があったから何かと思ったら……もうっ! レヴァはタクシーじゃないんだよっ! こんな事で呼ばないでよっ!」

突如、現れた少女――リンは、プクーっと頬を膨らませ、怒りを顕わにする。

「まぁ許してくれよ……? お前の大好きな兄(・・・・・・・・)の頼みだと思ってさ。それに、そんな便利な魔具である『村正(・・)』を使わないなんて、勿体ないぜ?」
「ちがうよっ!むらまさ、なんて変な名前じゃなくて、レヴァはレヴァだもん! ねっ?」

青色の小さな竜は、リンの声に呼応するように鳴き声を上げる。リンが軽く指でつつくと、遊んでもらえると思ったのか、彼女の周囲をぐるりと飛び回る。

「やれやれ……。『村正』に選ばれた人間は、成長するまで器である刺鉄球を外し、核である水晶と行動を共にすると言うが……。ここまで魔竜と仲が良いのはお前ぐらいだよ、リン」
「そんなの当たり前だよっ! レヴァは大好きな友達だもんっ! ずっと一緒にいるもんねっ」
「これがあと数年もすれば、刺鉄球を振り回すようになるんだよな……。ホント、女ってやつは、男には理解出来ないもんだな」
「へ? お兄ちゃんなんか言った?」

いや、何も。と答えるように手を振るシュウヤ。
彼は、妹と未来の妹を会わせる事のないようにしてきた。それが未来の妹の記憶を取り戻すきっかけであろうとも、今この世界にいる妹の影響が計り知れない。二人が出会う事自体が、未来の彼女の存在を危険にさらしてしまうのでは? という考えからだった。
ただ結果として、彼の努力空しく妹達は出会ってしまった。お互いの素性を知る事の無いままに。

兄に体のいいようにはぐらかされ、頭にクエスチョンマークをたくさん浮かべながら、リンは転送の準備を行う。
シュウヤはそれを黙って見ていると、ふとポケットに入ったあるものを思い出し、取り出す。最後にラグド商会に寄った時に、勝手に持ち出したある物。

「なぁ、リン。お前もいずれ、刺鉄球を持つ事になると思うが、スイッチ一つでロケットブースターが使えたらカッコいいと思わないか?」
「えー、いらなーい。あのトゲトゲこわいから、きらいだもんっ!」
「……そのセリフ、一番聞かしてやりたい奴がいるね」

そう言って、手に持った『村正ブースター』を眺めると、再びポケットへとしまいこんだ。
あとがき

長くなっていつもすいません。執筆期間とか、1話の長さとか、色々。
今回は完全に説明回ですね。視点がころころ変わるので、読みづらかったらすいませんでした。
物語もそろそろ終盤なので、頑張っていきまっしょい!
by絶望君