ある晴れた日の出来事。
記憶を持たぬ私はこの世界で兄と名乗る人物に出会い、彼に誘われるまま、このYS学園へと入学した。
記憶を取り戻す事以外に関心が無かった私に、兄は「俺と同じ風紀委員になったらどうだ?」と勧めてきた。特に考える事も無く、私はその提案に乗った。
しかし、存外にこの仕事はやりがいがあった。何もする事の無かった私に、仕事という目的が出来たし、このYS学園の風紀を乱す者には容赦無く、『鉄槌を下す』。このスタンスが私には合っていた様だった。
そして今日も、このだだっ広い校内を風紀が乱れていないか巡回している。もちろん、その手には村正(改)を握り締めながら。
「―――んだっ! てめぇっ!――うぐっ!?」
廊下の先にある空き教室から聴こえてくる罵声。「やれやれ、今日もか…」などと思いながらも、心の奥底では胸が躍っていた。
急いで駆け付けると、一人の男子生徒が、上級生と思われる三人組の生徒を叩きのめしていた。
「ちょっとっ! あんたたち! なにやってんのよっ!?」
「やべっ!風紀委員だっ!――くそっ、覚えてろよっ!?」
三人組は各々殴られた箇所を押さえながらも、颯爽と逃げ出していった。残されたのは私と、逃げる機会を失って目の前に茫然と佇む男子生徒。
「さぁて、逃げ出さなかったのは褒めたいところだけど、何があったか教えてもらうわよ?」
「いや、ちょ、ちょっと待ってくれ。これには深い事情が――って魔具っ!?」
私が村正(改)をちらつかせると、やましい気持ちがあるのか、彼は怯え始めた。
「フン、どうせ喧嘩かなんかでしょ? でも、私は喧嘩両成敗派だから、あんたも――ん?」
説教の一つでもしてやろうかと思った矢先、私は気付いた。彼が持っている三つの茶封筒に。それには紛れも無く、大きく三文字で中身が何なのか記されていた。
私の視線に気付いた男子生徒は、サッとそれを腰元へと隠した。もう遅いっつーの。
「……あんたそれ、『給食費』よねぇ? まさか、あの三人から盗んだってことかしら?」
「いや、奪い取ったと言われればそうだけど、いや、そうじゃなくて、えっと――」
「――ふ〜ん、『奪い取った』のね? わかったわ、もう十分よ……っ!」
言い訳苦しい男子生徒を無視して、私は手に持った村正(改)を構えて大きく振りかぶった。
「ままま、待って、待ってっ!? これには理由が――っ!!?」
「問答無用っ!!!」
彼はぐしゃりと鉄球に押し潰され、そのまま窓を割って外へと放り投げ出された。まぁここは一階だし、死にはしないだろう。むしろ、窓を割ってしまった事の方が問題である。また、あの生徒会役員にどやされてしまう。そうなる前に逃げてしまうか。
そう考えると、私は落ちた三つの茶封筒を拾い上げ、教室へと戻った。
――後で聞いた話だけれど、どうやら彼は本物の給食費泥棒である三人組からそれを取り返したところを、私にぶっ飛ばされた様だ。なんとも不運な奴である。
それから数時間後、私は教室で昼食を食べていた。
もっぱら昼食は食堂で購入した菓子パンだ。教室の中には自分で作ったお弁当を食べている子もおり、少しだけ彼女達を羨ましく思う。いくら天才的な私でも料理という物はダメなのだ。
食堂で給食を取れるが、あの広い食堂に一人で食事をするのは気が引けていた。
一人で自分の机で食べていると、教室の様々な声が聴こえる。
男子達のくだらない談笑や、女子達の世間話、中には私と同じ様に一人で食べている者もいる。そうして黙って聞いていると、今日もまた私の話題が出てきた。
「……ねぇ、誰かあの子も誘ってあげなよ?」
「え〜!? でもあの子、風紀委員のせいか厳しいし、なによりアレが…」
そう言って彼女達が決まって見つめるのは、村正(改)。魔具を持っているの人間は、好奇心や偏見な目で見られる事が多い。兄に教わった事だが、まさしくその通りだった。この学園に入学してから友人と呼べる人物はいないし、頼れるのも兄だけだった。
別にそれでも構わないと思っているし、元々記憶が無いから一人でいる事には慣れてしまっていた。
そんな事を考えていると、突然勢いよく教室のドアが開かれた。一同が驚き注目する中、何故か傷だらけの男子生徒が入ってくる。
「いやぁ〜、まいった、まいった。まさか校庭で気絶するハメになるとは……あれ?」
彼はこちらを見て、何かに気付いた。私もまた、彼の顔を見て思い出す。
「さ、さっきの暴力鉄球女っ!!?」
「さ、さっきの給食費泥棒っ!!?」
ほぼ同時に発せられて言葉は、互いに互いを罵りあっていた。
まさか、同じクラスの人間だったとは全く気付かなかった。どうやら私の勘違いでぶっ飛ばしちゃったけど、勘違いさせるこの男の態度も悪いわけだし、何となく謝るのはプライドが許さなかった。
そのまま男は一直線に私の方へと歩いて来ると、机の前で立ち止まる。お互いに睨み合う形になった。
「…なに? また吹き飛ばされたいわけ?」
「さっきのは濡れ衣だ。そんな事よりソレよこせっ!」
「ちょ、あっ!?」
そいつは私の持っていた食べかけの菓子パンを奪うと、よほど腹が減っていたのか一気に口に放り込んだ。これってもしかして、間接キス?
「あ、あ、あああんた、何すんのよっ!?」
突然の行動に動揺したせいか、声が震えてしまった。
「ふんっ、これで許してやんよ。ってかお前、一人で飯食ってんのか?」
「…別に、あんたに関係無いでしょ? それよりも、あたしのパン返しなさいよっ!」
「もう無理。それじゃあ俺と飯食おうぜ。どっかの誰かさんにぶっ飛ばされたせいで、給食くえてねーんだよ。お前のよこせ」
「バ、バッカじゃないの!? なんで、私があんたと食べなきゃいけないわけ?」
「でも一人より、おもしれぇーだろ?」
思わず目が点になった。真顔でこんな事言う奴、始めてだ。あまりのこいつの態度に、クスッと笑みが零れる。
「――なんだ、笑うと結構可愛いじゃん。もっと笑っとけよ、似合うんだからさ」
突然の褒め言葉に顔が赤くなる。何なのコイツ、調子狂うわ。
「あんた、名前は?」
「……なんであんたに名乗らなきゃ――」
「いいから、名前は?」
「……マキノ」
「ふ〜ん、いい名前だな。俺、タケシ! よろしくなっ!」
「あんたなんか知らないわよ。この給食費泥棒」
「だからそれは濡れ衣だって! あれはあの三人が――」
――タケシの話は食事中に終わる事無く、授業を挟んで放課後まで続いた。
それが、私とこの馬鹿、タケシとの出会いだった―――
第三十四話 終結の刻
巨大な学園の中で、対峙する意思と意思。
向かい合う両者の胸の内には、それぞれの想いを秘めている。
片や世界の全てを滅ぼさんとする者。片や世界を救おうとする者達。
決して交じり合わさる事の無い、互いの理想の世界。
ぶつかり合う意地の先に待つものは、まだ誰も知らない。
だが、その時は刻一刻と迫っていた―――。
照りだした太陽の光が校庭を覆う中、タケシの渾身の一撃が春夏秋冬へと迫る。
大きく振りかぶったモップを、体をかわして避ける。次に男の視界に入ってきたのは、待ち構えていたとばかりに少女が本を構えている姿だった。
「君のソレはもう見飽きたよ」
ユイが新世界の門 を使うよりも早く、春夏秋冬は瞬時にタケシから奪ったモップを投げつけた。血の十字架 から溢れ出る、魔王の力で投げたモップは、驚異的な速さでユイへと差し迫っていく。
咄嗟に新世界の門 の力でモップを弾き、間一髪で難を逃れたユイ。だが――
「ッ!!?」
モップと同様に、眼前に迫っていた春夏秋冬に対しては為す術も無かった。せめてと言わんばかりに、か細い腕を十字に交差し備える。だが、その攻撃は魔王の一撃。当たってしまえば、どんな筋骨隆々な男でもただで済むはずがない。死線を潜ってきたユイですら、恐怖心が込み上げる。
放たれた悪魔の様な一撃。しかし、爆ぜたのはユイの体では無く、校舎の壁であった。
間一髪、瞬時にトウヤがユイに跳びかかり、難を逃れていた。
「ユイ!?――なにしてくれてんのよ、このおっさんっ!うりゃあぁぁああぁっ!!」
怒りに任せて村正(改)を投げつけるマキノ。対して、ユイを仕留め逃した春夏秋冬は不気味に微笑む。
「なにも魔具を破壊するだけが、血の十字架 の能力ではないのだよ。この溢れ出た魔力を上手く扱えば、肉体強化なぞ大したことは無い」
目の前に対峙している男の急激な変化に、マキノは血の十字架 の力に飲まれてしまったタケシの姿を頭に思い浮かべた。
先程――家庭科室での攻防――から、うって変わって、村正(改)が相手を押し潰す事は無く、いとも簡単に片手で受け止められてしまう。そして、春夏秋冬はそのまま鉄球を強く握り締めた。鉄球はミシミシと悲鳴を上げ始めながら、無数のひびが男の掌から広がり始める。
「や、やめ――っ!?」
「……砕け散れ」
マキノの意思など関係無く、無残にも村正(改)は、いとも簡単に破壊されてしまった。春夏秋冬は持ち手に繋がる残骸を引っ張り上げ、茫然とする少女の体を引き寄せる。
「うっ!?ちょ!なによっ!?離しなさいよっ!」
暴れる少女空しく、掴まれた腕が離れる事は無い。片手で首を絞められ持ち上げられると、息をする事も出来ず、やがて暴れていた手足もダランと人形の様に垂れ下がる。
「マ、マズイ!早くマキノさんを助けだすんだ!」
「ククク…もう遅い。世界を滅ぼす力は私が手に入れた!」
念願の最後の適格者を手中に入れ、思わず笑みをこぼす春夏秋冬。マキノを締める掌から魔力を吸い出し、己の力へと変換していく。
トウヤがいち早く駆け出すが、周囲に飛び回る蠅を払う様に空いた手でいなされ、一撃も入れる事も出来ずに吹っ飛ばされた。タケシも後に続くが、結果は同じだった。
ダメージはそれ程無かったが、これでは打つ手が無く、マキノを救う策はタケシには思いつかなかった。
「姫井クン、タケシクン!ここは任せて下さい!」
ユイが春夏秋冬の前に立ちはだかる。新世界の門 を開き、願いが記されていく。
校庭に生えていた木々が地から抜かれ、宙に浮かぶ。そのまま頂点を切っ先となる様に春夏秋冬へと飛んでいく。
「名付けるなら、木槍ミサイルです。存分に味わってみて下さい」
「チッ―!やはり邪魔なのは貴様か、佐藤の娘よっ!」
何本ものミサイルが男に目がけて襲いかかる。一撃、二撃と着弾していく度に、校庭の土煙とミサイル自体の姿で、男と少女の姿は見えなくなっていった。やがて残弾が尽きると、土煙舞う校庭が晴れていき、地に刺さり積み重なった木々がその姿を現す。何本も折り重なって逆転して地に生える木の姿が、攻撃の凄惨さを物語っていた。
「お、おい、ユイ!マキノは無事なのかよ!?」
「大丈夫です。マキノさんには当たらないようにロックオンされています。ですが…」
本を持つ少女の顔から、緊張の色が消えない。それは春夏秋冬という男が生きている事を示していた。
だがしかし、その姿が現れる事は無かった。警戒しながら、再び新世界の門 で木々を抜き取るが、そこには横たわるマキノの姿しか無かった。
タケシはおいそれと構わず、マキノの元へと駆けつける。
「マキノ!おい、大丈夫か!マキノ、目を覚ませ!」
「…けほっけほっ…あたしは何とか平気よ…。それよりあいつは…?」
ほっと胸を撫で下ろしたタケシだったが、ユイもトウヤも消えた春夏秋冬の姿を探している。だが、意外にも渦中の男は自分から姿を現した。
「フ…フフフ…フハハハハッ!どうやら私の方が一歩早かった様だな!ついに…ついに取り戻したぞ!我が力を!」
学園内から4人を見下ろす様に高笑いする春夏秋冬。その手に掲げられた血の十字架 は、マキノの魔力を吸い完全なる力を取り戻していた。
禍々しく不気味なオーラを放つそれは、かつて男が持っていた果てしない力。444の破片に散らばりながらも、己の執念と野望に命を掛けて集めた十数年間の結晶。真の魔王たりうる力がそこには在った。
「なんて事だ…っ!これでもう世界はお終いだ…! ……なんて言うと思ってるんですか、学園長?」
「私の母と父は、最後まで諦めませんでした。私たちも同じ意思で戦っています。そして、お母様やお父様が望んだ新しい世界の門を、私たちが開いてみせる!」
邪悪で強大な力に対しても、全く怯む事の無い戦士達。それもまた、親から子へ受け継ぎ十数年間築かれてきた、世界の平和を望む者達の意思だった。
だが、それを目前にしても、春夏秋冬の不気味な笑みが崩れる事は無かった。
「ククク…。全く、お前らは変わらんな。例え姿形を変えようと、中身は全くあの時と変わらん。だが、私は違う。この長い間、ただ力を取り戻す事だけだったと、本気で思っているのか? 私がこの学園を、ただお前ら適格者を集める為だけに創ったと思っているのか!?」
春夏秋冬は学園長室にある隠し扉を開く。そこには、十字架型の窪みがある石碑が在った。その窪みへ、彼は魔力で溢れる血の十字架 をゆっくりとはめ込んだ。
すると、突然轟音を響かせながら、学園が動き始めた。
「な、なんだっ!? 一体何が起きてやがんだっ!?」
「…なにかマズイ! みんな、学園から離れるんだっ!」
明らかな異変を感じ取り、学園から出来る限り距離を取る4人。そこで彼らが目にしたのは、信じられない姿だった。
つい数分前まで、私立YS学園で在ったはず校舎が形を変え、今や巨大なロボットの様な姿へと変貌していった。
元々、巨大な大きさの校舎だった事もあり、それは途方も無い高さを誇っていた。地中から上半身の様なものが生え、何本もの巨大な腕が胴体から伸びている。先程まで校庭に広がっていた太陽の光が地に届く事は無く、逆光であるタケシ達から見たそれは、まるで巨大に黒く歪む歪な姿だった。例えて現すなら――そう、魔王の姿であった。
「なんじゃ…ありゃあ…っ! まるで変形ロボじゃねぇか!?」
「…いや、まさにその通りだね。まさか学園自体が巨大な魔具 だったとは…っ!」
「……っ!」
タケシ、ユイ、春夏秋冬の側近であったトウヤですら、驚愕の表情を浮かべる中、ただ一人マキノだけが、他の者とは違う表情を浮かべている。
魔王と化した学園から、男の高らかな笑い声が響いてきた。
「フハハハッ! これが、これこそが、我が魔城の真の姿だ! お前らの様な偽善者を一人残らずなぎ倒し、世界を滅ぼす為に創り出した、私の新たな力! 巨大な力を動かす為には、絶大な魔力が必要だったが、それもすでに手に入った! これで私を脅かすモノは何一つ無い!」
欲しいモノを全て手に入れた男が最後に望むのは、世界の破滅。
あまりにも圧倒的な力の前に、タケシはただ茫然と見上げる事しか出来なかった。だが、ふと気付く、少女の異変に。
「…マ、マキノ? お前、震えて…?」
「……ダメ…もう、終わりよ……っ! わたしたちは、ここで……っ!!」
そう言うと、膝から崩れ落ち、ペタンと座り込んでしまう。まるでマキノらしからぬ姿に思わず、タケシは言葉を失った。これ程までに弱気な彼女を、彼は今まで見たことが無かった。
「さて、それでは…そろそろ反撃させてもらうとしようか、この愚かな人間どもが!」
高層ビルに及ぶ程の巨大な腕が、タケシとマキノへ伸びる。タケシは必死に避けようとするが、震えて固まるマキノを見て立ち止まる。
「おい、マキノっ!? 一体どうしたんだよっ!? くそっ! 避けられねぇっ!」
逃げる事を諦めたタケシは、覆い被さるようにしてマキノを守る。しかし、その程度であの巨大な拳を防げるわけも無い事を分かっていた。両目を閉じ、死を覚悟したが、その衝撃が彼らに届く事は無かった。目を開けると、地面から伸びた腕が、敵の拳を握り締めるように攻撃を防いでいた。
「タケシくん! 今のうちに早くっ!」
「…本当、頼りになる仲間だぜ、ユイ!」
動かないマキノをお姫様だっこの様に持ち上げ、急いでその場から離れる。村正(改)が無いせいか、トウヤから授かった血の十字架 のおかげか、タケシにはマキノの体が軽く感じた。そんな事を考えていると、衣服ごと胸元をぎゅっと握りしめられる。
「痛ってて!? あぁ悪い、変な事考えてすいませんでした! …って、え?」
それは、いつもの強烈なツッコミではなかった。マキノはそのままタケシの胸にうずくまる。胸元が湿り出し、彼女が泣いているのだと初めて気付いた。普段ならありえないマキノの異変に、タケシは彼女から聞いた言葉を思い出す。
『私はこの世界よりも、おそらく数年後からやってきた』
まさか、マキノは未来の記憶を思い出したのか?俺達は、このまま春夏秋冬に倒されちまのか?そんな思考がタケシの脳裏によぎる。だが、彼の決意は揺るがない。
「なぁ、マキノ。お前が何を思い出したのかはわかんねぇ。だが、俺達は負けない。誰一人、犠牲なんか出さねぇ。それに、お前も言ってただろ。お前の世界には、今のお前はいなかった」
「………っ!」
何を言っても震えていただけのマキノが、ピクっと一瞬だけ反応した。相変わらず俯いたままだが、彼女の震えは何時の間にか止まっていた。それを知ってか知らずか、タケシには自分の言葉が通じたような気がした。
「くぅ――っ!!?」
新世界の門 の力でなんとか防いだように見えていたが、タケシ達が離れると同時に、地面から生えた腕は崩壊した。魔王の一撃はそれ程に強力であり、新世界の門 でもかろうじて防げているだけだった。
「フハハ、なかなかやるではないか、小娘よ。だが、いつまで耐えられるかな?」
その後も容赦無い、圧倒的な攻撃が仕掛けられる。巨大な無数の腕に対し、ユイは校庭のあらゆるものを使って攻撃を防いだ。隙あらば、と逆転の機会を狙っていたが、怒涛の攻撃に防戦一方となり、やがてユイの体力は消耗していく。
「……っ! ゴフッ!?」
「佐藤さんっ!? 大丈夫かっ!?」
新世界の門 の酷使により、ユイの体は疲弊し、血反吐を吐いた。思わずよろめいた体をトウヤが支えるが、今にも彼女は倒れそうだった。しかし、彼女もまた諦めない。自分の為に、友の為に、亡き母や父の為に、最後まで戦い抜く事を誓ったのだから。
それを傍らで見守るトウヤは、ただ拳を握り締める事しか出来なかった。春夏秋冬がYS学園という最強の武器を持った今では、魔具を扱う事すら出来なくなった彼には、為す術も無かった。
「…佐藤さん、僕にはもう出来る事はほとんど無いかもしれない。でも、僕も最後まで諦めない。君が立つ事が出来なくなったら、僕が支える。君が視界を失ったのなら、僕が目になろう。だから、諦めず戦おう!僕達の未来の為に!」
「…ありがとう。戦いましょう、一緒に!」
二人は分かっていた。もう勝ち目などほとんど残されていない事に。圧倒的な暴力の前では、自分達のちっぽけな力では歯が立たない事を。だが心に宿した炎が消える事は無い。例え1%以下の勝ち目しか無くとも、振られたサイコロの目は誰にも分からないのだから。
それから数分、数十分、はたまた数秒の出来事か―――春夏秋冬の幾度となく続く追撃に、遂にユイは崩れ落ちた。
「…ハァハァ…佐藤、さん……。くっ…もう…ダメ、か……っ!」
隣で支えていたトウヤも何度も危険に晒され、傷付き体力を消費していた。もう、彼女を抱き起こす力も残っていなかった。
ユイも意識はあるものの、立ち上がるどころか、指一本動かす力も無かった。春夏秋冬から直接的なダメージを受けていないにも関わらず、新世界の門 によって体に負荷がかかり、流した血の量はすでに限界を迎えつつあった。
「なかなかしぶとかったが、もう終わりのようだな。これから行う人類滅亡の余興としては、なかなかに楽しませてもらったぞ。さらばだ、忌まわしき子供達よ! 絶望の中、朽ち果てるがいい!」
止めと言わんばかりに、今までで一番強烈な一撃が二人へと差し迫る。ボロボロの二人に、受け止める術は無い。ただ茫然と眺めるしか無かった。
「まだまだぁぁあああぁあっ! 俺がいんだろうがぁぁぁああぁぁあっ!!」
巨大な拳に向かって、タケシが特攻をかける。眼前に迫る、もはや巨大な壁とも思えるそれに臆する事無く、突っ込んだ。無謀な特攻に見えたが、血の十字架 の力か、意外にも巨大な拳は弾かれた。対するタケシも吹っ飛ばされ、地面を転がりつつ、大きく後方へと投げ出された。
「――タケシ君っ!?」
「……痛ってぇ〜! めちゃくちゃ硬ぇじゃねぇか!? ちくしょうっ!」
どうやら、そこまで大事には至っていない事が分かると、トウヤはほっと息を吐いた。だが、今のタケシの位置からでは、ここまですぐには動けない。次の一撃をどう防ぐか、すぐに知略を巡らせた。だが、そんな事を構う事無く、魔王は動いた。
「人間風情がちょこまかと…! ならば、一人ずつだ…。 一人ずつ潰してくれようっ!」
巨大兵器が狙う次の標的は―――マキノだった。
村正(改)が破壊され、タケシが離れた今、彼女を守るモノは何も無かった。各個撃破を考える春夏秋冬にとって、最適とも思える標的だった。
「生意気な小娘よっ! まずはお前から血祭りに上げてくれよう!」
再び迫る、悪魔の様な攻撃。巨大な腕が伸びる先に、それを茫然と見上げる少女。蘇った記憶は、彼女から戦う気力を奪っていった。それが何を意味するものなのか、理解出来る人間はこの場にはいない。だが、圧倒的窮地にも関わらず、彼女は微笑んだ。
動く事すら出来ないトウヤとユイ。何とか助けようと駆け出すタケシ。
「マ、マキノぉおおぉおおぉおぉおおっ!!?」
木霊するタケシの叫び声。しかし、魔王に慈悲など存在しない。魔王の一撃は振り下ろされた。
衝撃が地面を伝って、3人へと遅いかかる。地震の様な感覚と、突然の爆風に前が見えなくなる。それでも必死に、マキノを助けに向かおうとするタケシが見たのは、信じられない光景だった。
「――な、何だと…!? そんな馬鹿なっ!!?」
あまりの状況に、春夏秋冬でさえも、うろたえる。
風が収まり、トウヤとユイもやっと状況を把握する。彼らが見たモノは、あの巨大な拳を生身の人間が受け止めている姿だった。
その男の足は重みで地面に突き刺さり、傍から見てもその威力はとてつもなかった事が伺える。現に、その威力を間近で味わったタケシでさえも、その姿はにわかには信じ難かった。
男はそれでも拳を受け止め、マキノに当たる事無く、その身一つで魔王の攻撃を防いでいた。
「す…すげぇ…っ!!?」
「何だ、これは一体!? 何者だっ!? 貴様は一体誰だっ!!?」
男はその問いに対し、笑みをこぼす。まるで、それを待っていましたと言わんばかりに。
「この俺を知らないとは、いい度胸だぜ…。いいか、てめぇ! その耳をかっぽじって良く聞きやがれ! 男の魂背中に背負い、不撓不屈の鬼事務員、神下天斗様たぁ俺のことだぁああぁあぁっ!!!」
タケシ達には懐かしい、聞き覚えのある自己紹介。強烈な印象は、脳裏に焼きつき消える事は無く、その男の存在を刻み続けていた。
やっとの思いでマキノの元に駆けつけるタケシ。眼前に広がる巨大な拳に圧倒されながらも、尚も拳にしがみつく様にして離さない神下を見据えた。
「な、なんであんたが一体ここにいるんだっ!? っていうか、魔具も無しにどうやってんだ、それ!?」
「フッ…若造、よく聞け…! 男は気合と根性だけあれば十分だ!!!!! わかった…か……がはっ!?」
突然の熱意と共に、神下はそのまま後ろに倒れて気絶した。やはり、ノーダメージと言うわけでは無かった様だ。しかし、生身の人間が防いだだけでも、尊敬に値する存在だろう。
「なんだ、この男は…!? こんな奴がこの学園にいたとは…っ!? 今のうちに止めを刺しておかなければっ!」
解き放たれた拳は再度、神下へ向かって振り下ろされようとしていた。脚が埋まったまま気絶している彼に、防ぐ術は無い。さすがに助けてもらった恩義があるタケシは、黙ってそれを見ていられなかった。
「おい、おっさん! くそっ! これ抜けねぇぞっ!」
「いいの、タケシ! そいつは放っておいて、ここを逃げるわよ!」
「え、マキノ…? おい、放っておけるわけねぇだろ!」
「いいから! わたしを信じなさいよっ! この馬鹿っ!!」
何時の間にか、いつもの調子を取り戻しているマキノ。それはそれで嬉しいタケシだったが、目の前で倒れている人を放っていくのは、さすがにやるせない。だが、助け出す術も無い今、ここに留まっていては自分達も無事では済まない。モヤモヤする気持ちを残したまま、タケシは彼女を信じ、そこから離れる様に駆け出した。
拳は振り下ろされ、気絶していた神下に直撃した。
「おっさんっ!!!? くっそっ!!」
「大丈夫よ、問題無いわ! それよりも、後ろなんて振り向いてないで、さっさと走りなさいよ!」
何が問題無いのか、その時のタケシにはわけがわからなかった。しかし、魔王の拳が上げられた瞬間、思わず自分の目を疑った。
「お、おっさんが、消えてる!!?」
見ていたタケシは勿論、攻撃をした春夏秋冬も驚愕した。確実に直撃していたのにも関わらず、相手はその場から消えていた。困惑しない方が無理な話だった。
一体どこへ消えたのか? 春夏秋冬は当然とも言える疑問に、思考を巡らせる。だが、視界に入って来た光景に、彼の思考は一瞬停止する。
マキノが走り、駆け出す先にあるもの。それは、いや、それらは 全員が同じ形、同じ姿をしていた。そう――今、倒したばかりの神下天斗が、そこら中に溢れていた。
「誰がおっさんだ、コラァ! 俺はまだ20代だっ!」「しかし、この俺様にかかれば、あんなデカブツも大した事無ぇなぁ!」「「「おうおうおうっ! どうしたぁ!? どんどんかかってきやがれってんだっ!!」」」
幾人もの神下が同時に挑発を始める。同じ声、同じタイミングで話す姿はまるで、エコーの様に反響して聴こえる。
「…こ、これはまさか……!?偽物の鏡 …!?」
相対した事のある、タケシは理解した。以前、マキノと共に苦しめられた魔具。あの時は敵対していた魔具だが、今回は自分達に味方してくれている様だった。
「ご明答だね! ここからは、そこの熱血事務員とこの私に任せなさいなっ!」
突如、駆ける二人の前に現れた女生徒。当たり!とばかりに、親指をぐっと突き出している腕には副会長と書かれた腕章を付けており、逆の手には偽物の鏡 を持っている。ショートカットの彼女に、タケシは見覚えがあったが、いち早く気付いたのはトウヤの方だった。
「――鏡守先輩!? 何故ここへ…!?」
「フッ、決まってんだろ。後輩が頑張ってんのに、俺ら先輩が見てるだけってわけにはいかねぇよなぁ」
突然の背後からの声に、トウヤは戦闘態勢を取る。――が、間に合わず軽く額にチョップを食らってしまった。
「俺だ、俺。ほれ、軽くだが癒してやったぞ」
「委員長!? もしかして僕達を助けに…?」
軽くニヤリと微笑むと、シュウヤはすぐさま、倒れているユイに癒しの指輪 の効果で回復し始める。消耗しきっていたトウヤの体も、動ける程度には回復していた。
「さて、あの異色タッグが頑張っているうちに、お前ら全員の傷をある程度癒してやる。おっと、そういや助っ人をまだ一人忘れていたかな?」
タケシとマキノがシュウヤ達の元へと駆けつけた頃、その男は現れた。今となっては普通のマントを翻し、片手には新品のクロスボウを握り、プリントTシャツの胸部に描かれた大きく一文字の"萌"。心なしか、こちらへ向かってくる歩幅は狭い。
「こ、このボク、大鳴サクがやって来たからには、あんな巨大ロボ如き、お、お、恐れる必要なんか、ないんだゾォ…」
「…めちゃくちゃビビってんじゃねーかっ!」
思わず入ったタケシのツッコミに、ビクっと背筋を伸ばすサク。運動不足の彼は、その動きだけで背筋を吊りそうになり、もがいている。
「委員長、あんなのまで呼んだんですか…?」
「あれでも一応、大事な戦力だ。それに勘違いしてるようだが、俺も増援として呼ばれた口だよ」
「――…え?」
思わぬシュウヤの答えに、トウヤは固まった。では、一体誰が…なんて事を考えていると、コピー神下の一人が吹っ飛んできたのを、かろうじて避ける。
戦況はやはり、コピーがいくら大人数いようが魔具も持たない人間では、対処しようが無かった。防げたのも最初の一撃のみで、化物となった学園の前に神下軍団はどんどん吹き飛ばされていく。その度に、何十体とコピーを作っていく鏡守だったが、ユイの二の舞で魔力を消費していく一方であった。
おまけ程度にサクも、ちまちまとクロスボウで攻撃しているが、魔具でもない普通の武器ではダメージなど皆無である。
これではいくら、シュウヤが4人を回復したところで勝ち目は薄い。トウヤにはそう思えたが、応援に来た彼等は何かを待っていたようだった。
「「「どうりゃああぁあぁあぁあっっ!! まだだぁぁああぁああぁあっっ!!!」」」
「何度だって…コピーしてみせるよ…っ!!」
「こ、こんな所で、し、死んでたまるもんかっ! ボクは2次元に行くまで死にぇないっ!」
「――…3人共…もう少し耐えてくれ…っ!」
思い思いに、それぞれが時間を稼いでいく。それはシュウヤの癒しの指輪 によるタケシ達、4人の回復を狙っての事もあったが、別の狙いも存在していた。だが思い虚しく、想像以上に早く援軍の消耗は早く削られていき、危機は再びやってくる。
「ちょこまかと次から次へと……五月蠅い虫共が…っ! いいだろう! ひと思いに全員潰してくれよう!」
そう言うと、巨大な魔王は拳を開き、まるで蠅を叩く様に指先を伸ばしていく。今までの拳による一点集中の攻撃から、平手による範囲攻撃へと変えてきた。
今まではコピー神下を囮にして、拳を受け流す様にして攻撃の方向を変えて防いでいたが、これでは避けようがない。しかも、どうやら固まっている中心のシュウヤを狙っている様だ。
平手を振り上げ、更に攻撃範囲が広がるよう、魔王は腕ごと掌を叩き落とす。
「――ま、まずいぞっ!? シュウヤの兄貴、どうすんだ!?」
「どうしようもないっ! とにかく伏せろ! みんな伏せるんだっ! 1秒でも持ちこたえろっ!」
「伏せてどうにかなるんですかっ!? 委員長!」
「とにかく伏せるのよっ! みんな! お兄ちゃんの言う事を聞いて!」
「…皆さん、ごめんなさい…っ! 私に新世界の門 を使う力が残ってたら…っ!」
「「「俺様が抑えるっ! とにかく伏せてやがれっ! うおぉぉおおおぉぉぉおおっ!!!」」」
最後の希望、総勢48名の神下に5人の命運は託された。コピー神下の全員が腕を上げ、決しの覚悟で衝撃に備える。のしかかる衝撃に耐えられるのか、一か八かの賭けだった。
振り下ろされた腕が神下に当たる瞬間―――何かが、その間を通った。
腕はそこで止まり、地面へとたどり着く事は無い。まるで透明な何かに遮られる様に、どんなに力を入れても結果は同じだった。
「これは、結界…かっ!? ま、まさか…っ!?」
春夏秋冬の脳裏にある人物が思い浮かぶ。新世界の門 に勝るとも劣らない程の、強力な魔具を持つ男。能力が発動したならば、彼には如何なる攻撃をも通じない。いや、正確に語るのであれば、それが彼に忠実に従う赤い鴉の能力であった。
「――マスター! 何とか間に合ったようです!」
「お手柄ですよ、ミヤちゃん。あとでおいしい焼き鳥をご馳走するとしましょう…」
颯爽と登場した男は、肩まである束ねた黒髪をなびかせながら不敵に微笑む。魔王から彼らを救った男は、見覚えのあるダークスーツに、微笑む口から覗かせる白い歯、何よりその丁寧過ぎるとも言える口調がその存在を思い出させる。
「馬鹿な…貴様は始末したはず…っ!?」
「私も、実を言うとそのつもりでしたがね…。全く、運命というのは恐ろしいものですねぇ…」
「お前は…ラグド=チェーン・リー…!?」
敵か味方か、全く持って謎に包まれた男に、トウヤは思わず身構える。だがそれ以上に、タケシとユイは衝撃を隠せない。彼らはシュウヤにラグド商会の壊滅と共に、リーの死を聞かされていたからだ。
「あなたは…生きて、いたんですか…?」
ユイにポツリと呟くような問いに、紳士はまたもニヤリと微笑んでみせる。
「縁というのは、実に不思議なものです。あの時、屋上で彼女と出会う事が無ければ、私はここにはいませんでしたからねぇ」
彼がそう言うと、後ろに隠れていた少女は照れくさそうに、ひょっこりと顔を見せる。それに合わせるように、小さな竜も顔を覗かせた。
「えへへぇ…。みなさん、こんにちわぁ!」
「お前…リンじゃねぇかっ!? もしかして、このおっさんを連れて来たの、お前か!?」
「そうだよっ! おじさんとリンは、なかよしなんだよっ! ねー?」
満面の笑みで返してくる少女に、紳士も答える。状況をうまく飲み込めないタケシ達には、茫然と眺める事しか出来ない。
あの屋上での一件以来、リンは同じ魔獣使いという事もあり、リーに気を許し頻繁に接触していた。次第に彼自身よりも、従者である鴉 と打ち解け、彼女らは遊ぶ機会も多くなっていった。その矢先、ラグド商会が襲撃され、リーに魔の手が迫る。間一髪、たまたまその場に居合わせたリンが、竜 の空間転移の能力で彼を救ったのだった。
リーが生きている。その事実を知っていたのは、彼を助けたリンとその兄、シュウヤのみだった。シュウヤは傷付いた彼を匿い、癒しの指輪 で密かに治療を行っていた。
当然、この事実を知らされていない戦士達は困惑している。突如助けてくれた男を、味方か敵かを見極め切れないでいた。
「元々、あなた方と戦う気はありません。私が斃したい男は唯一人ですから…」
黒衣の紳士は、睨むように眼光をYS学園へと向ける。外からでは分からないはずだが、まるでその場所に目的の男がいるかの如く。
「――…まさか、生きていたとはな、リー。だが、それでも私の勝利に揺るぎは無い。この学園が在り続ける限り!!」
渦中の男は吠える。学園から響き渡るその声は、瀕死の戦士達の心に刺さる。まさにその男が言う通り、目の前に立ちはだかる巨大な化物に対して、もう打つ手は無かった。そんな絶望的な状況の中でも、紳士の頬笑みが崩れる事は無い。
「……忘れてしてもらっては困りますよ、春夏秋冬…。その巨大な魔具を創ったのが、我々ラグド商会である事を…っ!!」
春夏秋冬はそんなもの知った事ではないと言わんばかりに、巨大な腕を振り上げ、またも面を意識した攻撃を仕掛けて来る。対して、リーはすでに張っている結界に魔力を更に込める。
互いに拮抗する力と力。しかし、何度攻撃しようと、巨大な腕が目的へと辿り着く事は無かった。
「すっげぇ…っ! あのデカブツの攻撃を防いでいやがる…! でも、この化物創ったってのはホントなのかよ?」
「…俺も経緯はよく知らないが、ラグド商会はどんな相手でも依頼は断らない主義だってこった。とりあえず今は、防御はあの人に任せてもいいだろう」
圧巻するタケシ達に、冷静にシュウヤが答える。それほどまでにリーの力は強大であり、それを知る者は信頼し、彼を頼る事が出来た。
そんな中、徐々に傷が癒えて魔力を取り戻してきていたユイは、もうすでに次の攻撃の一手を思考していた。辺りを見渡し、武器となり得るような物を探す。新世界の門 での能力であれば、武器の生成や事象の捻じ曲げなど容易であるが、すでにそれを行う程の魔力は彼女には残っていない。比較的、魔力消費の激しくない物質移動が自分に残された武器だと、直感的にユイは理解していた。
しかし、激しい攻防の末に、凄惨な光景となりつつある校庭。その中で使える物など見当たるわけも無かった。苦虫を噛むような思いで辺りを見渡すと、そこにいた人間が一人消えている事に気付く。
「……? リンちゃんがいない…?」
先程までいた少女の姿が消えていたのだ。思い返してみれば、リーをこの場に連れてきた以降、少女の姿を見ていない。彼女の空間転移の能力を考えれば、この場から消えた事を意味するのは一つ。リーと同様、援軍を連れてくる気なのだろう。
そう考えたのとほぼ同時に、小さな竜を連れた少女が、何も無い空間に現れ始める。ユイの考えは、概ね正しかった。ただそれは、彼女が想像だにしない人物だったのだ。
「――おじさんっ! おじさんの言ってた人、連れて来たよ!」
「おや、これは助かります。私の一番の部下を呼んでくれた事に、お礼を申し上げなければなりませんねぇ」
「――リー様、お呼び頂き光栄です。必ずや、あなたのお力になりましょう」
礼儀正しく、リーに忠義を尽くす男。全身迷彩服に包まれ、額には大きなバンダナを巻いている。その男に、ユイは見覚えがあった。それは、初めて学園の屋上でリーと会う前の話。図書室で襲ってきた、ラグド商会の戦闘兵の一人だった。
「あなたは…、たしか…河原…さん? そんなっ!? あの日、図書室で――!?」
ラグド商会の戦闘部隊長、河原徹。リーの命令にて、ユイの持つ魔本を回収しようと試みたが、返り討ちにあい死んだはずの男。何故その男がこうして目の前に現れているのか、ユイは動揺を隠し切れない。
「君は…佐藤ユイ君か。……あの時は申し訳なかった。君達を巻き込む事の無い様、我々ラグド商会は魔具を回収していたんだ。結果としては、我々の方が先に潰されてしまったわけだが…」
「…なんで、ですか…? あなたは銃弾を受けて、死んだはず――!?」
「それは私の魔具、無限の弾丸 によるものだ。見ていろ――」
防弾性のチョッキから、一発の大きめな弾丸を取り出す。本来、ライフルに装填されるであろうそれは、光に反射し怪しく輝く。一目見ただけでは魔具とは思えない程、本物と変わりなかった。
弾丸をつまむように持ち上げ、顔の前に持って来る。目を閉じ、集中するように河原が念じると、変化は起きた。
まるでそれは手品の様に、弾丸をつまんでいる手から、無数の新たな弾丸が零れ落ちて行く。落ちた弾丸を見ると、様々な形状の弾丸があり、彼が持っているものとは全く異なっていた。
「――これが、私の無限の弾丸 の能力だ。弾丸を創造する事で、無限に生成出来る。当然、火薬の量の調節なんかも出来る。プラスチック弾やゴム弾の様に、致死に至らない弾も生成する事が可能だ」
淡々と報告書を読み上げるが如く、河原は自身の能力の説明を行っていく。
彼の話を聞いていく中で、ユイは納得していた。図書室での攻防では、彼等は自分を殺す気などなく、撃ってきた銃弾は無限の弾丸 で生成した、無力化する程度の威力だったのだ。
巨視的な小宇宙 によって、ダメージは彼等に返っていったが、死に至る事は無く、気を失っていただけだった。だがそれでも、額には大きな傷を残したのだろう。大きく巻かれたバンダナが、それを意味していた。
今は援軍でも、以前は命を賭して戦った相手。簡単に仲間と割り切れる程、彼女の心は出来ていなかった。いや、過去に何度も辛い体験をした彼女だからこそ、河原やリーを信用する事が出来なかった。
警戒した表情で河原を見つめるユイを、傷を癒していたシュウヤは見ていた。
「佐藤ユイ、過去を見つめるな。今の事を考えろ。お前の望む未来はどこにある――?」
彼女の思考を読み取ったかの如く、シュウヤは語りかける。ユイの望む未来――それは、タケシやマキノ達と共に過ごす平穏な未来。その為には、今目の前に立ちはだかっている、巨大な壁を倒さなければならない。例え、自分を犠牲にしてでも――。
そう彼女は考えていた。だが、シュウヤは訴える。もっと仲間を頼ってみせろと。敵であった者さえ、仲間にしてみせろと。
いくらとてつもない大きな力を持っていようと、所詮個の力なのだ。相対している春夏秋冬を見れば、それは容易に理解出来た。状況は彼が圧倒的優位に立っているが、誰一人戦いを諦めている者はいない。むしろ、仲間が増える度に士気は高揚し、戦力は大きく上がっている。
身を任せてもいいのかもしれない。戦う理由は異なっていても、目的は一つ。『魔王を倒し、世界を救う』。そう、ここにいる誰もが勇者なのだから。
「――全く。皆さん、命知らずもいいところですね。でも、誰も死なせません。私の新世界の門 で救ってみせます」
「そうだ。俺達は奴を倒し、誰も死なせない。その為には、全員が手を取り合うしかない」
「…しかし、槇野委員長。よくこれだけの人を集めましたね」
「おいおい、だから言ってるだろ。援軍を集めたのは俺じゃないって。――おっと、ちょうどよく、俺達のリーダーのお出ましだぜ?」
ゆったりと歩いてやってくる、最後の仲間。
長い黒髪が風になびき、揺られている。ハンドポーチから白いカチューシャを取り出すと、頭に着ける。よほどのお気に入りなのか、何だか嬉しそうだ。
その姿は、この場にいる誰もが知っていた。この学園の生徒の長にして、姫井トウヤの姉。珠姫ネネ、その人であった。
「――みんな、よく頑張ってくれたわ。そしてこの私、真打ちの登場ってわけね♪」
「か、会長!? まさか、あんたが皆を呼んでくれたのってのか?」
「えぇ、その通りよっ! ――なんて言っても、私がしたのは状況を伝えただけ。みんな、あなたたちの力になる為に駆けつけてくれたのよ」
ネネの言う通り、彼女が彼等を集めたのでは無く、彼等自身の意思でこの場に立っているのだ。それぞれの意思が世界を救わんとする為、危険を顧みず、魔王を打ち倒すべく立ち向かっている。
「結果として、私も含めてこの学園の人間は学園長――春夏秋冬の計画に利用されてしまったけれど、あなたたちの魔具集めは決して、無駄では無かった。あなたたちが彼等と関わりを持った事で、こうして今は仲間として共闘しているのだから」
それは、タケシ達4人も例外では無かった。もしも、魔具集めを行っていなかったとしたら――。図書館でユイと出会う事も無ければ、トウヤとも必要以上に接触する事も少なかっただろう。そして、タケシにとってはマキノという人物について、詳しく知る由も無かっただろう。
今まで戦ってきたから。今まで仲間と共に歩んでこれたから。タケシはここに立っている。彼等はここで魔王と対峙している。自らの手で未来を掴む為に、命を賭して戦っている。
それは、春夏秋冬の計画には無い、タケシ達にとっての希望の光だった。
「姉さん…。やはり、起きていたんだね…?」
彼女だけに聴こえる声で、ボソッと少年は呟く。
トウヤには、何となく彼女が動いているんだと確信していた。保健室のベッドで寝ているはずの彼女だったが、こうして目の前に立っている。考えてみれば、トウヤが起きた時点で癒しの指輪 の効果は消えていたのだ。当然、彼はその事に気が付いていたが、あえて気付かぬ振りをしていた。彼女を、この戦いに巻き込みたくなかったから。
だがそれは、彼にとっての儚い希望であり、現実として彼女はもうすでに大いに関わっている。この学園の生徒会長であるという事は、トウヤと同程度には春夏秋冬の操り人形だったのだから。
「…ごめんね? トウヤの気持ち、すごく嬉しかった。でも、私も一緒にたたかうわ。魔具も扱えないし、役には立てないけど…。それでも、私はあなたと共に立っていたいの」
彼女に出来るのは、ここまでだった。仲間を集め、少しでも戦力を高める事。戦闘力の無い者に出来る、精一杯の事だった。
トウヤは、彼女の幸せを願っていた。彼女の身を危険に晒したく無かった。しかし、心の奥底では、彼女と共にいられる事に気持ちが昂っていた。今までの学園の主従関係としてではなく、姉弟として立ち向かっていける事に。
「――わかった。もう魔力も残ってないけど、姉さんは僕が必ず守り抜く…!」
「トウヤ……っ!」
思わず涙ぐむネネだったが、戦いはまだ終わっていない。目尻に溜まった涙を拭い、魔王を倒す戦略を組み立てる。
「リーさん。この学園をあなた方、ラグド商会が創ったのなら、何か弱点は無いのですか?」
「弱点、ですか…。残念ながら、ありませんねぇ。この魔力兵器は、我がラグド商会の創った最強にして最高の魔具。人間が相手になる代物では、ありませんよ…」
リーの語る言葉に、重く苦しい雰囲気が漂う。勝算が低い事は、この場にいる誰もが理解していたが、改めて口に出されると現実感が一層増してくる。
だが、戦いをずっと観察していたネネは、ある事に気付いていた。
「いえ、そんな事はありません。確かにとてつもない破壊力ですが、私達は何度もそれを防いでいます。何故なら、敵の攻撃が必ず一度ずつしかこないから」
巨大な拳であっても、攻撃の初期動作が分かれば避けるのも難しくはない。現にそうして彼等は攻撃を防いでいた。確かに無数に腕は存在しているが、攻撃してくるのは必ずどれか一つのみ。巨体を動かす事も無く、避け場が無くなる程の連打を与えてくる事も無かった。
「もしかして、敵は本来の力を出し切れていないのではないですか?」
彼女の問いに、ニヤリと紳士は笑う。まるでその解答を待っていたかのように。
「さすが、あの男の学園の生徒の長とでも言うべきですか…。しっかりと観ていらっしゃる…ご明察です。この魔力兵器には、欠かせない魔具が二つ存在します。一つは血の十字架 、そしてもう一つは……」
リーの視線の先にあるのは、ユイの持つ新世界の門 であった。
本来、血の十字架 を媒体にして学園は変形し、新世界の門 によってそれを操るといったものであった。魔具は同時に複数を扱えないが、新世界の門 の能力で学園を動かせば、その制約からはずれる事はない。
「言わば、血の十字架 がバッテリー、新世界の門 が操作装置、という事ですかねぇ。二つが合わさった時のみ、あの魔力兵器は真の力を発揮します。ですが、今は彼奴が手動運転しているだけに過ぎません。結果として攻撃は単調となり、大雑把にしか目標を補足出来ません」
春夏秋冬が唯一、計画の内で断念したのが新世界の門 の奪取。いや、正確に言えばまだ諦めているわけではない。目の前に立ちはだかる彼等を仕留めた後、ゆっくりと手に入れる算段なのだ。結果としてそれが今、裏目となって現れ始めていた。
だが、それはあくまで敵の隙であり、肝心な弱点とは若干異なっている。そう思えたが、リーの話の中に決定的なヒントがある事を、ネネは見逃さなかった。
「……という事は、バッテリーである血の十字架 を破壊してしまえば、学園は止まるんですね?」
核心をついたネネの言葉に、紳士はまたも笑顔を見せる。どうやら肯定のようだった。
「つっても、どうやって血の十字架 を破壊すんだ? 魔具は破壊されちまうんじゃねーか?」
割って入ったタケシのその問いに、彼以外の人間が答えを出していた。そして、一斉にタケシを見やる。
「……へ? 俺?」
「ハァ……。タケシ、あんたがその手に持ってるやつ。忘れたわけ?」
今まで口を閉ざしていたマキノが付く悪態。その場にいる誰もが納得とも言える行動。そこで初めてタケシは気付いた。
「――あっ!? トウヤの創った血の十字架 かっ!?」
「その通りだよ、タケシ君。それに、僕と君が戦った時の事を覚えているかい? 実はあの時、僕が持っていた剣型の血の十字架 は壊れてしまったけれど、血の十字架 の力は消えずに刺された君の体に、残っているんだ」
それは、トウヤにとっても予想だにしていない事だった。タケシが保健室に訪れ、眠ったトウヤに話しかける度、血の十字架 の能力は発動していた。癒しの指輪 の能力が解除されたのも、それが原因となっていたのだ。
今や、タケシの体は生ける血の十字架 。さらにトウヤが自らの魔力の資質と引き換えに生成した、新たな剣型の血の十字架 を持っている。
「俺の中に…この化物を止める力が……っ!?」
強大な魔力を溜め込んだ、春夏秋冬の持つペンダント型の血の十字架 が強いのか。その身に流れる力にトウヤの力を加えた、タケシの持つ剣型の血の十字架 が強いのか。それは誰にも分からない。だが、それこそが魔王を打破出来る唯一無二の手段であった。
「――あとは、敵のコックピットが分かればいいのだけれど……」
春夏秋冬が学園長室にいるのは間違いなさそうだが、学園が変形した今では、どこにその部屋が存在しているのかは分からない。設計者であるリーにも、変形する時に操作者が任意で配置する為、それを特定する事は難しかった。だが、リーの余裕は崩れない。
「それについては、最も最適な魔具を持っている部下がおりますよ。彼に任せておけば問題無いでしょう」
そう言って開いた掌で指すのは、大鳴サク。彼が持つ、新しい魔具こそが春夏秋冬の位置を特定する事が出来ると言う。
肝心のサクは、リーや河原が生きている事に、喜びを隠しきれていない。彼もまた、ラグド商会の壊滅と共に、仲間を失ったと思っていた。リーの命で学園に残っていた事が、彼の命運を分ける形となった。
「リーさん…っ! ボ、ボクは、ボクだって、やれば出来る…っ! ま、任せて下さい!」
いつになくやる気な彼に、リーも思わず微笑んでしまう。紳士は落ちつけと言わんばかりに、サクの肩を軽く叩く。任せましたよと小声で呟くと、より一層サクの気持ちは昂った。
「じゃあ、援護はボクたちに任せなよ!」
「俺様が主役じゃねぇのが気に食わねぇが、仕方ねぇっ!! おい、ヒョロ男! ついてきやがれっ!!!」
鏡守と神下が、前へと出る。残った体力はお互いに僅かだったが、ここが最後の正念場と悟ると、自分達の役割を自ずと理解した。
「作戦というには程遠いけれど、これで魔王を倒す算段は整ったわ。――さぁみんな! 最後の大決戦よ! 魔王を打ち倒し、必ず無事に戻って来ることっ! 幸運を祈ってるわっ!」
「「「うおっしゃあぁぁぁあぁぁあぁぁぁっっっ!!!!」」」
ネネの号令共に、コピー神下の軍勢が一斉にリーの結界から飛び出し、学園へと駆けて行く。合わせるようにして、サクも飛び出して行った。
「…なぁ、副会長。あのオタクが学園長を探せるんなら、あいつをコピーした方がいいんじゃねぇのか?」
「――残念だけど、ボクの力じゃあ偽物の鏡 で魔具はコピーを出来ないんだよ。タケシ君、キミが以前戦ったやつは、そうとうの魔力の持ち主だったんだろーね」
大量のコピーを維持させているからか、その男への悔しさからか、思わず鏡守は歯を食いしばる。そうは言っても、これだけの人数をコピーし維持するのは、並大抵の人間では出来る事では無かった。
多勢の神下と共にサクは駆けて行く中、ポケットから片手に収まるサイズのルーペを取り出すと、それを右眼の前にかざし、巨大な学園を覗き見る。
「――さぁ出番ダヨ。見せてくれ…清浄の透過 ……っ!」
その魔具は、サクが元々持っていた羽織る事で自身を透明化させる魔具、清浄の透明 を元に生成された。清浄の透明 はタケシとの戦いで消滅してしまったが、残ったほんの一欠片を使い、新たにリーが創り出した。
その能力は、ルーペ型の清浄の透過 を通している事で、対象物を透かして見る事が出来る。変態趣味の彼には持ってこいの代物である。しかし―――。
「――いない! いないっ!! いないゾォ!!? どこにいるんだっ!?」
覗き見るのは更衣室では無く、巨大な学園そのもの。一目見ただけでは、見渡す事の出来ない巨大な建物。そこから一人の人間を探しだすのは、想像以上に困難であった。
「何を考えてるか知らんが、貴様らのちっぽけな力など、恐るるに足らんっ!」
当然、その間も春夏秋冬の攻撃は襲いかかってくる。拳は一撃ずつしか襲って来ないが、リーの結界から出た今は、防ぐ手段も無い。サクを守る為に、コピー神下全員が囮や攻撃方向を受け流す様な盾になり、何とか凌いでいた。
その度にコピーは消滅していくが、偽物の鏡 にて新たに大量に生産される。しかし、この無限の様に見えたコピーも、鏡守の体力と共に徐々に減って来ていた。
「――ハァ…ハァ……絶対に…ボクは…諦めない…っ!」
「鏡守先輩…。リーさん、あなたの結界をより広げる事は出来ないんですか?」
見かねたトウヤが懇願する。彼女を助けて欲しいと。以前に見た、彼の結界はこの巨大なYS学園の一棟をも覆ってしまう程だった。今はその何十分の一にも満たない、小さな結界で自分達の身を守っている。
「…どうでしょうか?ミヤちゃん。結界を広げる事は出来そうかな?」
「マスターッ!? 何言ってるんですか!? そんな瀕死の体でここにいるのだって危険な事なのに、これ以上は無理ですっ!!」
「――…という事のようです。残念ながら、お力にはなれませんねぇ…」
そう言って、苦笑を浮かべる紳士。漆黒のスーツがそれを気付かせなかったが、彼も傷だらけの状態で戦っているのだ。表情とは裏腹に、頬を伝い落ちる大量の汗が彼の消耗を現していた。
「「「ぐあぁああぁあぁああぁっっ!!?」」」
どんどんと消えて行くコピー達。徐々にその数は減り、遂に本物の神下のみとなってしまった。
「…絶対、に…あき……ら……」
「――先輩っ!?」
呟くようにして、偽物の鏡 を地に落とし、フラつきながら倒れる鏡守。すんでのところでトウヤが体を支えた為、事無きを得たが、魔力の使い過ぎで鏡守は気を失っていた。
「おい、ヒョロ男! まだ見つかんねぇのかっ!? 早くしやがれっ!!」
「そんなのボクだって分かってるヨ! クソッ! 見つからないっ!」
懸命に探すサクだったが、見えてくるのは誰もいない校舎の姿。たった一人になってしまった神下では、彼を守る事も出来なくなっていた。
「姉さん、鏡守先輩を頼みます…。僕が行ってくる!」
「ちょ、トウヤ!? 待ちなさいっ! 危険過ぎるわっ!!」
ネネの制止を振り切り、トウヤも結界から飛び出した。広い校庭の中、サクを援護する為に全速力で駆け出して行く。
「…いない、いない、いない、いない、いない、いなイィィイィィ!?」
サクは徐々に焦り始め、冷静に探す事が出来なくなっていた。今まではコピーの神下が何とか身を呈して守ってくれていたが、もうそうはいかない。次に狙われたら、助かる保障は無かった。恐怖――ただそれだけが頭の中を渦巻いていく。
何故、こんな怖い思いをしなければならないのか? 何故、こんなつらい目に合わなければならないのか? そもそも、何故自分は戦っているのか? 様々な疑問が頭に浮かんでは、答えの出ない問いだけが脳裏に残った。
しかし、たった一つだけ、答えは出ていた。
今ここで自分が戦わなければ、誰も助からない。生きていたリーや河原も、また命を散らしてしまう。愛した人でさえも、失ってしまう。
皆が命を賭けている中、自分だけは助かろうとしていたんじゃないのか? ならば、それならば―――
「…ヒョロ男……? おい、なんで止まってやがんだ?」
神下から遠く離れた位置で、サクは動きを止めた。正確に言えば、攻撃から逃げる為の足を止めた。巨大な学園を見渡せる位置で、清浄の透過 をフルに活用する。
覚悟は決めた。例え攻撃を受ける瞬間であろうと、一歩も逃げ出す事無く、春夏秋冬を見つけ出す。自分が愛する仲間達を助ける為に。
「フッ…もう蟻退治は終わりか? それでは、残りの雑魚も蹴散らすとしようか――」
やがて、春夏秋冬は偽物の鏡 の能力が消えた事に気付いた。
魔王は残る二人の内、標的を定める。拳を大きく振り上げると、小さな的に向かって鉄槌を下す。
その瞬間、遂にサクは捉えた。視界に映る、春夏秋冬の姿を――
「―――ッ!!? 見つけたゾッ!! あいつは―――!」
突如、視界を遮るように眼前に迫る、巨大な拳。すでに避けられる距離では無く、サクはただ茫然と眺める事しか出来なかった。
「ヒョロ男ォオォォオオオオッッ!!?」
虫を踏み潰すかの如く、サクの姿は巨大な拳に飲み込まれた。地を伝う振動が、叫ぶ事しか出来なかった神下に無情にも響き渡る。
「まずは一匹…。さて、次は貴様か…サラシの男よ。……いや、また増やされては面倒だ。ならば、狙うのは……!」
魔王は次の標的を睨みつける。それは、相対する者達を包み込む見えない結界。幾度と無く、巨大で強大な攻撃は阻まれてきたが、それを自在に操る男の事を彼はよく知っていた。
サクを潰した腕とはまた違う腕で、結界を操る者目掛けて殴りかかる。結果は今までと同じ、結界に阻まれ彼には決して届かない。だが、それを知りながらも魔王は攻撃を繰り返していく。
「あいつ…ゴリ押しかよ…っ! そんなん意味ねぇーってのっ!」
結界の中、タケシは一人ゴチる。それは、まるでサンドバックを叩くボクサーの様な連打であったが、このサンドバックはそう易々と壊れる代物では無かった。ましてや、片腕ずつの攻撃とあらば、尚更の事である。
サクの事が気掛かりであったが、この攻撃の中では結界の外に出るのは自殺行為である。どこかで敵の攻撃が止む様な好機を、タケシは狙っていた。
しかし、タケシはそれを見て、初めて気付く。魔王の狙いが何であったのかを。
「おい、おっさんっ!? 大丈夫かっ!?」
「――…やってくれましたね…春夏秋冬…っ! さすがと言うべきか…私の事が良く分かっている…っ!」
今にも倒れかけそうな程に消耗しているリーをタケシが支える。背に触れた手に、違和感を覚えた。思わず掌を見ると、そこにはスーツの上からでもべっとりと付着するほどの、血液が塗られていた。
「あんたもしかして、こんな状態で戦ってたのかよっ!? よく今まで…っ!」
完全に癒えていなかったとは言え、ラグド商会襲撃の際に負った傷が、今ここで再び開いていた。魔王の一撃を耐える度に、少しずつ毒の様に体中を蝕んでいった。
「リー…。お前はそういう男だ。決して自分の素顔は誰にも見せず、ポーカーフェイスを気取り続ける。だが、私には分かる。お前にその傷を負わせたのは、この私だからなっ!」
また一発、魔王の一撃が結界を叩く。結界に小さな亀裂が入った。さすがに堪え切れず、苦悶の表情を浮かべるリー。だが彼がここで能力を解除してしまえば、誰がこの仲間達を守れると言うのだろうか。
「マスターっ!! もう持ちませんっ! ここは一旦、退きましょう! これ以上はマスターが、マスターが死んでしまいますっ!!」
「――…ダメですよ、ミヤちゃん…。今この瞬間こそが…魔王を討つ最大の好機なのです…。私の役目は、ここにいる勇者達を守り抜き、魔王の元へと送り届ける事ですからねぇ…」
もう一人では立つ事すらままならない中、リーは諦めない。彼の胸中にあるのは、古い友人達との記憶。もう戻れない過去の遺産を抱き、今や唯一の生き残りである友であった男を倒す。それは、絶望の道へと進んだ男を唯一救う道であり、YS学園という巨大な魔具を創ってしまった自分への咎でもあった。
だがその想いとは裏腹に、リーの体は限界を迎えていた。亀裂の入った結界は、誰が見ても弱々しく、次の一撃に耐え得るとは思えない。
「これで終わりだ、リー…。馬鹿な親を持った子供達と共に、朽ち果てるがいいっ!!」
トドメと言わんばかりに、強烈な一撃が結界を叩く。すでに入った亀裂が大きく結界全体に広がっていき、まるでガラスが割られるように、結界は決壊した。そのままの勢いを保ちながら、巨大な拳は小さな人間達を目掛けて降下していく。
「――きゃああぁぁあぁあぁ!!?」
思わず叫び、頭を抱えて目を反らすリン。だが、目を開けてみると、先程と何一つ変わらない景色。見上げてみると、壊れた結界のすぐ下に、また新たな結界が張られていた。
「――何だと…っ!? 結界を新たに創る余力などあるはずが…っ!?」
壊した結界の下に、また新たな結界。春夏秋冬を動揺させるには十分な素材であった。当然、結界を張っているのはリー本人である。あれ程までに瀕死だった男が、何故もう一度結界を創れたのか。それは、タケシと入れ替わり、彼を支えている男が協力していた。
「……おやおや…まさか、あなたに助けられるとは…。これ程までの力を使ってしまっては、あなたが死んでしまいますよ…?」
「あんたの結界が崩れても結果は同じさ。なら、俺がやる事はただ一つってわけだ…。ったく、俺がせっかく治しかけた傷をこんなにしやがって…」
それは、シュウヤの存在あってこその出来事だった。たった今まで、タケシやユイの治療をしていたにも関わらず、今は全力を出して癒しの指輪 でリーの傷を治療し、魔力を復活させている。それは、ユイ達を治療していた時とは、比べ物にならない程の治療スピードであり、一瞬で瀕死の状態から、新たに結界を創り出せる程にまで治療していた。
当然、それ程の能力を発揮するには大量の魔力が必要であり、シュウヤは限界を超えて魔具を使用していた。代償として、気を失う寸前まで体力を消費し、今やリーが彼の体を支えている様な状態だった。
「くっそ…っ! もうほとんど体が言う事を聞きゃしねぇ…。 後は頼んだぜ…タケ…シ…」
「おにいちゃんっ!?」
そう言い残し、シュウヤは意識を失った。リンが心配し駆けつけるが、命に別状は無さそうだ。リンはホッとすると、彼の手に持つ何かに気付き、自身のポケットへとしまった。
紳士は、腕の中で気を失った彼を地へと寝かせ、再び魔王と対峙する。
「シュウヤさん、あなたのおかげで私はもう暫く戦えそうです。感謝致しますよ…!」
「しぶとい奴らだ…。どうせ生き延びる時間が少し長くなっただけに過ぎない事に、何故気付かない…! この虫ケラ共がっ!!」
「…そう言えば、あなたは私をよく知っていると仰っておりましたねぇ、春夏秋冬。それは私も同じ事です。あなたの事は、私もよく知っているのですよ…。あなたは昔から、詰めが甘いのです」
彼等は互いの事を知っている。どんな魔具を持つのか、どんな戦い方なのか、どんな人間なのか。
それ故に、リーは見つめる。彼の弱点とも言えるべき、その人間性が招いた一つの現象を。それは、かつて魔王が御三家の人間を始末しきれなかった時と同じように、そこに存在していた。
「分かったぞっ! 奴の居場所が!!」
「―――っ!!?」
突如、大声が響き渡る。それは春夏秋冬にしてみれば、想定外の場所から発せられた声だった。
サクを潰した腕のすぐそばに、泥だらけのトウヤと、彼に肩を借りながら潰したはずの サクが立っていた。二人とも制服の至るところが破けていたが、どうやら命に別状は無いようだった。
巨大な拳がサクに当たる瞬間、全速力で駆け抜けたトウヤが、サクに向かった跳びかかった。転げ回るように土煙に塗れたが、間一髪の所で攻撃を受ける事は無かったのだ。
「何故だ…っ!? 何故貴様らはそうやって、何度も這い上がってくるのだ…っ!?」
幾度も死に追いやりながらも、もう一歩の所で仕留め切れない。そんな歯痒さに、思わず春夏秋冬は自らの拳を壁へと叩きつけた。
「ならば――…、いいだろう。ゴキブリの様に這い出る貴様らが、消し屑になるまで木端微塵にしてくれるっ!」
再びサクへと向けられる魔王の視線。一撃を逃れられたとは言え、次も避けられる保証は無い。今は一刻も早く、結界の中で待つ仲間達に春夏秋冬の居場所を伝えなければならなかったが、サクはここで初めて作戦に欠陥があった事に気付く。
「…しまった……! くそぅ…っ! ここからじゃ間に合わない…っ!」
今や結界から離れたこの位置では、結界に辿り着く前に潰されてしまう。大声で伝えようにも、あの巨大な体を持つ化物に対してピンポイントで場所を示すのは難しく、瞬時に言葉に現すのは不可能だった。
命を賭けた決死の探索も、ここで伝えられなければ意味が無い。あまりの悔しさに、サクは恐怖とは違う涙を浮かべた。脳裏に渦巻くのはその目で見た、巨大な学園の中で佇む春夏秋冬の姿だった。
だが、そんな状況でもトウヤは不敵にも笑っていた。まるで自分達の勝利を確信したかのように。
「正直、あなたの事はあまり好きになれないが、よくやってくれた。お礼を言うよ、大鳴サク」
まるで、死に際の最後の言葉の様だった。思わぬ人物からの感謝の言葉に、サクは申し訳ない気持ちになり、己の無力さを呪った。瞳に溜まった雫が零れ落ちる。
「そのまま、奴の居場所を思い浮かべておいて下さい。後は彼女がやってくれる 」
「……え?」
結界の中で、少女はこの時をずっと待ち続けていた。仲間の危機でも彼等を信じ、動く事は決してしなかった。自分の残り少ない魔力を、目の前に立ちはだかる魔王にぶつける為に。
手に持った本には、大鳴サクについてのページが示されている。それは本来、元々彼女が得意としていた力だった。
そこには、様々な彼についての情報が書かれていた。彼が生粋のオタクと呼ばれる特異な趣味を持つ存在である事。ラグド商会の一員であるが、構成員としては下っ端である事。生徒会長である珠姫ネネに異常な愛を抱いている事。そして、本を見ている彼女が最も知りたい事柄も示されていた。
それは、サクが伝えたくても伝えられなかった言葉。まるで脳内を覗き見た様に、彼女――佐藤ユイには、それが理解出来た。
「……わかりました。春夏秋冬は―――あそこにいます!」
彼女の視線が指したのは、今や巨大な化物となった学園の中腹部分、人間の体で言えば心臓と鳩尾 の間に位置する部分だった。それも、サクが見た光景が全てならば春夏秋冬がいるのは元の学園長室のままであり、巨大な学園からしてみればへそ程の大きさしか無かった。
だが、場所さえ分かってしまえば、どうとでもなる。ユイにはそう思える程の自身と、覚悟があった。
彼女の想いに呼応するかのように、かつて彼女と敵対していた男が動き出す。彼もまた、この時を待っていた一人であった。
敬愛する上司に守られながら、決して手どころか口も出さず、歯を食いしばりながら機を待っていた男。それはこの場で唯一、魔力を消費しておらず、自身のありったけの魔力を貯める事が出来た者だった。
「それでは我らも動くとしよう、佐藤ユイ。私の準備は出来ている、いくぞ――!」
「えぇ、とびっきりのをお願いしますっ!河原さん!」
「――ハアァァァァアァァアアアァッッッ!!!」
河原は結界から自ら出ると、自身の弾丸型の魔具、無限の弾丸 を指先でつまみ、目の前に掲げる。そして、ありったけの魔力を弾丸へと注ぎ込んでいく。弾丸が異様に怪しく輝き、彼の真横に突如として物体が現れ始める。やがてそれは、弾丸の輝きの収束と共に、完全なる姿を現した。
「――…フゥ……これが、私が出現させる事の出来る、最強の弾丸。FGM-148ジャベリンだ」
「…弾丸って……!? これは…っ!!」
結界内でそれを眺めていたタケシは、思わず驚嘆の声を上げる。
それは、弾丸と呼ぶには遥かに巨大で、圧倒的な存在感をその場に放っていた。全長1.1mに及ぶ胴体に、総重量22kgの重量感を持つ弾丸。それは、対戦車ミサイルだった。
「これは自立誘導能力を備え、補足した対象物への命中率は94%と高い数値を誇っている。だが、私に出来るのはここまでだ。私の無限の弾丸 が出来るのは、弾丸を創造し精製する事だけだ。打ち上げる事は出来ない。」
「――えぇ、それで十分です。対象物へのロックオンと射出は、新世界の門 で行います!」
河原と同じく結界から飛び出たユイは、新世界の門 に願いを込める。その手に持つ本に記されたのは、ジェベリンの春夏秋冬への着弾。それに呼応する様に、ミサイルは火を噴き出す。
「さぁ、行きなさいっ!ここからが私たちの反撃ですっ!」
文字通り、反撃の狼煙を上げる様に、学園へとミサイルは飛んで行く。頭上へと打ち上げられたジャベリンは、アーチを描く様に標的へと向かっていく。
「……いいだろう。そんなモノで我が要塞が倒せるのなら、やってみせるがよいっ!」
「なっ――!!?」
防御姿勢を取るどころか、向かってくる巨大な弾丸を受け入れるように、魔王は腕を広げてみせた。
そのままジャベリンは標的へと着弾、爆発の衝撃と熱風が辺り一面に広がった。ユイは思わず吹き飛ばされそうになったが、河原が支えた事で事無きを得た。
巻き上がる砂煙に、視界が閉ざされる。破壊力だけであれば、ジャベリンはこちらが持つ戦力の中で一番だと言える。それが直撃したのであれば、ただでは済まないであろう。一同に、淡い期待と緊張が走る。
だが唯一人、この学園の創作者でもあるリーには、この攻撃がいかなる結果を待っているか気付いていた。
立ち込めていた煙が少しづつ晴れ、再び魔王の姿が現れ始める。その姿をいち早く見た河原は絶望した。
「そんな…馬鹿な…っ!?」
着弾地点である外壁こそ焼け焦げているものの、いたって学園にダメージと言えるものは無く、ほぼ無傷と瞬時に判断出来た。
「フハハハハッ! これが我が最強の要塞だっ! 貴様ら虫ケラでは、どう足掻いても勝つ事など出来はしないっ! さぁ絶望の中、朽ち果てるがいいっ!」
「――そりゃあ、どうかな?」
「――ッ!!?」
春夏秋冬は驚愕した。ここは、この学園のコックピットとも呼べる玉座であり、自分以外の誰一人をも侵入を許さない、不可侵領域であり絶対無二の場所である。そこへ、男が立っていた。かつて親友と呼べた男の、息子が目の前に立っていたのだ。
「お前は…タケシッ!? 一体何故ここへ……ハッ!?」
そこで気付く。彼の足下に隠れるようにして、少女と小さな竜がいる事に。
「わ、わたしのレヴァは、行きたいところがわかれば、わーぷできるんだよっ!」
恐る恐るながらも精一杯勇気を振り絞り、春夏秋冬を見据えるリン。その瞳は小さいながらも、タケシやトウヤ達と同じ意思を抱いていた。
「空間転移だと…っ! まさか、今までの貴様らの動きは、この学園を外からでは崩すのではなく、学園の中でこの私を直接叩く為だったと言うのか――っ!?」
「その通り。全て、生徒会長が考えた事さ」
この巨大な学園を倒すのは、ほぼ不可能である。ならば、指揮官である春夏秋冬を直接叩けばいい。サクが春夏秋冬の位置を割り出し、ユイと河原が学園に目印を付ける。それを合図に目印へと向かって、リンがタケシを連れて空間転移を行う。そしてここから先は、唯一、春夏秋冬を倒せる力――血の十字架 を持つタケシに委ねられた。
「なるほど、分かってしまえば実に単純な作戦だが、甘いな。その剣があれば、私を倒せるとでも思っているのか? ……思い上がるなよ、小僧っ!」
「へへっ、思い上がっちゃいねーよ。だけどまぁ、ここまで皆が俺に期待してんだ。裏切るわけにはいけねーよなっ!」
トウヤから授かりし血の十字架 を構え、春夏秋冬へ立ち向かう姿勢を取るタケシ。それに呼応するかの如く、リンもレヴァに戦闘態勢を取らせる。
この学園の玉座とは言え、この部屋は元の学園長室のままであり、部屋の広さは変わらない。タケシがちょうど学園長室の入口に立っているとするならば、目の前に座っている春夏秋冬までの距離は約8歩。しかし、相手はこの学園そのものを操る事が出来る。タケシにはこの8歩が、大分遠く感じた。
「おや、来ないのか? フン、案外ただのバカではないようだな。では、私から先手を頂くとしよう」
春夏秋冬は玉座に座ったまま、肘掛けと同じ高さにある、血の十字架 が埋め込まれた石柱に手をかざす。
校舎内の壁がぐねりと動き、不気味な空気を漂わす。突如、壁から鉄骨の様な突起物が飛び出し、二人へと襲いかかった。
それを難なく避けた二人だったが、同じ様な突起物が四方八方から、今にも飛び出そうとしていた。
「次は避けられるか…? さぁ、ショータイムといこう」
「リン! 離れるんじゃねぇぞっ!」
「うんっ!」
まるで串刺しにするかの如く、あらゆる壁から突起物が伸びてくる。それを、体をかわす様に、あるいは飛び跳ね、次々と避けていく二人。
だが、そう簡単には春夏秋冬の攻撃も終わらない。無数の突起物が、止む事無く二人を襲い続けた。
「くそっ! しつけぇぞっ!――ぅあっ!?」
「タケシお兄ちゃんっ!?」
まるで足を引っ掛けるように、地面から少しだけ伸びた突起物が、タケシの足下をすくった。思惑どおりにタケシの体は宙に浮かび、転ぶ様に倒れかける。そこを狙う様にして、頭部に当たる角度で突起物が伸び出した。
「潰れろ、これでジ・エンドだ」
空中で身動きが出来ないまま、為す術が無いタケシ。正真正銘の危機だったが、タケシは笑みを零した。まさに当たる瞬間、タケシの姿は消え、突起物は宙を切った。
「――おまえがなっ!」
「な――」
レヴァの能力により、春夏秋冬の頭上へと転移したタケシは、血の十字架 の切っ先を真下に構えそのまま下降する。
「――んてな。甘いわ、小僧」
だが、こちらも後一歩というところで、壁から伸びた突起物が二人の間に入り、剣先が突起物に突き刺さる。そのまま突起物は振り払う様にして、タケシを入口へと吹っ飛ばした。
うまく受け身を取り、ダメージには至らなかったが、また元の位置へと戻って来てしまった。
「しかし、やはりそこの小娘の能力は厄介だ…。まずは、そちらから排除させて貰おうか…」
「えっ――!?」
またも、無数の突起物がリンを集中的に狙う様に壁から伸び出す。だが、その小さな体を捉えるのは容易では無く、幾つもの突起物が空を切る。
「ほほぅ、なかなかうまいものだな。だが、その魔具はどうかな?」
宙を飛んでいたレヴァだったが、突如真下から伸びた突起物が柱の様になり、その行く手を阻んだ。大きく口を開けて火球を放とうとしたが、真横から突起物が襲いかかり、そのままレヴァを挟む様に壁へと叩きつけた。
「レヴァ――ッ!?」
思わず動揺を隠しきれないリンに、突起物が襲いかかる。硬直したリンには避ける事も叶わず、突起物に鳩尾付近を打ちつけられた。
「う――っ!?」
「リンッ!!」
そのままレヴァと同じく壁に挟まれそうになるのを、すんでのところでタケシがリンを引っ張り、事無きを得る。衝撃でリンは意識を失っていた。
「まずは、一人だな。どうする? その小娘を抱えた状態で、私に挑むか? それとも、その小娘を見殺しにするのか?」
「……あんたは、そんなマネをする奴じゃない。人質を取るような姑息な奴だったら、ここまで苦戦なんかしてないさ」
意外なタケシの返答に、ニヤリと春夏秋冬は頬笑んだ。
「いいだろう。その小娘には私も手出しはするまい。そこの魔具も返してやろう」
レヴァを挟んでいた突起物が縮み、押さえが無くなったレヴァが地へと落ちた。どうやら、気を失っているらしい。リンと同じ場所にレヴァも横たわらせた。
「だが、その小娘無しに私に勝てると思っているのか、小僧?」
「うるせぇ、こっからが本番だ。いくぜっ!」
小細工無しに、一直線に春夏秋冬へと走るタケシ。当然の如く、その行く手を阻む様に突起物が伸び出す。
しかし、始めにタケシを攻撃した突起物がまだ残っており、まるで盾となる様にタケシを守った。
それは、一本だけでは済まなかった。二本、三本と、次々に攻撃が防がれていく。
「私の攻撃を逆に利用するとは…。なかなかやるな、小僧!」
「さっさと片付けねぇからだよっ! 思い通りだぜっ! さぁこれでとどめだっ!!」
春夏秋冬へと迫るタケシ。残りあと2歩で血の十字架 が届いたが、眼前に座っているだけの男が遂に腰を上げた。
「忘れたわけではあるまい…! この私にも血の十字架 がある事をっ!」
血の十字架 が埋め込まれた石柱から、くだのようなモノが生え、春夏秋冬へと突き刺さる。すると、再び彼の体が赤黒く変色し、筋肉が増強し始める。
「うおぉおぉぉっっ!! ぶった斬ってやるっ!!」
「させるものかっ!!」
血の十字架 対血の十字架 。しかし、春夏秋冬の持つ血の十字架 は魔力の強化であるが、タケシがトウヤから授かった血の十字架 は、魔力の除去能力を持つ。タケシには大きく分があった。
だがそれは、春夏秋冬も百も承知の事実。だからこそ、この魔具と人工物の塊である学園を使い、タケシと直接戦う事を避けてきた。
そして、それは今も同じ。春夏秋冬は真剣白刃取りをする様に、振りかぶったタケシ自身の腕を押さえた。そのまま握りつぶす様に力を込める。
「ぐわぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁっっ!!?」
ミシミシと両腕から悲鳴のように骨が音を鳴らし、強烈な痛みが脳を刺激する。だがそれでも、タケシは血の十字架 を離さないどころか、そのまま振り下ろそうとしていた。
気が緩んだ方が命を落とす場面。しかし、春夏秋冬の方がここでも一枚上手だった。
急速に真横から伸びた突起物が、タケシの持つ血の十字架 へと直撃した。タケシが絶対に離さない力を込めたが故に、真横からの衝撃を直に受けた血の十字架 は、根元から刀身が折れてしまった。
「な――っ!!?」
あまりの衝撃に気が緩んだタケシ。その隙を見逃さず、両腕を離した春夏秋冬は強烈な蹴りを浴びせた。
「がはぁぁっ!!?」
血を吐きながら吹き飛ばされるタケシ。ごろごろと転がると、起き上がる事は無かった。
「やれやれ…、なかなかしぶとかったが、これで終わりの様だな。まぁこの世界の最後の余興としては、中々に楽しませてもらったぞ。フハハハハッ!」
自らの勝利を確信し、タケシを背に高笑いをする魔王。唯一の脅威と呼べる、もう一つの血の十字架 はもう使い物にはならないだろう。念の為と言わんばかりに、地に落ちた刀身をハンマーの様に突起物で粉々に粉砕した。
「さて、残るは校庭に残るカス共か…、哀れな奴らだ。もうすでに、自分達が敗北しているとも知らずにいるんだからな!」
「……まだだ。まだ…終わっちゃ、いねぇよ……っ!」
振り返ると、そこには震えながらも立ち上がる男がいた。
血の十字架 で強化された肉体で攻撃されればどうなるのか、それはユイやトウヤの姿で十分に分かっている。しかし、目の前にいる男はそれでも尚、立ち上がろうとしている。
「……何故だ。何故そこまで、このくだらん世界を守ろうとする? この世界に一体どんな価値があるというのだ?」
「……あんたに昔、なにがあったかなんて…知らねえ、知ったこっちゃねぇ。だがよ…、俺の好きな奴らを、愛する人を悲しませる奴を、俺はゆるせねぇよ…!」
脳裏に浮かんだのは、いつもの学園の風景。微笑む同級生達。そして――鉄球を振りかざす少女。トウヤが、ユイが、マキノが望んだ世界を、タケシも胸に宿している。
それ故に立ち上がる。何度でも、何度でも、この世界を守る為に。
「全く貴様とは相容れんな。だがどうする? その折れた刀身で何が出来るという?」
「……うるせぇよ、よけーなお世話だってんだ。それに俺は元々、剣なんか使ったことねぇーんだよ。こっちの方が似合ってらぁ!」
持ち手のみとなった血の十字架 を握り締め、精一杯の力でファイティングポーズを取るタケシ。
それに呼応する様に春夏秋冬もまた、戦闘姿勢を取る。今度は学園など使わず、真っ向からの勝負を行うつもりだった。
それを、タケシも相手の瞳から感じ取った。持ち手のみとは言え、この部分も血の十字架 の一部。まともに殴ればどうなるか分からないが、それを覚悟しての春夏秋冬の決意だった。
「あんたも、結構負けず嫌いなんだな」
「フッ、お前の親父とも、よく殴り合ったのを思い出す」
お互いに奇妙な笑みを浮かべると、最後の激突が始まった。
何も考える事無く、ただ一直線に向かい合い、渾身の拳を突き出す。
「うおりゃあぁあぁぁぁぁぁぁあぁっっ!!!」
「ぐおおぉおおぉぉぉおおぉおおぉっっ!!!」
ぶつかり合った拳と拳。お互いに引く事無く、拮抗した状態が続く。
タケシの腕は、衝撃で血管から血が噴き出し始めた。
春夏秋冬の腕は、魔力がかき消され、肉体強化がはがれ始めた。
拳と拳。力と力。意地と意地。互いの望む世界。
強い想いの乗せた拳に、押された方が敗者となる。
片や自分の愛する世界を守ろうとする者。
片や自分が愛せなかった世界を滅ぼさんとする者。
お互いの意地はその拳に乗せられ、相手に伝わっていく。
だが、想い虚しく、徐々にタケシの腕が押され始めた。
先のダメージに加え、今も肉体的なダメージをタケシは受けていた。もうすでに腕はボロボロになっていた。
「くっそおおぉおおおぉおおぉおおぉっっ!!」
「小僧っ!! これで終わりだぁあぁぁぁぁぁあぁっ!!」
「いいえ、終わるのはあんたよ。春夏秋冬 神っ!」
突如、二人の空間に割り込んできた人物。タケシからは背後から声が聴こえてきたが、その聴き慣れた声は、相手が誰だか分かるのに1秒も掛からなかった。
「マ、マキノっ!? どうして――!?」
「あんたの手助けよ、タケシ。さぁ、二人で勝つわよっ!」
そう言ってタケシを支えるようにして、マキノは両手をタケシの背中に付けた。
「フン、何をしても無駄だ、小娘っ! 貴様の魔具は私が破壊した! 小僧と共に果てるがいいっ!!」
「フフッ、魔具は無いけど、もっとイイモノならも持ってるわよ。私のお気に入りがね♪」
それは、シュウヤからリンへと手渡され、寝ている彼女のポケットからマキノが勝手に拝借したもの。いや、始めからマキノには、ここにそれがある事が分かっていた。
それをいとも簡単にタケシの背中に装着すると、タケシから両手を離し、手に持ったスイッチを押した。
「ロケットブースターよ♪」
「うおおおぉおぉぉおおおぉおおぉおおおっっっ!!!」
「な、なんだとぉおぉぉおおぉっっっ!!?」
急激に襲いかかるタケシの拳に、春夏秋冬は為す術無く押し負け、そのまま拳は彼の胸へと叩きつけた。
「ぐがはぁぁあぁぁぁっっっ!??」
「うわぁあぁあぁぁあっっ!! 止まんねぇぇえぇえぇっ!!!」
その勢いのまま、タケシ自身にも止める事が出来ない力で、春夏秋冬を押し走って行く。
そのまま玉座へと向かい、タケシは石柱に埋まった血の十字架 を見つけた。
「ええぇいっ!! まとめて、ぶっ飛べぇええぇえぇぇえええぇっ!!!」
春夏秋冬諸共に石柱を殴り、もう一つの血の十字架 を粉々に破壊した。
そこで、ロケットブースターは停止した。春夏秋冬から腕を引き抜くと、彼は気絶している様だった。
手に握った血の十字架 の持ち手は、役目を果たしたと言わんばかりに消滅していた。
戦いは終わった。マキノが参戦した事により、窮地を脱したタケシが勝利したのだ。
「これで…終わった、のか?」
「……いいえ、まだよ。タケシさっさとここから脱出するわよっ!」
そう言ってリンを起こし、レヴァを目覚めさせるマキノ。何か、これから起こる事を危惧している様な雰囲気があった。
「あんたはそっちの私に連れてってもらって。私はこいつを持ってくから」
気絶している春夏秋冬を抱えるマキノ。だがどう考えても馬鹿力とは言え、この男を背負って出て行くにはきつそうだ。
「おい、マキノ。さすがに無理だろ。大体お前、どうやってここに来たんだ?」
「降りれば分かるわよっ! ほら、あんたもさっさと転移する!」
「は、はいっ!」
出会った当初に脅されたのがトラウマになっているのか、リンは素直にマキノの指示に従った。それが未来の自分の姿であると知らずに。
リンと共に地上へと降りると、タケシは皆の顔を見てホッとした。どうやらみんな無事らしい。
「おーいっ! 学園長倒してやったぞぉーっ! これで戦いは終わりだなっ!」
タケシの歓喜の大声が校庭中に響き渡る。だが、その声に応ずる者は誰もいなかった。
皆、学園を見上げ、茫然と立ち尽くしている。
「なんだよ、これ……っ!?」
「こんなの、聞いてないわよ……?」
「なんて事でしょう……っ! まさか行き場を無くなった魔力が、暴走しているのですか…っ!?」
リーですら、驚愕した表情を見せている。思わずタケシも振り返ると、そこには幾つもの風船ガムの様に膨れ上がった学園があった。まるで爆発寸前である。
「なんだ、どうなってんだよっ!!血の十字架 は破壊したはずじゃ――っ!!」
「あれだけの魔力で動いていたこの化物が、心臓を抜かれたらどうなるか? 人間に例えてみれば、当然血が噴き出すわよね?」
いとも簡単に、冷静にマキノが答えた。気絶している春夏秋冬は、校庭に伏せている。
要するに、この学園はいまにも爆発するという事を、タケシは理解した。
トウヤは動揺しながらも、冷静に状況を分析した。
「リーさん! これが爆発したら…どうなりますか?」
「……おそらく、この世界は壊滅的打撃を受ける事になります。そこは、荒廃した混沌とした世界。我々とも、春夏秋冬が望んだとも違う、全く別の結果になる事でしょう」
「そんな……っ!!?」
誰もが予想だにしなかった結果に、全員が絶望という名の衝撃に包まれる。いや唯一人、この中でこうなる事を知っていた人物がいた。
「私が…止めてみせる」
「マキノ……っ!?」
静かに、そう告げると彼女は学園へと向かって歩いて行く。
「おい、待てよ、マキノ! いくらなんでも、村正(改)を持ってないお前じゃ――」
「いるわよ、村正。長い間、閉じ込めちゃってたけど、元気そうにしてて良かった」
「……へ?」
突如、勢いよく降りてくる、大きな蒼白色のドラゴン。その風圧に体が飛ばされそうになるのを堪える。
大きな僕を従えたマキノは、久し振りに会う家族に柔らかい笑顔を見せた。
「レヴァ、元気そうで嬉しいわ」
ドラゴンは自ら頭を下げ、マキノはその大きな頭を撫でる。ドラゴンもどうやら嬉しが
っているように見えた。
春夏秋冬との戦いの際、村正(改)は破壊された。だがそれは、外殻である鉄球部分だった。中に眠っていたレヴァは、そうして目覚め、今ここに現れていた。
レヴァの能力によって、マキノもタケシと同じく、学園の中へと空間転移していた。
「お前、まさか記憶が――っ!?」
何時の間にか目を覚ましていたシュウヤが、マキノの異変に気付く。彼女の動きは全て、何かを予見していた。
「……えぇ、そう。全て思い出したわ。私のいた世界が、どうなったのか…」
「じゃあまさか、今のこの状況も、お前は知ってるんだな?」
「そうよ。私は知ってる。私のいた世界とは若干経緯が違うけれど、たどり着く未来は同じ。血の十字架 を破壊した事で、学園の爆発で世界は終末を迎えながらも、延々と枯れ果てた大地で生きていく事になるわ」
未来の世界で爆発寸前の中、シュウヤとリンは空間転移によって逃げた。
かろうじて生き延びる事が出来たが、シュウヤは仲間を見殺しにした自責の念に駆られ、体調を崩し病床に伏せてしまった。制限された体ながらも、リーに教わった技術で村正に外殻とブースターを取り付け、村正(改)を創った。そして、死んだ。
残ったのは、荒れ果てた大地に佇む一人の少女と、一匹の竜。それが、マキノの知る最悪の結末だった。
「そんな……っ!? じゃあ俺が血の十字架 を壊さなければ…っ!!?」
「いえ、それは無理よ。血の十字架 を破壊しなければ春夏秋冬は止まらなかったし、血の十字架 が存在し続ける限り、悲劇は生まれ続けるわ」
「……じゃあもう、打つ手無しって事ですか?」
黙っていたユイが、ポツリと呟く。彼女が持つ新世界の門 でも、止める事の出来ない魔力が学園には溢れていた。
「……そうでもないわ。だって、私がここにいる。その為に私は未来から来たんだから」
ある決意を胸にマキノは、学園へと向かって行く。その後ろ姿は、もう手に届かない場所へ行ってしまいそうだった。
ハッと彼女のやろうとしている事に、ネネは気付いてしまった。
「ま、まさか! この学園ごと空間転移するつもりなのっ!?」
「そんなの無茶だっ! 大体、どこに転移するって言うんだっ! どこだって結果は一緒じゃないかっ!」
思わず大声を上げるトウヤ。それ程までに巨大な爆発なら、場所がどこでも必ず悲劇は生まれる。だが、彼は気付いていたのだ。彼女がどこに行こうとしているのか。
「もしかして…未来…ですか……?」
ユイも気付いてしまった。それ故に、トウヤが発したく無かった言葉を、自然と口から零れ出してしまった。
世界が違うならば、今この状況を打破する事が出来るだろう。――マキノという命を犠牲にすれば。
他に打開策も無く、やり切れない気持ちと、どうしようもない気持ちが合わさり、動く事が出来る者はいなかった。拳を握りしめ、歯を食いしばり、黙って状況を見守る事しか出来ない自分に、苛立たしさと虚しさが込み上げてくる。
「……俺はやっぱりそんなん認めねぇ……認めねぇぞっ!!!」
唯一、タケシだけがマキノを追い掛ける。すでに、マキノは校舎へと辿り着き、転移をする為の準備をしていた。
「マキノぉぉぉおおおぉぉぉおぉぉおぉっ!!!」
「――ッ!? タケシっ!?」
猛ダッシュで向かってくるタケシに、思わず手が止まる。だが、ここでやめるわけにはいかない。もう、あんな世界を創ってはいけない事を、誰よりマキノ自身が理解していた。
「待ちやがれっっ!! 俺はっ!! そんなの、許さねぇぞぉおおぉっ!!」
ぎゅっと唇を噛み締め、振り向きたい気持ちを抑える。マキノ自身も、出来る事ならこの世界で生きていたかった。しかし、誰かが。誰かが、世界を救わなければならないのだ。
「ハァ、ハァ――ッ!? マ、マキノ! 待てっ! まだ行くなっ!!」
転移の準備は整った。後はレヴァに命ずるだけだ。そうして、この世界と、愛する人たちとさよならをするのだ。
「マキノぉぉおおおぉぉおおっっ!!!俺はぁあぁあっっ!!」
さぁ、行こう。悲しみが訪れて行けなくなる前に、お別れをしよう。
さぁ、転移を始め――――
「お前の事があぁああぁあっ!! 大っっっ好きだぁあぁぁあぁぁっっっ!!!!!」
「ッッ!!!??」
タケシの校庭中に響く大音量の告白に、誰もが目を丸くした。
決意を固めていたマキノも、わけがわけらず手を止めてしまった。そして、絶対に振り向くまいと心に誓った掟を破ってしまった。
そこには、ぜぇぜぇと息を切らす最愛の人が立っていた。
「馬鹿…っ! そんな事言われたら、行けなくなっちゃうじゃない……っ!」
思わず目尻に涙が溢れ出す。零れた雫が幾つも頬を伝い、地へとポロポロと落ちていく。それは、我慢していた気持ちが次々と溢れ出ていた。
「あたしだって…っ! みんなともっといたいっ! トウヤにいっぱい怒られたりっ! ユイといっぱい話したりっ! それにっ! それに、もっとあんたと一緒にいたいよぅ…。でも、ダメなの。あたしじゃなきゃ、この世界は救えない…。この世界を救う事が出来るのは、あたしだけなのっ!!」
溢れる涙を流し、顔面をぐしゃぐしゃにしながら、マキノは本心をぶつけた。
タケシはそっと彼女を優しく包み込んだ。ドキッとしながらも、マキノは彼の体を抱き締めた。
「うっうううっ…うわあああぁぁぁぁああんんっ!!」
タケシの胸の中で顔をうずめ、マキノは大声で泣き始めた。
みんなともっと一緒にいたい。もっと生きていたい。強い気持ちがタケシにも伝わって来る。
ひとしきり泣くと、マキノは静かになった。まるで、もう別れの時間が来てしまったかの様に。
「……あたし、タケシには感謝してるんだよ? クラスで一人ぼっちだったあたしを、あんたは見つけてくれた。タケシに出会えたおかげで、私は友達が出来た。親友が出来た。愛する人が、出来たんだよ」
「マキノ……っ! ダメだっ! 行くなっ!!」
そっとタケシから離れると、マキノはつま先を伸ばし、タケシの口元へと顔を寄せた。
訪れる静かな一瞬。突然の事だったが、タケシには永遠にも感じられた。
顔を離すと、マキノは真っ赤に照れた顔で、目を泳がせていた。そして―――
「さよなら、だよ」
「マキ――ッ!?」
止めようと伸ばした手は宙を掴み、そのままマキノは学園に手を触れた。
「レヴァっ!! 空間転移よっ! 座標は私の元の未来の世界! 頼んだわっ!!」
大きなドラゴン――レヴァは呼応し、天に向かって吠えた。すると、レヴァと学園、そして、マキノの体が輝きを発し始める。
お兄ちゃん。この世界で何も知らない私を助けてくれて、ありがとう。
トウヤ。いつも叱ってくれて、ありがとう。
ユイ。いつもさりげなく見守ってくれて、ありがとう。
みんな。あたしと出会ってくれて、ありがとう。
そして――タケシ。あたしに恋を教えてくれて、ありがとう。
マキノの体は、少しずつ消えていった―――
「だから行かせねぇって言ってんだろっ!!」
突然バッと奪われるように腕を掴まれ、空間転移を阻止されたマキノ。
「死んでもこの手は離さねぇぞっ!!」
「え? ちょ、え? そんな――っ!!?」
学園の爆発まで、あと数十秒―――!!
向かい合う両者の胸の内には、それぞれの想いを秘めている。
片や世界の全てを滅ぼさんとする者。片や世界を救おうとする者達。
決して交じり合わさる事の無い、互いの理想の世界。
ぶつかり合う意地の先に待つものは、まだ誰も知らない。
だが、その時は刻一刻と迫っていた―――。
照りだした太陽の光が校庭を覆う中、タケシの渾身の一撃が春夏秋冬へと迫る。
大きく振りかぶったモップを、体をかわして避ける。次に男の視界に入ってきたのは、待ち構えていたとばかりに少女が本を構えている姿だった。
「君のソレはもう見飽きたよ」
ユイが
咄嗟に
「ッ!!?」
モップと同様に、眼前に迫っていた春夏秋冬に対しては為す術も無かった。せめてと言わんばかりに、か細い腕を十字に交差し備える。だが、その攻撃は魔王の一撃。当たってしまえば、どんな筋骨隆々な男でもただで済むはずがない。死線を潜ってきたユイですら、恐怖心が込み上げる。
放たれた悪魔の様な一撃。しかし、爆ぜたのはユイの体では無く、校舎の壁であった。
間一髪、瞬時にトウヤがユイに跳びかかり、難を逃れていた。
「ユイ!?――なにしてくれてんのよ、このおっさんっ!うりゃあぁぁああぁっ!!」
怒りに任せて村正(改)を投げつけるマキノ。対して、ユイを仕留め逃した春夏秋冬は不気味に微笑む。
「なにも魔具を破壊するだけが、
目の前に対峙している男の急激な変化に、マキノは
先程――家庭科室での攻防――から、うって変わって、村正(改)が相手を押し潰す事は無く、いとも簡単に片手で受け止められてしまう。そして、春夏秋冬はそのまま鉄球を強く握り締めた。鉄球はミシミシと悲鳴を上げ始めながら、無数のひびが男の掌から広がり始める。
「や、やめ――っ!?」
「……砕け散れ」
マキノの意思など関係無く、無残にも村正(改)は、いとも簡単に破壊されてしまった。春夏秋冬は持ち手に繋がる残骸を引っ張り上げ、茫然とする少女の体を引き寄せる。
「うっ!?ちょ!なによっ!?離しなさいよっ!」
暴れる少女空しく、掴まれた腕が離れる事は無い。片手で首を絞められ持ち上げられると、息をする事も出来ず、やがて暴れていた手足もダランと人形の様に垂れ下がる。
「マ、マズイ!早くマキノさんを助けだすんだ!」
「ククク…もう遅い。世界を滅ぼす力は私が手に入れた!」
念願の最後の適格者を手中に入れ、思わず笑みをこぼす春夏秋冬。マキノを締める掌から魔力を吸い出し、己の力へと変換していく。
トウヤがいち早く駆け出すが、周囲に飛び回る蠅を払う様に空いた手でいなされ、一撃も入れる事も出来ずに吹っ飛ばされた。タケシも後に続くが、結果は同じだった。
ダメージはそれ程無かったが、これでは打つ手が無く、マキノを救う策はタケシには思いつかなかった。
「姫井クン、タケシクン!ここは任せて下さい!」
ユイが春夏秋冬の前に立ちはだかる。
校庭に生えていた木々が地から抜かれ、宙に浮かぶ。そのまま頂点を切っ先となる様に春夏秋冬へと飛んでいく。
「名付けるなら、木槍ミサイルです。存分に味わってみて下さい」
「チッ―!やはり邪魔なのは貴様か、佐藤の娘よっ!」
何本ものミサイルが男に目がけて襲いかかる。一撃、二撃と着弾していく度に、校庭の土煙とミサイル自体の姿で、男と少女の姿は見えなくなっていった。やがて残弾が尽きると、土煙舞う校庭が晴れていき、地に刺さり積み重なった木々がその姿を現す。何本も折り重なって逆転して地に生える木の姿が、攻撃の凄惨さを物語っていた。
「お、おい、ユイ!マキノは無事なのかよ!?」
「大丈夫です。マキノさんには当たらないようにロックオンされています。ですが…」
本を持つ少女の顔から、緊張の色が消えない。それは春夏秋冬という男が生きている事を示していた。
だがしかし、その姿が現れる事は無かった。警戒しながら、再び
タケシはおいそれと構わず、マキノの元へと駆けつける。
「マキノ!おい、大丈夫か!マキノ、目を覚ませ!」
「…けほっけほっ…あたしは何とか平気よ…。それよりあいつは…?」
ほっと胸を撫で下ろしたタケシだったが、ユイもトウヤも消えた春夏秋冬の姿を探している。だが、意外にも渦中の男は自分から姿を現した。
「フ…フフフ…フハハハハッ!どうやら私の方が一歩早かった様だな!ついに…ついに取り戻したぞ!我が力を!」
学園内から4人を見下ろす様に高笑いする春夏秋冬。その手に掲げられた
禍々しく不気味なオーラを放つそれは、かつて男が持っていた果てしない力。444の破片に散らばりながらも、己の執念と野望に命を掛けて集めた十数年間の結晶。真の魔王たりうる力がそこには在った。
「なんて事だ…っ!これでもう世界はお終いだ…! ……なんて言うと思ってるんですか、学園長?」
「私の母と父は、最後まで諦めませんでした。私たちも同じ意思で戦っています。そして、お母様やお父様が望んだ新しい世界の門を、私たちが開いてみせる!」
邪悪で強大な力に対しても、全く怯む事の無い戦士達。それもまた、親から子へ受け継ぎ十数年間築かれてきた、世界の平和を望む者達の意思だった。
だが、それを目前にしても、春夏秋冬の不気味な笑みが崩れる事は無かった。
「ククク…。全く、お前らは変わらんな。例え姿形を変えようと、中身は全くあの時と変わらん。だが、私は違う。この長い間、ただ力を取り戻す事だけだったと、本気で思っているのか? 私がこの学園を、ただお前ら適格者を集める為だけに創ったと思っているのか!?」
春夏秋冬は学園長室にある隠し扉を開く。そこには、十字架型の窪みがある石碑が在った。その窪みへ、彼は魔力で溢れる
すると、突然轟音を響かせながら、学園が動き始めた。
「な、なんだっ!? 一体何が起きてやがんだっ!?」
「…なにかマズイ! みんな、学園から離れるんだっ!」
明らかな異変を感じ取り、学園から出来る限り距離を取る4人。そこで彼らが目にしたのは、信じられない姿だった。
つい数分前まで、私立YS学園で在ったはず校舎が形を変え、今や巨大なロボットの様な姿へと変貌していった。
元々、巨大な大きさの校舎だった事もあり、それは途方も無い高さを誇っていた。地中から上半身の様なものが生え、何本もの巨大な腕が胴体から伸びている。先程まで校庭に広がっていた太陽の光が地に届く事は無く、逆光であるタケシ達から見たそれは、まるで巨大に黒く歪む歪な姿だった。例えて現すなら――そう、魔王の姿であった。
「なんじゃ…ありゃあ…っ! まるで変形ロボじゃねぇか!?」
「…いや、まさにその通りだね。まさか
「……っ!」
タケシ、ユイ、春夏秋冬の側近であったトウヤですら、驚愕の表情を浮かべる中、ただ一人マキノだけが、他の者とは違う表情を浮かべている。
魔王と化した学園から、男の高らかな笑い声が響いてきた。
「フハハハッ! これが、これこそが、我が魔城の真の姿だ! お前らの様な偽善者を一人残らずなぎ倒し、世界を滅ぼす為に創り出した、私の新たな力! 巨大な力を動かす為には、絶大な魔力が必要だったが、それもすでに手に入った! これで私を脅かすモノは何一つ無い!」
欲しいモノを全て手に入れた男が最後に望むのは、世界の破滅。
あまりにも圧倒的な力の前に、タケシはただ茫然と見上げる事しか出来なかった。だが、ふと気付く、少女の異変に。
「…マ、マキノ? お前、震えて…?」
「……ダメ…もう、終わりよ……っ! わたしたちは、ここで……っ!!」
そう言うと、膝から崩れ落ち、ペタンと座り込んでしまう。まるでマキノらしからぬ姿に思わず、タケシは言葉を失った。これ程までに弱気な彼女を、彼は今まで見たことが無かった。
「さて、それでは…そろそろ反撃させてもらうとしようか、この愚かな人間どもが!」
高層ビルに及ぶ程の巨大な腕が、タケシとマキノへ伸びる。タケシは必死に避けようとするが、震えて固まるマキノを見て立ち止まる。
「おい、マキノっ!? 一体どうしたんだよっ!? くそっ! 避けられねぇっ!」
逃げる事を諦めたタケシは、覆い被さるようにしてマキノを守る。しかし、その程度であの巨大な拳を防げるわけも無い事を分かっていた。両目を閉じ、死を覚悟したが、その衝撃が彼らに届く事は無かった。目を開けると、地面から伸びた腕が、敵の拳を握り締めるように攻撃を防いでいた。
「タケシくん! 今のうちに早くっ!」
「…本当、頼りになる仲間だぜ、ユイ!」
動かないマキノをお姫様だっこの様に持ち上げ、急いでその場から離れる。村正(改)が無いせいか、トウヤから授かった
「痛ってて!? あぁ悪い、変な事考えてすいませんでした! …って、え?」
それは、いつもの強烈なツッコミではなかった。マキノはそのままタケシの胸にうずくまる。胸元が湿り出し、彼女が泣いているのだと初めて気付いた。普段ならありえないマキノの異変に、タケシは彼女から聞いた言葉を思い出す。
『私はこの世界よりも、おそらく数年後からやってきた』
まさか、マキノは未来の記憶を思い出したのか?俺達は、このまま春夏秋冬に倒されちまのか?そんな思考がタケシの脳裏によぎる。だが、彼の決意は揺るがない。
「なぁ、マキノ。お前が何を思い出したのかはわかんねぇ。だが、俺達は負けない。誰一人、犠牲なんか出さねぇ。それに、お前も言ってただろ。お前の世界には、今のお前はいなかった」
「………っ!」
何を言っても震えていただけのマキノが、ピクっと一瞬だけ反応した。相変わらず俯いたままだが、彼女の震えは何時の間にか止まっていた。それを知ってか知らずか、タケシには自分の言葉が通じたような気がした。
「くぅ――っ!!?」
「フハハ、なかなかやるではないか、小娘よ。だが、いつまで耐えられるかな?」
その後も容赦無い、圧倒的な攻撃が仕掛けられる。巨大な無数の腕に対し、ユイは校庭のあらゆるものを使って攻撃を防いだ。隙あらば、と逆転の機会を狙っていたが、怒涛の攻撃に防戦一方となり、やがてユイの体力は消耗していく。
「……っ! ゴフッ!?」
「佐藤さんっ!? 大丈夫かっ!?」
それを傍らで見守るトウヤは、ただ拳を握り締める事しか出来なかった。春夏秋冬がYS学園という最強の武器を持った今では、魔具を扱う事すら出来なくなった彼には、為す術も無かった。
「…佐藤さん、僕にはもう出来る事はほとんど無いかもしれない。でも、僕も最後まで諦めない。君が立つ事が出来なくなったら、僕が支える。君が視界を失ったのなら、僕が目になろう。だから、諦めず戦おう!僕達の未来の為に!」
「…ありがとう。戦いましょう、一緒に!」
二人は分かっていた。もう勝ち目などほとんど残されていない事に。圧倒的な暴力の前では、自分達のちっぽけな力では歯が立たない事を。だが心に宿した炎が消える事は無い。例え1%以下の勝ち目しか無くとも、振られたサイコロの目は誰にも分からないのだから。
それから数分、数十分、はたまた数秒の出来事か―――春夏秋冬の幾度となく続く追撃に、遂にユイは崩れ落ちた。
「…ハァハァ…佐藤、さん……。くっ…もう…ダメ、か……っ!」
隣で支えていたトウヤも何度も危険に晒され、傷付き体力を消費していた。もう、彼女を抱き起こす力も残っていなかった。
ユイも意識はあるものの、立ち上がるどころか、指一本動かす力も無かった。春夏秋冬から直接的なダメージを受けていないにも関わらず、
「なかなかしぶとかったが、もう終わりのようだな。これから行う人類滅亡の余興としては、なかなかに楽しませてもらったぞ。さらばだ、忌まわしき子供達よ! 絶望の中、朽ち果てるがいい!」
止めと言わんばかりに、今までで一番強烈な一撃が二人へと差し迫る。ボロボロの二人に、受け止める術は無い。ただ茫然と眺めるしか無かった。
「まだまだぁぁあああぁあっ! 俺がいんだろうがぁぁぁああぁぁあっ!!」
巨大な拳に向かって、タケシが特攻をかける。眼前に迫る、もはや巨大な壁とも思えるそれに臆する事無く、突っ込んだ。無謀な特攻に見えたが、
「――タケシ君っ!?」
「……痛ってぇ〜! めちゃくちゃ硬ぇじゃねぇか!? ちくしょうっ!」
どうやら、そこまで大事には至っていない事が分かると、トウヤはほっと息を吐いた。だが、今のタケシの位置からでは、ここまですぐには動けない。次の一撃をどう防ぐか、すぐに知略を巡らせた。だが、そんな事を構う事無く、魔王は動いた。
「人間風情がちょこまかと…! ならば、一人ずつだ…。 一人ずつ潰してくれようっ!」
巨大兵器が狙う次の標的は―――マキノだった。
村正(改)が破壊され、タケシが離れた今、彼女を守るモノは何も無かった。各個撃破を考える春夏秋冬にとって、最適とも思える標的だった。
「生意気な小娘よっ! まずはお前から血祭りに上げてくれよう!」
再び迫る、悪魔の様な攻撃。巨大な腕が伸びる先に、それを茫然と見上げる少女。蘇った記憶は、彼女から戦う気力を奪っていった。それが何を意味するものなのか、理解出来る人間はこの場にはいない。だが、圧倒的窮地にも関わらず、彼女は微笑んだ。
動く事すら出来ないトウヤとユイ。何とか助けようと駆け出すタケシ。
「マ、マキノぉおおぉおおぉおぉおおっ!!?」
木霊するタケシの叫び声。しかし、魔王に慈悲など存在しない。魔王の一撃は振り下ろされた。
衝撃が地面を伝って、3人へと遅いかかる。地震の様な感覚と、突然の爆風に前が見えなくなる。それでも必死に、マキノを助けに向かおうとするタケシが見たのは、信じられない光景だった。
「――な、何だと…!? そんな馬鹿なっ!!?」
あまりの状況に、春夏秋冬でさえも、うろたえる。
風が収まり、トウヤとユイもやっと状況を把握する。彼らが見たモノは、あの巨大な拳を生身の人間が受け止めている姿だった。
その男の足は重みで地面に突き刺さり、傍から見てもその威力はとてつもなかった事が伺える。現に、その威力を間近で味わったタケシでさえも、その姿はにわかには信じ難かった。
男はそれでも拳を受け止め、マキノに当たる事無く、その身一つで魔王の攻撃を防いでいた。
「す…すげぇ…っ!!?」
「何だ、これは一体!? 何者だっ!? 貴様は一体誰だっ!!?」
男はその問いに対し、笑みをこぼす。まるで、それを待っていましたと言わんばかりに。
「この俺を知らないとは、いい度胸だぜ…。いいか、てめぇ! その耳をかっぽじって良く聞きやがれ! 男の魂背中に背負い、不撓不屈の鬼事務員、神下天斗様たぁ俺のことだぁああぁあぁっ!!!」
タケシ達には懐かしい、聞き覚えのある自己紹介。強烈な印象は、脳裏に焼きつき消える事は無く、その男の存在を刻み続けていた。
やっとの思いでマキノの元に駆けつけるタケシ。眼前に広がる巨大な拳に圧倒されながらも、尚も拳にしがみつく様にして離さない神下を見据えた。
「な、なんであんたが一体ここにいるんだっ!? っていうか、魔具も無しにどうやってんだ、それ!?」
「フッ…若造、よく聞け…! 男は気合と根性だけあれば十分だ!!!!! わかった…か……がはっ!?」
突然の熱意と共に、神下はそのまま後ろに倒れて気絶した。やはり、ノーダメージと言うわけでは無かった様だ。しかし、生身の人間が防いだだけでも、尊敬に値する存在だろう。
「なんだ、この男は…!? こんな奴がこの学園にいたとは…っ!? 今のうちに止めを刺しておかなければっ!」
解き放たれた拳は再度、神下へ向かって振り下ろされようとしていた。脚が埋まったまま気絶している彼に、防ぐ術は無い。さすがに助けてもらった恩義があるタケシは、黙ってそれを見ていられなかった。
「おい、おっさん! くそっ! これ抜けねぇぞっ!」
「いいの、タケシ! そいつは放っておいて、ここを逃げるわよ!」
「え、マキノ…? おい、放っておけるわけねぇだろ!」
「いいから! わたしを信じなさいよっ! この馬鹿っ!!」
何時の間にか、いつもの調子を取り戻しているマキノ。それはそれで嬉しいタケシだったが、目の前で倒れている人を放っていくのは、さすがにやるせない。だが、助け出す術も無い今、ここに留まっていては自分達も無事では済まない。モヤモヤする気持ちを残したまま、タケシは彼女を信じ、そこから離れる様に駆け出した。
拳は振り下ろされ、気絶していた神下に直撃した。
「おっさんっ!!!? くっそっ!!」
「大丈夫よ、問題無いわ! それよりも、後ろなんて振り向いてないで、さっさと走りなさいよ!」
何が問題無いのか、その時のタケシにはわけがわからなかった。しかし、魔王の拳が上げられた瞬間、思わず自分の目を疑った。
「お、おっさんが、消えてる!!?」
見ていたタケシは勿論、攻撃をした春夏秋冬も驚愕した。確実に直撃していたのにも関わらず、相手はその場から消えていた。困惑しない方が無理な話だった。
一体どこへ消えたのか? 春夏秋冬は当然とも言える疑問に、思考を巡らせる。だが、視界に入って来た光景に、彼の思考は一瞬停止する。
マキノが走り、駆け出す先にあるもの。それは、いや、
「誰がおっさんだ、コラァ! 俺はまだ20代だっ!」「しかし、この俺様にかかれば、あんなデカブツも大した事無ぇなぁ!」「「「おうおうおうっ! どうしたぁ!? どんどんかかってきやがれってんだっ!!」」」
幾人もの神下が同時に挑発を始める。同じ声、同じタイミングで話す姿はまるで、エコーの様に反響して聴こえる。
「…こ、これはまさか……!?
相対した事のある、タケシは理解した。以前、マキノと共に苦しめられた魔具。あの時は敵対していた魔具だが、今回は自分達に味方してくれている様だった。
「ご明答だね! ここからは、そこの熱血事務員とこの私に任せなさいなっ!」
突如、駆ける二人の前に現れた女生徒。当たり!とばかりに、親指をぐっと突き出している腕には副会長と書かれた腕章を付けており、逆の手には
「――鏡守先輩!? 何故ここへ…!?」
「フッ、決まってんだろ。後輩が頑張ってんのに、俺ら先輩が見てるだけってわけにはいかねぇよなぁ」
突然の背後からの声に、トウヤは戦闘態勢を取る。――が、間に合わず軽く額にチョップを食らってしまった。
「俺だ、俺。ほれ、軽くだが癒してやったぞ」
「委員長!? もしかして僕達を助けに…?」
軽くニヤリと微笑むと、シュウヤはすぐさま、倒れているユイに
「さて、あの異色タッグが頑張っているうちに、お前ら全員の傷をある程度癒してやる。おっと、そういや助っ人をまだ一人忘れていたかな?」
タケシとマキノがシュウヤ達の元へと駆けつけた頃、その男は現れた。今となっては普通のマントを翻し、片手には新品のクロスボウを握り、プリントTシャツの胸部に描かれた大きく一文字の"萌"。心なしか、こちらへ向かってくる歩幅は狭い。
「こ、このボク、大鳴サクがやって来たからには、あんな巨大ロボ如き、お、お、恐れる必要なんか、ないんだゾォ…」
「…めちゃくちゃビビってんじゃねーかっ!」
思わず入ったタケシのツッコミに、ビクっと背筋を伸ばすサク。運動不足の彼は、その動きだけで背筋を吊りそうになり、もがいている。
「委員長、あんなのまで呼んだんですか…?」
「あれでも一応、大事な戦力だ。それに勘違いしてるようだが、俺も増援として呼ばれた口だよ」
「――…え?」
思わぬシュウヤの答えに、トウヤは固まった。では、一体誰が…なんて事を考えていると、コピー神下の一人が吹っ飛んできたのを、かろうじて避ける。
戦況はやはり、コピーがいくら大人数いようが魔具も持たない人間では、対処しようが無かった。防げたのも最初の一撃のみで、化物となった学園の前に神下軍団はどんどん吹き飛ばされていく。その度に、何十体とコピーを作っていく鏡守だったが、ユイの二の舞で魔力を消費していく一方であった。
おまけ程度にサクも、ちまちまとクロスボウで攻撃しているが、魔具でもない普通の武器ではダメージなど皆無である。
これではいくら、シュウヤが4人を回復したところで勝ち目は薄い。トウヤにはそう思えたが、応援に来た彼等は何かを待っていたようだった。
「「「どうりゃああぁあぁあぁあっっ!! まだだぁぁああぁああぁあっっ!!!」」」
「何度だって…コピーしてみせるよ…っ!!」
「こ、こんな所で、し、死んでたまるもんかっ! ボクは2次元に行くまで死にぇないっ!」
「――…3人共…もう少し耐えてくれ…っ!」
思い思いに、それぞれが時間を稼いでいく。それはシュウヤの
「ちょこまかと次から次へと……五月蠅い虫共が…っ! いいだろう! ひと思いに全員潰してくれよう!」
そう言うと、巨大な魔王は拳を開き、まるで蠅を叩く様に指先を伸ばしていく。今までの拳による一点集中の攻撃から、平手による範囲攻撃へと変えてきた。
今まではコピー神下を囮にして、拳を受け流す様にして攻撃の方向を変えて防いでいたが、これでは避けようがない。しかも、どうやら固まっている中心のシュウヤを狙っている様だ。
平手を振り上げ、更に攻撃範囲が広がるよう、魔王は腕ごと掌を叩き落とす。
「――ま、まずいぞっ!? シュウヤの兄貴、どうすんだ!?」
「どうしようもないっ! とにかく伏せろ! みんな伏せるんだっ! 1秒でも持ちこたえろっ!」
「伏せてどうにかなるんですかっ!? 委員長!」
「とにかく伏せるのよっ! みんな! お兄ちゃんの言う事を聞いて!」
「…皆さん、ごめんなさい…っ! 私に
「「「俺様が抑えるっ! とにかく伏せてやがれっ! うおぉぉおおおぉぉぉおおっ!!!」」」
最後の希望、総勢48名の神下に5人の命運は託された。コピー神下の全員が腕を上げ、決しの覚悟で衝撃に備える。のしかかる衝撃に耐えられるのか、一か八かの賭けだった。
振り下ろされた腕が神下に当たる瞬間―――何かが、その間を通った。
腕はそこで止まり、地面へとたどり着く事は無い。まるで透明な何かに遮られる様に、どんなに力を入れても結果は同じだった。
「これは、結界…かっ!? ま、まさか…っ!?」
春夏秋冬の脳裏にある人物が思い浮かぶ。
「――マスター! 何とか間に合ったようです!」
「お手柄ですよ、ミヤちゃん。あとでおいしい焼き鳥をご馳走するとしましょう…」
颯爽と登場した男は、肩まである束ねた黒髪をなびかせながら不敵に微笑む。魔王から彼らを救った男は、見覚えのあるダークスーツに、微笑む口から覗かせる白い歯、何よりその丁寧過ぎるとも言える口調がその存在を思い出させる。
「馬鹿な…貴様は始末したはず…っ!?」
「私も、実を言うとそのつもりでしたがね…。全く、運命というのは恐ろしいものですねぇ…」
「お前は…ラグド=チェーン・リー…!?」
敵か味方か、全く持って謎に包まれた男に、トウヤは思わず身構える。だがそれ以上に、タケシとユイは衝撃を隠せない。彼らはシュウヤにラグド商会の壊滅と共に、リーの死を聞かされていたからだ。
「あなたは…生きて、いたんですか…?」
ユイにポツリと呟くような問いに、紳士はまたもニヤリと微笑んでみせる。
「縁というのは、実に不思議なものです。あの時、屋上で彼女と出会う事が無ければ、私はここにはいませんでしたからねぇ」
彼がそう言うと、後ろに隠れていた少女は照れくさそうに、ひょっこりと顔を見せる。それに合わせるように、小さな竜も顔を覗かせた。
「えへへぇ…。みなさん、こんにちわぁ!」
「お前…リンじゃねぇかっ!? もしかして、このおっさんを連れて来たの、お前か!?」
「そうだよっ! おじさんとリンは、なかよしなんだよっ! ねー?」
満面の笑みで返してくる少女に、紳士も答える。状況をうまく飲み込めないタケシ達には、茫然と眺める事しか出来ない。
あの屋上での一件以来、リンは同じ魔獣使いという事もあり、リーに気を許し頻繁に接触していた。次第に彼自身よりも、従者である
リーが生きている。その事実を知っていたのは、彼を助けたリンとその兄、シュウヤのみだった。シュウヤは傷付いた彼を匿い、
当然、この事実を知らされていない戦士達は困惑している。突如助けてくれた男を、味方か敵かを見極め切れないでいた。
「元々、あなた方と戦う気はありません。私が斃したい男は唯一人ですから…」
黒衣の紳士は、睨むように眼光をYS学園へと向ける。外からでは分からないはずだが、まるでその場所に目的の男がいるかの如く。
「――…まさか、生きていたとはな、リー。だが、それでも私の勝利に揺るぎは無い。この学園が在り続ける限り!!」
渦中の男は吠える。学園から響き渡るその声は、瀕死の戦士達の心に刺さる。まさにその男が言う通り、目の前に立ちはだかる巨大な化物に対して、もう打つ手は無かった。そんな絶望的な状況の中でも、紳士の頬笑みが崩れる事は無い。
「……忘れてしてもらっては困りますよ、春夏秋冬…。その巨大な魔具を創ったのが、我々ラグド商会である事を…っ!!」
春夏秋冬はそんなもの知った事ではないと言わんばかりに、巨大な腕を振り上げ、またも面を意識した攻撃を仕掛けて来る。対して、リーはすでに張っている結界に魔力を更に込める。
互いに拮抗する力と力。しかし、何度攻撃しようと、巨大な腕が目的へと辿り着く事は無かった。
「すっげぇ…っ! あのデカブツの攻撃を防いでいやがる…! でも、この化物創ったってのはホントなのかよ?」
「…俺も経緯はよく知らないが、ラグド商会はどんな相手でも依頼は断らない主義だってこった。とりあえず今は、防御はあの人に任せてもいいだろう」
圧巻するタケシ達に、冷静にシュウヤが答える。それほどまでにリーの力は強大であり、それを知る者は信頼し、彼を頼る事が出来た。
そんな中、徐々に傷が癒えて魔力を取り戻してきていたユイは、もうすでに次の攻撃の一手を思考していた。辺りを見渡し、武器となり得るような物を探す。
しかし、激しい攻防の末に、凄惨な光景となりつつある校庭。その中で使える物など見当たるわけも無かった。苦虫を噛むような思いで辺りを見渡すと、そこにいた人間が一人消えている事に気付く。
「……? リンちゃんがいない…?」
先程までいた少女の姿が消えていたのだ。思い返してみれば、リーをこの場に連れてきた以降、少女の姿を見ていない。彼女の空間転移の能力を考えれば、この場から消えた事を意味するのは一つ。リーと同様、援軍を連れてくる気なのだろう。
そう考えたのとほぼ同時に、小さな竜を連れた少女が、何も無い空間に現れ始める。ユイの考えは、概ね正しかった。ただそれは、彼女が想像だにしない人物だったのだ。
「――おじさんっ! おじさんの言ってた人、連れて来たよ!」
「おや、これは助かります。私の一番の部下を呼んでくれた事に、お礼を申し上げなければなりませんねぇ」
「――リー様、お呼び頂き光栄です。必ずや、あなたのお力になりましょう」
礼儀正しく、リーに忠義を尽くす男。全身迷彩服に包まれ、額には大きなバンダナを巻いている。その男に、ユイは見覚えがあった。それは、初めて学園の屋上でリーと会う前の話。図書室で襲ってきた、ラグド商会の戦闘兵の一人だった。
「あなたは…、たしか…河原…さん? そんなっ!? あの日、図書室で――!?」
ラグド商会の戦闘部隊長、河原徹。リーの命令にて、ユイの持つ魔本を回収しようと試みたが、返り討ちにあい死んだはずの男。何故その男がこうして目の前に現れているのか、ユイは動揺を隠し切れない。
「君は…佐藤ユイ君か。……あの時は申し訳なかった。君達を巻き込む事の無い様、我々ラグド商会は魔具を回収していたんだ。結果としては、我々の方が先に潰されてしまったわけだが…」
「…なんで、ですか…? あなたは銃弾を受けて、死んだはず――!?」
「それは私の魔具、
防弾性のチョッキから、一発の大きめな弾丸を取り出す。本来、ライフルに装填されるであろうそれは、光に反射し怪しく輝く。一目見ただけでは魔具とは思えない程、本物と変わりなかった。
弾丸をつまむように持ち上げ、顔の前に持って来る。目を閉じ、集中するように河原が念じると、変化は起きた。
まるでそれは手品の様に、弾丸をつまんでいる手から、無数の新たな弾丸が零れ落ちて行く。落ちた弾丸を見ると、様々な形状の弾丸があり、彼が持っているものとは全く異なっていた。
「――これが、私の
淡々と報告書を読み上げるが如く、河原は自身の能力の説明を行っていく。
彼の話を聞いていく中で、ユイは納得していた。図書室での攻防では、彼等は自分を殺す気などなく、撃ってきた銃弾は
今は援軍でも、以前は命を賭して戦った相手。簡単に仲間と割り切れる程、彼女の心は出来ていなかった。いや、過去に何度も辛い体験をした彼女だからこそ、河原やリーを信用する事が出来なかった。
警戒した表情で河原を見つめるユイを、傷を癒していたシュウヤは見ていた。
「佐藤ユイ、過去を見つめるな。今の事を考えろ。お前の望む未来はどこにある――?」
彼女の思考を読み取ったかの如く、シュウヤは語りかける。ユイの望む未来――それは、タケシやマキノ達と共に過ごす平穏な未来。その為には、今目の前に立ちはだかっている、巨大な壁を倒さなければならない。例え、自分を犠牲にしてでも――。
そう彼女は考えていた。だが、シュウヤは訴える。もっと仲間を頼ってみせろと。敵であった者さえ、仲間にしてみせろと。
いくらとてつもない大きな力を持っていようと、所詮個の力なのだ。相対している春夏秋冬を見れば、それは容易に理解出来た。状況は彼が圧倒的優位に立っているが、誰一人戦いを諦めている者はいない。むしろ、仲間が増える度に士気は高揚し、戦力は大きく上がっている。
身を任せてもいいのかもしれない。戦う理由は異なっていても、目的は一つ。『魔王を倒し、世界を救う』。そう、ここにいる誰もが勇者なのだから。
「――全く。皆さん、命知らずもいいところですね。でも、誰も死なせません。私の
「そうだ。俺達は奴を倒し、誰も死なせない。その為には、全員が手を取り合うしかない」
「…しかし、槇野委員長。よくこれだけの人を集めましたね」
「おいおい、だから言ってるだろ。援軍を集めたのは俺じゃないって。――おっと、ちょうどよく、俺達のリーダーのお出ましだぜ?」
ゆったりと歩いてやってくる、最後の仲間。
長い黒髪が風になびき、揺られている。ハンドポーチから白いカチューシャを取り出すと、頭に着ける。よほどのお気に入りなのか、何だか嬉しそうだ。
その姿は、この場にいる誰もが知っていた。この学園の生徒の長にして、姫井トウヤの姉。珠姫ネネ、その人であった。
「――みんな、よく頑張ってくれたわ。そしてこの私、真打ちの登場ってわけね♪」
「か、会長!? まさか、あんたが皆を呼んでくれたのってのか?」
「えぇ、その通りよっ! ――なんて言っても、私がしたのは状況を伝えただけ。みんな、あなたたちの力になる為に駆けつけてくれたのよ」
ネネの言う通り、彼女が彼等を集めたのでは無く、彼等自身の意思でこの場に立っているのだ。それぞれの意思が世界を救わんとする為、危険を顧みず、魔王を打ち倒すべく立ち向かっている。
「結果として、私も含めてこの学園の人間は学園長――春夏秋冬の計画に利用されてしまったけれど、あなたたちの魔具集めは決して、無駄では無かった。あなたたちが彼等と関わりを持った事で、こうして今は仲間として共闘しているのだから」
それは、タケシ達4人も例外では無かった。もしも、魔具集めを行っていなかったとしたら――。図書館でユイと出会う事も無ければ、トウヤとも必要以上に接触する事も少なかっただろう。そして、タケシにとってはマキノという人物について、詳しく知る由も無かっただろう。
今まで戦ってきたから。今まで仲間と共に歩んでこれたから。タケシはここに立っている。彼等はここで魔王と対峙している。自らの手で未来を掴む為に、命を賭して戦っている。
それは、春夏秋冬の計画には無い、タケシ達にとっての希望の光だった。
「姉さん…。やはり、起きていたんだね…?」
彼女だけに聴こえる声で、ボソッと少年は呟く。
トウヤには、何となく彼女が動いているんだと確信していた。保健室のベッドで寝ているはずの彼女だったが、こうして目の前に立っている。考えてみれば、トウヤが起きた時点で
だがそれは、彼にとっての儚い希望であり、現実として彼女はもうすでに大いに関わっている。この学園の生徒会長であるという事は、トウヤと同程度には春夏秋冬の操り人形だったのだから。
「…ごめんね? トウヤの気持ち、すごく嬉しかった。でも、私も一緒にたたかうわ。魔具も扱えないし、役には立てないけど…。それでも、私はあなたと共に立っていたいの」
彼女に出来るのは、ここまでだった。仲間を集め、少しでも戦力を高める事。戦闘力の無い者に出来る、精一杯の事だった。
トウヤは、彼女の幸せを願っていた。彼女の身を危険に晒したく無かった。しかし、心の奥底では、彼女と共にいられる事に気持ちが昂っていた。今までの学園の主従関係としてではなく、姉弟として立ち向かっていける事に。
「――わかった。もう魔力も残ってないけど、姉さんは僕が必ず守り抜く…!」
「トウヤ……っ!」
思わず涙ぐむネネだったが、戦いはまだ終わっていない。目尻に溜まった涙を拭い、魔王を倒す戦略を組み立てる。
「リーさん。この学園をあなた方、ラグド商会が創ったのなら、何か弱点は無いのですか?」
「弱点、ですか…。残念ながら、ありませんねぇ。この魔力兵器は、我がラグド商会の創った最強にして最高の魔具。人間が相手になる代物では、ありませんよ…」
リーの語る言葉に、重く苦しい雰囲気が漂う。勝算が低い事は、この場にいる誰もが理解していたが、改めて口に出されると現実感が一層増してくる。
だが、戦いをずっと観察していたネネは、ある事に気付いていた。
「いえ、そんな事はありません。確かにとてつもない破壊力ですが、私達は何度もそれを防いでいます。何故なら、敵の攻撃が必ず一度ずつしかこないから」
巨大な拳であっても、攻撃の初期動作が分かれば避けるのも難しくはない。現にそうして彼等は攻撃を防いでいた。確かに無数に腕は存在しているが、攻撃してくるのは必ずどれか一つのみ。巨体を動かす事も無く、避け場が無くなる程の連打を与えてくる事も無かった。
「もしかして、敵は本来の力を出し切れていないのではないですか?」
彼女の問いに、ニヤリと紳士は笑う。まるでその解答を待っていたかのように。
「さすが、あの男の学園の生徒の長とでも言うべきですか…。しっかりと観ていらっしゃる…ご明察です。この魔力兵器には、欠かせない魔具が二つ存在します。一つは
リーの視線の先にあるのは、ユイの持つ
本来、
「言わば、
春夏秋冬が唯一、計画の内で断念したのが
だが、それはあくまで敵の隙であり、肝心な弱点とは若干異なっている。そう思えたが、リーの話の中に決定的なヒントがある事を、ネネは見逃さなかった。
「……という事は、バッテリーである
核心をついたネネの言葉に、紳士はまたも笑顔を見せる。どうやら肯定のようだった。
「つっても、どうやって
割って入ったタケシのその問いに、彼以外の人間が答えを出していた。そして、一斉にタケシを見やる。
「……へ? 俺?」
「ハァ……。タケシ、あんたがその手に持ってるやつ。忘れたわけ?」
今まで口を閉ざしていたマキノが付く悪態。その場にいる誰もが納得とも言える行動。そこで初めてタケシは気付いた。
「――あっ!? トウヤの創った
「その通りだよ、タケシ君。それに、僕と君が戦った時の事を覚えているかい? 実はあの時、僕が持っていた剣型の
それは、トウヤにとっても予想だにしていない事だった。タケシが保健室に訪れ、眠ったトウヤに話しかける度、
今や、タケシの体は生ける
「俺の中に…この化物を止める力が……っ!?」
強大な魔力を溜め込んだ、春夏秋冬の持つペンダント型の
「――あとは、敵のコックピットが分かればいいのだけれど……」
春夏秋冬が学園長室にいるのは間違いなさそうだが、学園が変形した今では、どこにその部屋が存在しているのかは分からない。設計者であるリーにも、変形する時に操作者が任意で配置する為、それを特定する事は難しかった。だが、リーの余裕は崩れない。
「それについては、最も最適な魔具を持っている部下がおりますよ。彼に任せておけば問題無いでしょう」
そう言って開いた掌で指すのは、大鳴サク。彼が持つ、新しい魔具こそが春夏秋冬の位置を特定する事が出来ると言う。
肝心のサクは、リーや河原が生きている事に、喜びを隠しきれていない。彼もまた、ラグド商会の壊滅と共に、仲間を失ったと思っていた。リーの命で学園に残っていた事が、彼の命運を分ける形となった。
「リーさん…っ! ボ、ボクは、ボクだって、やれば出来る…っ! ま、任せて下さい!」
いつになくやる気な彼に、リーも思わず微笑んでしまう。紳士は落ちつけと言わんばかりに、サクの肩を軽く叩く。任せましたよと小声で呟くと、より一層サクの気持ちは昂った。
「じゃあ、援護はボクたちに任せなよ!」
「俺様が主役じゃねぇのが気に食わねぇが、仕方ねぇっ!! おい、ヒョロ男! ついてきやがれっ!!!」
鏡守と神下が、前へと出る。残った体力はお互いに僅かだったが、ここが最後の正念場と悟ると、自分達の役割を自ずと理解した。
「作戦というには程遠いけれど、これで魔王を倒す算段は整ったわ。――さぁみんな! 最後の大決戦よ! 魔王を打ち倒し、必ず無事に戻って来ることっ! 幸運を祈ってるわっ!」
「「「うおっしゃあぁぁぁあぁぁあぁぁぁっっっ!!!!」」」
ネネの号令共に、コピー神下の軍勢が一斉にリーの結界から飛び出し、学園へと駆けて行く。合わせるようにして、サクも飛び出して行った。
「…なぁ、副会長。あのオタクが学園長を探せるんなら、あいつをコピーした方がいいんじゃねぇのか?」
「――残念だけど、ボクの力じゃあ
大量のコピーを維持させているからか、その男への悔しさからか、思わず鏡守は歯を食いしばる。そうは言っても、これだけの人数をコピーし維持するのは、並大抵の人間では出来る事では無かった。
多勢の神下と共にサクは駆けて行く中、ポケットから片手に収まるサイズのルーペを取り出すと、それを右眼の前にかざし、巨大な学園を覗き見る。
「――さぁ出番ダヨ。見せてくれ…
その魔具は、サクが元々持っていた羽織る事で自身を透明化させる魔具、
その能力は、ルーペ型の
「――いない! いないっ!! いないゾォ!!? どこにいるんだっ!?」
覗き見るのは更衣室では無く、巨大な学園そのもの。一目見ただけでは、見渡す事の出来ない巨大な建物。そこから一人の人間を探しだすのは、想像以上に困難であった。
「何を考えてるか知らんが、貴様らのちっぽけな力など、恐るるに足らんっ!」
当然、その間も春夏秋冬の攻撃は襲いかかってくる。拳は一撃ずつしか襲って来ないが、リーの結界から出た今は、防ぐ手段も無い。サクを守る為に、コピー神下全員が囮や攻撃方向を受け流す様な盾になり、何とか凌いでいた。
その度にコピーは消滅していくが、
「――ハァ…ハァ……絶対に…ボクは…諦めない…っ!」
「鏡守先輩…。リーさん、あなたの結界をより広げる事は出来ないんですか?」
見かねたトウヤが懇願する。彼女を助けて欲しいと。以前に見た、彼の結界はこの巨大なYS学園の一棟をも覆ってしまう程だった。今はその何十分の一にも満たない、小さな結界で自分達の身を守っている。
「…どうでしょうか?ミヤちゃん。結界を広げる事は出来そうかな?」
「マスターッ!? 何言ってるんですか!? そんな瀕死の体でここにいるのだって危険な事なのに、これ以上は無理ですっ!!」
「――…という事のようです。残念ながら、お力にはなれませんねぇ…」
そう言って、苦笑を浮かべる紳士。漆黒のスーツがそれを気付かせなかったが、彼も傷だらけの状態で戦っているのだ。表情とは裏腹に、頬を伝い落ちる大量の汗が彼の消耗を現していた。
「「「ぐあぁああぁあぁああぁっっ!!?」」」
どんどんと消えて行くコピー達。徐々にその数は減り、遂に本物の神下のみとなってしまった。
「…絶対、に…あき……ら……」
「――先輩っ!?」
呟くようにして、
「おい、ヒョロ男! まだ見つかんねぇのかっ!? 早くしやがれっ!!」
「そんなのボクだって分かってるヨ! クソッ! 見つからないっ!」
懸命に探すサクだったが、見えてくるのは誰もいない校舎の姿。たった一人になってしまった神下では、彼を守る事も出来なくなっていた。
「姉さん、鏡守先輩を頼みます…。僕が行ってくる!」
「ちょ、トウヤ!? 待ちなさいっ! 危険過ぎるわっ!!」
ネネの制止を振り切り、トウヤも結界から飛び出した。広い校庭の中、サクを援護する為に全速力で駆け出して行く。
「…いない、いない、いない、いない、いない、いなイィィイィィ!?」
サクは徐々に焦り始め、冷静に探す事が出来なくなっていた。今まではコピーの神下が何とか身を呈して守ってくれていたが、もうそうはいかない。次に狙われたら、助かる保障は無かった。恐怖――ただそれだけが頭の中を渦巻いていく。
何故、こんな怖い思いをしなければならないのか? 何故、こんなつらい目に合わなければならないのか? そもそも、何故自分は戦っているのか? 様々な疑問が頭に浮かんでは、答えの出ない問いだけが脳裏に残った。
しかし、たった一つだけ、答えは出ていた。
今ここで自分が戦わなければ、誰も助からない。生きていたリーや河原も、また命を散らしてしまう。愛した人でさえも、失ってしまう。
皆が命を賭けている中、自分だけは助かろうとしていたんじゃないのか? ならば、それならば―――
「…ヒョロ男……? おい、なんで止まってやがんだ?」
神下から遠く離れた位置で、サクは動きを止めた。正確に言えば、攻撃から逃げる為の足を止めた。巨大な学園を見渡せる位置で、
覚悟は決めた。例え攻撃を受ける瞬間であろうと、一歩も逃げ出す事無く、春夏秋冬を見つけ出す。自分が愛する仲間達を助ける為に。
「フッ…もう蟻退治は終わりか? それでは、残りの雑魚も蹴散らすとしようか――」
やがて、春夏秋冬は
魔王は残る二人の内、標的を定める。拳を大きく振り上げると、小さな的に向かって鉄槌を下す。
その瞬間、遂にサクは捉えた。視界に映る、春夏秋冬の姿を――
「―――ッ!!? 見つけたゾッ!! あいつは―――!」
突如、視界を遮るように眼前に迫る、巨大な拳。すでに避けられる距離では無く、サクはただ茫然と眺める事しか出来なかった。
「ヒョロ男ォオォォオオオオッッ!!?」
虫を踏み潰すかの如く、サクの姿は巨大な拳に飲み込まれた。地を伝う振動が、叫ぶ事しか出来なかった神下に無情にも響き渡る。
「まずは一匹…。さて、次は貴様か…サラシの男よ。……いや、また増やされては面倒だ。ならば、狙うのは……!」
魔王は次の標的を睨みつける。それは、相対する者達を包み込む見えない結界。幾度と無く、巨大で強大な攻撃は阻まれてきたが、それを自在に操る男の事を彼はよく知っていた。
サクを潰した腕とはまた違う腕で、結界を操る者目掛けて殴りかかる。結果は今までと同じ、結界に阻まれ彼には決して届かない。だが、それを知りながらも魔王は攻撃を繰り返していく。
「あいつ…ゴリ押しかよ…っ! そんなん意味ねぇーってのっ!」
結界の中、タケシは一人ゴチる。それは、まるでサンドバックを叩くボクサーの様な連打であったが、このサンドバックはそう易々と壊れる代物では無かった。ましてや、片腕ずつの攻撃とあらば、尚更の事である。
サクの事が気掛かりであったが、この攻撃の中では結界の外に出るのは自殺行為である。どこかで敵の攻撃が止む様な好機を、タケシは狙っていた。
しかし、タケシはそれを見て、初めて気付く。魔王の狙いが何であったのかを。
「おい、おっさんっ!? 大丈夫かっ!?」
「――…やってくれましたね…春夏秋冬…っ! さすがと言うべきか…私の事が良く分かっている…っ!」
今にも倒れかけそうな程に消耗しているリーをタケシが支える。背に触れた手に、違和感を覚えた。思わず掌を見ると、そこにはスーツの上からでもべっとりと付着するほどの、血液が塗られていた。
「あんたもしかして、こんな状態で戦ってたのかよっ!? よく今まで…っ!」
完全に癒えていなかったとは言え、ラグド商会襲撃の際に負った傷が、今ここで再び開いていた。魔王の一撃を耐える度に、少しずつ毒の様に体中を蝕んでいった。
「リー…。お前はそういう男だ。決して自分の素顔は誰にも見せず、ポーカーフェイスを気取り続ける。だが、私には分かる。お前にその傷を負わせたのは、この私だからなっ!」
また一発、魔王の一撃が結界を叩く。結界に小さな亀裂が入った。さすがに堪え切れず、苦悶の表情を浮かべるリー。だが彼がここで能力を解除してしまえば、誰がこの仲間達を守れると言うのだろうか。
「マスターっ!! もう持ちませんっ! ここは一旦、退きましょう! これ以上はマスターが、マスターが死んでしまいますっ!!」
「――…ダメですよ、ミヤちゃん…。今この瞬間こそが…魔王を討つ最大の好機なのです…。私の役目は、ここにいる勇者達を守り抜き、魔王の元へと送り届ける事ですからねぇ…」
もう一人では立つ事すらままならない中、リーは諦めない。彼の胸中にあるのは、古い友人達との記憶。もう戻れない過去の遺産を抱き、今や唯一の生き残りである友であった男を倒す。それは、絶望の道へと進んだ男を唯一救う道であり、YS学園という巨大な魔具を創ってしまった自分への咎でもあった。
だがその想いとは裏腹に、リーの体は限界を迎えていた。亀裂の入った結界は、誰が見ても弱々しく、次の一撃に耐え得るとは思えない。
「これで終わりだ、リー…。馬鹿な親を持った子供達と共に、朽ち果てるがいいっ!!」
トドメと言わんばかりに、強烈な一撃が結界を叩く。すでに入った亀裂が大きく結界全体に広がっていき、まるでガラスが割られるように、結界は決壊した。そのままの勢いを保ちながら、巨大な拳は小さな人間達を目掛けて降下していく。
「――きゃああぁぁあぁあぁ!!?」
思わず叫び、頭を抱えて目を反らすリン。だが、目を開けてみると、先程と何一つ変わらない景色。見上げてみると、壊れた結界のすぐ下に、また新たな結界が張られていた。
「――何だと…っ!? 結界を新たに創る余力などあるはずが…っ!?」
壊した結界の下に、また新たな結界。春夏秋冬を動揺させるには十分な素材であった。当然、結界を張っているのはリー本人である。あれ程までに瀕死だった男が、何故もう一度結界を創れたのか。それは、タケシと入れ替わり、彼を支えている男が協力していた。
「……おやおや…まさか、あなたに助けられるとは…。これ程までの力を使ってしまっては、あなたが死んでしまいますよ…?」
「あんたの結界が崩れても結果は同じさ。なら、俺がやる事はただ一つってわけだ…。ったく、俺がせっかく治しかけた傷をこんなにしやがって…」
それは、シュウヤの存在あってこその出来事だった。たった今まで、タケシやユイの治療をしていたにも関わらず、今は全力を出して
当然、それ程の能力を発揮するには大量の魔力が必要であり、シュウヤは限界を超えて魔具を使用していた。代償として、気を失う寸前まで体力を消費し、今やリーが彼の体を支えている様な状態だった。
「くっそ…っ! もうほとんど体が言う事を聞きゃしねぇ…。 後は頼んだぜ…タケ…シ…」
「おにいちゃんっ!?」
そう言い残し、シュウヤは意識を失った。リンが心配し駆けつけるが、命に別状は無さそうだ。リンはホッとすると、彼の手に持つ何かに気付き、自身のポケットへとしまった。
紳士は、腕の中で気を失った彼を地へと寝かせ、再び魔王と対峙する。
「シュウヤさん、あなたのおかげで私はもう暫く戦えそうです。感謝致しますよ…!」
「しぶとい奴らだ…。どうせ生き延びる時間が少し長くなっただけに過ぎない事に、何故気付かない…! この虫ケラ共がっ!!」
「…そう言えば、あなたは私をよく知っていると仰っておりましたねぇ、春夏秋冬。それは私も同じ事です。あなたの事は、私もよく知っているのですよ…。あなたは昔から、詰めが甘いのです」
彼等は互いの事を知っている。どんな魔具を持つのか、どんな戦い方なのか、どんな人間なのか。
それ故に、リーは見つめる。彼の弱点とも言えるべき、その人間性が招いた一つの現象を。それは、かつて魔王が御三家の人間を始末しきれなかった時と同じように、そこに存在していた。
「分かったぞっ! 奴の居場所が!!」
「―――っ!!?」
突如、大声が響き渡る。それは春夏秋冬にしてみれば、想定外の場所から発せられた声だった。
サクを潰した腕のすぐそばに、泥だらけのトウヤと、彼に肩を借りながら
巨大な拳がサクに当たる瞬間、全速力で駆け抜けたトウヤが、サクに向かった跳びかかった。転げ回るように土煙に塗れたが、間一髪の所で攻撃を受ける事は無かったのだ。
「何故だ…っ!? 何故貴様らはそうやって、何度も這い上がってくるのだ…っ!?」
幾度も死に追いやりながらも、もう一歩の所で仕留め切れない。そんな歯痒さに、思わず春夏秋冬は自らの拳を壁へと叩きつけた。
「ならば――…、いいだろう。ゴキブリの様に這い出る貴様らが、消し屑になるまで木端微塵にしてくれるっ!」
再びサクへと向けられる魔王の視線。一撃を逃れられたとは言え、次も避けられる保証は無い。今は一刻も早く、結界の中で待つ仲間達に春夏秋冬の居場所を伝えなければならなかったが、サクはここで初めて作戦に欠陥があった事に気付く。
「…しまった……! くそぅ…っ! ここからじゃ間に合わない…っ!」
今や結界から離れたこの位置では、結界に辿り着く前に潰されてしまう。大声で伝えようにも、あの巨大な体を持つ化物に対してピンポイントで場所を示すのは難しく、瞬時に言葉に現すのは不可能だった。
命を賭けた決死の探索も、ここで伝えられなければ意味が無い。あまりの悔しさに、サクは恐怖とは違う涙を浮かべた。脳裏に渦巻くのはその目で見た、巨大な学園の中で佇む春夏秋冬の姿だった。
だが、そんな状況でもトウヤは不敵にも笑っていた。まるで自分達の勝利を確信したかのように。
「正直、あなたの事はあまり好きになれないが、よくやってくれた。お礼を言うよ、大鳴サク」
まるで、死に際の最後の言葉の様だった。思わぬ人物からの感謝の言葉に、サクは申し訳ない気持ちになり、己の無力さを呪った。瞳に溜まった雫が零れ落ちる。
「そのまま、奴の居場所を思い浮かべておいて下さい。
「……え?」
結界の中で、少女はこの時をずっと待ち続けていた。仲間の危機でも彼等を信じ、動く事は決してしなかった。自分の残り少ない魔力を、目の前に立ちはだかる魔王にぶつける為に。
手に持った本には、大鳴サクについてのページが示されている。それは本来、元々彼女が得意としていた力だった。
そこには、様々な彼についての情報が書かれていた。彼が生粋のオタクと呼ばれる特異な趣味を持つ存在である事。ラグド商会の一員であるが、構成員としては下っ端である事。生徒会長である珠姫ネネに異常な愛を抱いている事。そして、本を見ている彼女が最も知りたい事柄も示されていた。
それは、サクが伝えたくても伝えられなかった言葉。まるで脳内を覗き見た様に、彼女――佐藤ユイには、それが理解出来た。
「……わかりました。春夏秋冬は―――あそこにいます!」
彼女の視線が指したのは、今や巨大な化物となった学園の中腹部分、人間の体で言えば心臓と
だが、場所さえ分かってしまえば、どうとでもなる。ユイにはそう思える程の自身と、覚悟があった。
彼女の想いに呼応するかのように、かつて彼女と敵対していた男が動き出す。彼もまた、この時を待っていた一人であった。
敬愛する上司に守られながら、決して手どころか口も出さず、歯を食いしばりながら機を待っていた男。それはこの場で唯一、魔力を消費しておらず、自身のありったけの魔力を貯める事が出来た者だった。
「それでは我らも動くとしよう、佐藤ユイ。私の準備は出来ている、いくぞ――!」
「えぇ、とびっきりのをお願いしますっ!河原さん!」
「――ハアァァァァアァァアアアァッッッ!!!」
河原は結界から自ら出ると、自身の弾丸型の魔具、
「――…フゥ……これが、私が出現させる事の出来る、最強の弾丸。FGM-148ジャベリンだ」
「…弾丸って……!? これは…っ!!」
結界内でそれを眺めていたタケシは、思わず驚嘆の声を上げる。
それは、弾丸と呼ぶには遥かに巨大で、圧倒的な存在感をその場に放っていた。全長1.1mに及ぶ胴体に、総重量22kgの重量感を持つ弾丸。それは、対戦車ミサイルだった。
「これは自立誘導能力を備え、補足した対象物への命中率は94%と高い数値を誇っている。だが、私に出来るのはここまでだ。私の
「――えぇ、それで十分です。対象物へのロックオンと射出は、
河原と同じく結界から飛び出たユイは、
「さぁ、行きなさいっ!ここからが私たちの反撃ですっ!」
文字通り、反撃の狼煙を上げる様に、学園へとミサイルは飛んで行く。頭上へと打ち上げられたジャベリンは、アーチを描く様に標的へと向かっていく。
「……いいだろう。そんなモノで我が要塞が倒せるのなら、やってみせるがよいっ!」
「なっ――!!?」
防御姿勢を取るどころか、向かってくる巨大な弾丸を受け入れるように、魔王は腕を広げてみせた。
そのままジャベリンは標的へと着弾、爆発の衝撃と熱風が辺り一面に広がった。ユイは思わず吹き飛ばされそうになったが、河原が支えた事で事無きを得た。
巻き上がる砂煙に、視界が閉ざされる。破壊力だけであれば、ジャベリンはこちらが持つ戦力の中で一番だと言える。それが直撃したのであれば、ただでは済まないであろう。一同に、淡い期待と緊張が走る。
だが唯一人、この学園の創作者でもあるリーには、この攻撃がいかなる結果を待っているか気付いていた。
立ち込めていた煙が少しづつ晴れ、再び魔王の姿が現れ始める。その姿をいち早く見た河原は絶望した。
「そんな…馬鹿な…っ!?」
着弾地点である外壁こそ焼け焦げているものの、いたって学園にダメージと言えるものは無く、ほぼ無傷と瞬時に判断出来た。
「フハハハハッ! これが我が最強の要塞だっ! 貴様ら虫ケラでは、どう足掻いても勝つ事など出来はしないっ! さぁ絶望の中、朽ち果てるがいいっ!」
「――そりゃあ、どうかな?」
「――ッ!!?」
春夏秋冬は驚愕した。ここは、この学園のコックピットとも呼べる玉座であり、自分以外の誰一人をも侵入を許さない、不可侵領域であり絶対無二の場所である。そこへ、男が立っていた。かつて親友と呼べた男の、息子が目の前に立っていたのだ。
「お前は…タケシッ!? 一体何故ここへ……ハッ!?」
そこで気付く。彼の足下に隠れるようにして、少女と小さな竜がいる事に。
「わ、わたしのレヴァは、行きたいところがわかれば、わーぷできるんだよっ!」
恐る恐るながらも精一杯勇気を振り絞り、春夏秋冬を見据えるリン。その瞳は小さいながらも、タケシやトウヤ達と同じ意思を抱いていた。
「空間転移だと…っ! まさか、今までの貴様らの動きは、この学園を外からでは崩すのではなく、学園の中でこの私を直接叩く為だったと言うのか――っ!?」
「その通り。全て、生徒会長が考えた事さ」
この巨大な学園を倒すのは、ほぼ不可能である。ならば、指揮官である春夏秋冬を直接叩けばいい。サクが春夏秋冬の位置を割り出し、ユイと河原が学園に目印を付ける。それを合図に目印へと向かって、リンがタケシを連れて空間転移を行う。そしてここから先は、唯一、春夏秋冬を倒せる力――
「なるほど、分かってしまえば実に単純な作戦だが、甘いな。その剣があれば、私を倒せるとでも思っているのか? ……思い上がるなよ、小僧っ!」
「へへっ、思い上がっちゃいねーよ。だけどまぁ、ここまで皆が俺に期待してんだ。裏切るわけにはいけねーよなっ!」
トウヤから授かりし
この学園の玉座とは言え、この部屋は元の学園長室のままであり、部屋の広さは変わらない。タケシがちょうど学園長室の入口に立っているとするならば、目の前に座っている春夏秋冬までの距離は約8歩。しかし、相手はこの学園そのものを操る事が出来る。タケシにはこの8歩が、大分遠く感じた。
「おや、来ないのか? フン、案外ただのバカではないようだな。では、私から先手を頂くとしよう」
春夏秋冬は玉座に座ったまま、肘掛けと同じ高さにある、
校舎内の壁がぐねりと動き、不気味な空気を漂わす。突如、壁から鉄骨の様な突起物が飛び出し、二人へと襲いかかった。
それを難なく避けた二人だったが、同じ様な突起物が四方八方から、今にも飛び出そうとしていた。
「次は避けられるか…? さぁ、ショータイムといこう」
「リン! 離れるんじゃねぇぞっ!」
「うんっ!」
まるで串刺しにするかの如く、あらゆる壁から突起物が伸びてくる。それを、体をかわす様に、あるいは飛び跳ね、次々と避けていく二人。
だが、そう簡単には春夏秋冬の攻撃も終わらない。無数の突起物が、止む事無く二人を襲い続けた。
「くそっ! しつけぇぞっ!――ぅあっ!?」
「タケシお兄ちゃんっ!?」
まるで足を引っ掛けるように、地面から少しだけ伸びた突起物が、タケシの足下をすくった。思惑どおりにタケシの体は宙に浮かび、転ぶ様に倒れかける。そこを狙う様にして、頭部に当たる角度で突起物が伸び出した。
「潰れろ、これでジ・エンドだ」
空中で身動きが出来ないまま、為す術が無いタケシ。正真正銘の危機だったが、タケシは笑みを零した。まさに当たる瞬間、タケシの姿は消え、突起物は宙を切った。
「――おまえがなっ!」
「な――」
レヴァの能力により、春夏秋冬の頭上へと転移したタケシは、
「――んてな。甘いわ、小僧」
だが、こちらも後一歩というところで、壁から伸びた突起物が二人の間に入り、剣先が突起物に突き刺さる。そのまま突起物は振り払う様にして、タケシを入口へと吹っ飛ばした。
うまく受け身を取り、ダメージには至らなかったが、また元の位置へと戻って来てしまった。
「しかし、やはりそこの小娘の能力は厄介だ…。まずは、そちらから排除させて貰おうか…」
「えっ――!?」
またも、無数の突起物がリンを集中的に狙う様に壁から伸び出す。だが、その小さな体を捉えるのは容易では無く、幾つもの突起物が空を切る。
「ほほぅ、なかなかうまいものだな。だが、その魔具はどうかな?」
宙を飛んでいたレヴァだったが、突如真下から伸びた突起物が柱の様になり、その行く手を阻んだ。大きく口を開けて火球を放とうとしたが、真横から突起物が襲いかかり、そのままレヴァを挟む様に壁へと叩きつけた。
「レヴァ――ッ!?」
思わず動揺を隠しきれないリンに、突起物が襲いかかる。硬直したリンには避ける事も叶わず、突起物に鳩尾付近を打ちつけられた。
「う――っ!?」
「リンッ!!」
そのままレヴァと同じく壁に挟まれそうになるのを、すんでのところでタケシがリンを引っ張り、事無きを得る。衝撃でリンは意識を失っていた。
「まずは、一人だな。どうする? その小娘を抱えた状態で、私に挑むか? それとも、その小娘を見殺しにするのか?」
「……あんたは、そんなマネをする奴じゃない。人質を取るような姑息な奴だったら、ここまで苦戦なんかしてないさ」
意外なタケシの返答に、ニヤリと春夏秋冬は頬笑んだ。
「いいだろう。その小娘には私も手出しはするまい。そこの魔具も返してやろう」
レヴァを挟んでいた突起物が縮み、押さえが無くなったレヴァが地へと落ちた。どうやら、気を失っているらしい。リンと同じ場所にレヴァも横たわらせた。
「だが、その小娘無しに私に勝てると思っているのか、小僧?」
「うるせぇ、こっからが本番だ。いくぜっ!」
小細工無しに、一直線に春夏秋冬へと走るタケシ。当然の如く、その行く手を阻む様に突起物が伸び出す。
しかし、始めにタケシを攻撃した突起物がまだ残っており、まるで盾となる様にタケシを守った。
それは、一本だけでは済まなかった。二本、三本と、次々に攻撃が防がれていく。
「私の攻撃を逆に利用するとは…。なかなかやるな、小僧!」
「さっさと片付けねぇからだよっ! 思い通りだぜっ! さぁこれでとどめだっ!!」
春夏秋冬へと迫るタケシ。残りあと2歩で
「忘れたわけではあるまい…! この私にも
「うおぉおぉぉっっ!! ぶった斬ってやるっ!!」
「させるものかっ!!」
だがそれは、春夏秋冬も百も承知の事実。だからこそ、この魔具と人工物の塊である学園を使い、タケシと直接戦う事を避けてきた。
そして、それは今も同じ。春夏秋冬は真剣白刃取りをする様に、振りかぶったタケシ自身の腕を押さえた。そのまま握りつぶす様に力を込める。
「ぐわぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁっっ!!?」
ミシミシと両腕から悲鳴のように骨が音を鳴らし、強烈な痛みが脳を刺激する。だがそれでも、タケシは
気が緩んだ方が命を落とす場面。しかし、春夏秋冬の方がここでも一枚上手だった。
急速に真横から伸びた突起物が、タケシの持つ
「な――っ!!?」
あまりの衝撃に気が緩んだタケシ。その隙を見逃さず、両腕を離した春夏秋冬は強烈な蹴りを浴びせた。
「がはぁぁっ!!?」
血を吐きながら吹き飛ばされるタケシ。ごろごろと転がると、起き上がる事は無かった。
「やれやれ…、なかなかしぶとかったが、これで終わりの様だな。まぁこの世界の最後の余興としては、中々に楽しませてもらったぞ。フハハハハッ!」
自らの勝利を確信し、タケシを背に高笑いをする魔王。唯一の脅威と呼べる、もう一つの
「さて、残るは校庭に残るカス共か…、哀れな奴らだ。もうすでに、自分達が敗北しているとも知らずにいるんだからな!」
「……まだだ。まだ…終わっちゃ、いねぇよ……っ!」
振り返ると、そこには震えながらも立ち上がる男がいた。
「……何故だ。何故そこまで、このくだらん世界を守ろうとする? この世界に一体どんな価値があるというのだ?」
「……あんたに昔、なにがあったかなんて…知らねえ、知ったこっちゃねぇ。だがよ…、俺の好きな奴らを、愛する人を悲しませる奴を、俺はゆるせねぇよ…!」
脳裏に浮かんだのは、いつもの学園の風景。微笑む同級生達。そして――鉄球を振りかざす少女。トウヤが、ユイが、マキノが望んだ世界を、タケシも胸に宿している。
それ故に立ち上がる。何度でも、何度でも、この世界を守る為に。
「全く貴様とは相容れんな。だがどうする? その折れた刀身で何が出来るという?」
「……うるせぇよ、よけーなお世話だってんだ。それに俺は元々、剣なんか使ったことねぇーんだよ。こっちの方が似合ってらぁ!」
持ち手のみとなった
それに呼応する様に春夏秋冬もまた、戦闘姿勢を取る。今度は学園など使わず、真っ向からの勝負を行うつもりだった。
それを、タケシも相手の瞳から感じ取った。持ち手のみとは言え、この部分も
「あんたも、結構負けず嫌いなんだな」
「フッ、お前の親父とも、よく殴り合ったのを思い出す」
お互いに奇妙な笑みを浮かべると、最後の激突が始まった。
何も考える事無く、ただ一直線に向かい合い、渾身の拳を突き出す。
「うおりゃあぁあぁぁぁぁぁぁあぁっっ!!!」
「ぐおおぉおおぉぉぉおおぉおおぉっっ!!!」
ぶつかり合った拳と拳。お互いに引く事無く、拮抗した状態が続く。
タケシの腕は、衝撃で血管から血が噴き出し始めた。
春夏秋冬の腕は、魔力がかき消され、肉体強化がはがれ始めた。
拳と拳。力と力。意地と意地。互いの望む世界。
強い想いの乗せた拳に、押された方が敗者となる。
片や自分の愛する世界を守ろうとする者。
片や自分が愛せなかった世界を滅ぼさんとする者。
お互いの意地はその拳に乗せられ、相手に伝わっていく。
だが、想い虚しく、徐々にタケシの腕が押され始めた。
先のダメージに加え、今も肉体的なダメージをタケシは受けていた。もうすでに腕はボロボロになっていた。
「くっそおおぉおおおぉおおぉおおぉっっ!!」
「小僧っ!! これで終わりだぁあぁぁぁぁぁあぁっ!!」
「いいえ、終わるのはあんたよ。春夏秋冬 神っ!」
突如、二人の空間に割り込んできた人物。タケシからは背後から声が聴こえてきたが、その聴き慣れた声は、相手が誰だか分かるのに1秒も掛からなかった。
「マ、マキノっ!? どうして――!?」
「あんたの手助けよ、タケシ。さぁ、二人で勝つわよっ!」
そう言ってタケシを支えるようにして、マキノは両手をタケシの背中に付けた。
「フン、何をしても無駄だ、小娘っ! 貴様の魔具は私が破壊した! 小僧と共に果てるがいいっ!!」
「フフッ、魔具は無いけど、もっとイイモノならも持ってるわよ。私のお気に入りがね♪」
それは、シュウヤからリンへと手渡され、寝ている彼女のポケットからマキノが勝手に拝借したもの。いや、始めからマキノには、ここにそれがある事が分かっていた。
それをいとも簡単にタケシの背中に装着すると、タケシから両手を離し、手に持ったスイッチを押した。
「ロケットブースターよ♪」
「うおおおぉおぉぉおおおぉおおぉおおおっっっ!!!」
「な、なんだとぉおぉぉおおぉっっっ!!?」
急激に襲いかかるタケシの拳に、春夏秋冬は為す術無く押し負け、そのまま拳は彼の胸へと叩きつけた。
「ぐがはぁぁあぁぁぁっっっ!??」
「うわぁあぁあぁぁあっっ!! 止まんねぇぇえぇえぇっ!!!」
その勢いのまま、タケシ自身にも止める事が出来ない力で、春夏秋冬を押し走って行く。
そのまま玉座へと向かい、タケシは石柱に埋まった
「ええぇいっ!! まとめて、ぶっ飛べぇええぇえぇぇえええぇっ!!!」
春夏秋冬諸共に石柱を殴り、もう一つの
そこで、ロケットブースターは停止した。春夏秋冬から腕を引き抜くと、彼は気絶している様だった。
手に握った
戦いは終わった。マキノが参戦した事により、窮地を脱したタケシが勝利したのだ。
「これで…終わった、のか?」
「……いいえ、まだよ。タケシさっさとここから脱出するわよっ!」
そう言ってリンを起こし、レヴァを目覚めさせるマキノ。何か、これから起こる事を危惧している様な雰囲気があった。
「あんたはそっちの私に連れてってもらって。私はこいつを持ってくから」
気絶している春夏秋冬を抱えるマキノ。だがどう考えても馬鹿力とは言え、この男を背負って出て行くにはきつそうだ。
「おい、マキノ。さすがに無理だろ。大体お前、どうやってここに来たんだ?」
「降りれば分かるわよっ! ほら、あんたもさっさと転移する!」
「は、はいっ!」
出会った当初に脅されたのがトラウマになっているのか、リンは素直にマキノの指示に従った。それが未来の自分の姿であると知らずに。
リンと共に地上へと降りると、タケシは皆の顔を見てホッとした。どうやらみんな無事らしい。
「おーいっ! 学園長倒してやったぞぉーっ! これで戦いは終わりだなっ!」
タケシの歓喜の大声が校庭中に響き渡る。だが、その声に応ずる者は誰もいなかった。
皆、学園を見上げ、茫然と立ち尽くしている。
「なんだよ、これ……っ!?」
「こんなの、聞いてないわよ……?」
「なんて事でしょう……っ! まさか行き場を無くなった魔力が、暴走しているのですか…っ!?」
リーですら、驚愕した表情を見せている。思わずタケシも振り返ると、そこには幾つもの風船ガムの様に膨れ上がった学園があった。まるで爆発寸前である。
「なんだ、どうなってんだよっ!!
「あれだけの魔力で動いていたこの化物が、心臓を抜かれたらどうなるか? 人間に例えてみれば、当然血が噴き出すわよね?」
いとも簡単に、冷静にマキノが答えた。気絶している春夏秋冬は、校庭に伏せている。
要するに、この学園はいまにも爆発するという事を、タケシは理解した。
トウヤは動揺しながらも、冷静に状況を分析した。
「リーさん! これが爆発したら…どうなりますか?」
「……おそらく、この世界は壊滅的打撃を受ける事になります。そこは、荒廃した混沌とした世界。我々とも、春夏秋冬が望んだとも違う、全く別の結果になる事でしょう」
「そんな……っ!!?」
誰もが予想だにしなかった結果に、全員が絶望という名の衝撃に包まれる。いや唯一人、この中でこうなる事を知っていた人物がいた。
「私が…止めてみせる」
「マキノ……っ!?」
静かに、そう告げると彼女は学園へと向かって歩いて行く。
「おい、待てよ、マキノ! いくらなんでも、村正(改)を持ってないお前じゃ――」
「いるわよ、村正。長い間、閉じ込めちゃってたけど、元気そうにしてて良かった」
「……へ?」
突如、勢いよく降りてくる、大きな蒼白色のドラゴン。その風圧に体が飛ばされそうになるのを堪える。
大きな僕を従えたマキノは、久し振りに会う家族に柔らかい笑顔を見せた。
「レヴァ、元気そうで嬉しいわ」
ドラゴンは自ら頭を下げ、マキノはその大きな頭を撫でる。ドラゴンもどうやら嬉しが
っているように見えた。
春夏秋冬との戦いの際、村正(改)は破壊された。だがそれは、外殻である鉄球部分だった。中に眠っていたレヴァは、そうして目覚め、今ここに現れていた。
レヴァの能力によって、マキノもタケシと同じく、学園の中へと空間転移していた。
「お前、まさか記憶が――っ!?」
何時の間にか目を覚ましていたシュウヤが、マキノの異変に気付く。彼女の動きは全て、何かを予見していた。
「……えぇ、そう。全て思い出したわ。私のいた世界が、どうなったのか…」
「じゃあまさか、今のこの状況も、お前は知ってるんだな?」
「そうよ。私は知ってる。私のいた世界とは若干経緯が違うけれど、たどり着く未来は同じ。
未来の世界で爆発寸前の中、シュウヤとリンは空間転移によって逃げた。
かろうじて生き延びる事が出来たが、シュウヤは仲間を見殺しにした自責の念に駆られ、体調を崩し病床に伏せてしまった。制限された体ながらも、リーに教わった技術で村正に外殻とブースターを取り付け、村正(改)を創った。そして、死んだ。
残ったのは、荒れ果てた大地に佇む一人の少女と、一匹の竜。それが、マキノの知る最悪の結末だった。
「そんな……っ!? じゃあ俺が
「いえ、それは無理よ。
「……じゃあもう、打つ手無しって事ですか?」
黙っていたユイが、ポツリと呟く。彼女が持つ
「……そうでもないわ。だって、私がここにいる。その為に私は未来から来たんだから」
ある決意を胸にマキノは、学園へと向かって行く。その後ろ姿は、もう手に届かない場所へ行ってしまいそうだった。
ハッと彼女のやろうとしている事に、ネネは気付いてしまった。
「ま、まさか! この学園ごと空間転移するつもりなのっ!?」
「そんなの無茶だっ! 大体、どこに転移するって言うんだっ! どこだって結果は一緒じゃないかっ!」
思わず大声を上げるトウヤ。それ程までに巨大な爆発なら、場所がどこでも必ず悲劇は生まれる。だが、彼は気付いていたのだ。彼女がどこに行こうとしているのか。
「もしかして…未来…ですか……?」
ユイも気付いてしまった。それ故に、トウヤが発したく無かった言葉を、自然と口から零れ出してしまった。
世界が違うならば、今この状況を打破する事が出来るだろう。――マキノという命を犠牲にすれば。
他に打開策も無く、やり切れない気持ちと、どうしようもない気持ちが合わさり、動く事が出来る者はいなかった。拳を握りしめ、歯を食いしばり、黙って状況を見守る事しか出来ない自分に、苛立たしさと虚しさが込み上げてくる。
「……俺はやっぱりそんなん認めねぇ……認めねぇぞっ!!!」
唯一、タケシだけがマキノを追い掛ける。すでに、マキノは校舎へと辿り着き、転移をする為の準備をしていた。
「マキノぉぉぉおおおぉぉぉおぉぉおぉっ!!!」
「――ッ!? タケシっ!?」
猛ダッシュで向かってくるタケシに、思わず手が止まる。だが、ここでやめるわけにはいかない。もう、あんな世界を創ってはいけない事を、誰よりマキノ自身が理解していた。
「待ちやがれっっ!! 俺はっ!! そんなの、許さねぇぞぉおおぉっ!!」
ぎゅっと唇を噛み締め、振り向きたい気持ちを抑える。マキノ自身も、出来る事ならこの世界で生きていたかった。しかし、誰かが。誰かが、世界を救わなければならないのだ。
「ハァ、ハァ――ッ!? マ、マキノ! 待てっ! まだ行くなっ!!」
転移の準備は整った。後はレヴァに命ずるだけだ。そうして、この世界と、愛する人たちとさよならをするのだ。
「マキノぉぉおおおぉぉおおっっ!!!俺はぁあぁあっっ!!」
さぁ、行こう。悲しみが訪れて行けなくなる前に、お別れをしよう。
さぁ、転移を始め――――
「お前の事があぁああぁあっ!! 大っっっ好きだぁあぁぁあぁぁっっっ!!!!!」
「ッッ!!!??」
タケシの校庭中に響く大音量の告白に、誰もが目を丸くした。
決意を固めていたマキノも、わけがわけらず手を止めてしまった。そして、絶対に振り向くまいと心に誓った掟を破ってしまった。
そこには、ぜぇぜぇと息を切らす最愛の人が立っていた。
「馬鹿…っ! そんな事言われたら、行けなくなっちゃうじゃない……っ!」
思わず目尻に涙が溢れ出す。零れた雫が幾つも頬を伝い、地へとポロポロと落ちていく。それは、我慢していた気持ちが次々と溢れ出ていた。
「あたしだって…っ! みんなともっといたいっ! トウヤにいっぱい怒られたりっ! ユイといっぱい話したりっ! それにっ! それに、もっとあんたと一緒にいたいよぅ…。でも、ダメなの。あたしじゃなきゃ、この世界は救えない…。この世界を救う事が出来るのは、あたしだけなのっ!!」
溢れる涙を流し、顔面をぐしゃぐしゃにしながら、マキノは本心をぶつけた。
タケシはそっと彼女を優しく包み込んだ。ドキッとしながらも、マキノは彼の体を抱き締めた。
「うっうううっ…うわあああぁぁぁぁああんんっ!!」
タケシの胸の中で顔をうずめ、マキノは大声で泣き始めた。
みんなともっと一緒にいたい。もっと生きていたい。強い気持ちがタケシにも伝わって来る。
ひとしきり泣くと、マキノは静かになった。まるで、もう別れの時間が来てしまったかの様に。
「……あたし、タケシには感謝してるんだよ? クラスで一人ぼっちだったあたしを、あんたは見つけてくれた。タケシに出会えたおかげで、私は友達が出来た。親友が出来た。愛する人が、出来たんだよ」
「マキノ……っ! ダメだっ! 行くなっ!!」
そっとタケシから離れると、マキノはつま先を伸ばし、タケシの口元へと顔を寄せた。
訪れる静かな一瞬。突然の事だったが、タケシには永遠にも感じられた。
顔を離すと、マキノは真っ赤に照れた顔で、目を泳がせていた。そして―――
「さよなら、だよ」
「マキ――ッ!?」
止めようと伸ばした手は宙を掴み、そのままマキノは学園に手を触れた。
「レヴァっ!! 空間転移よっ! 座標は私の元の未来の世界! 頼んだわっ!!」
大きなドラゴン――レヴァは呼応し、天に向かって吠えた。すると、レヴァと学園、そして、マキノの体が輝きを発し始める。
お兄ちゃん。この世界で何も知らない私を助けてくれて、ありがとう。
トウヤ。いつも叱ってくれて、ありがとう。
ユイ。いつもさりげなく見守ってくれて、ありがとう。
みんな。あたしと出会ってくれて、ありがとう。
そして――タケシ。あたしに恋を教えてくれて、ありがとう。
マキノの体は、少しずつ消えていった―――
「だから行かせねぇって言ってんだろっ!!」
突然バッと奪われるように腕を掴まれ、空間転移を阻止されたマキノ。
「死んでもこの手は離さねぇぞっ!!」
「え? ちょ、え? そんな――っ!!?」
学園の爆発まで、あと数十秒―――!!
あとがき
本当に申し訳ございません。
本当に申し訳ございません。
by絶望君