10秒。
人生において、ほんの端くれでしかない程のわずかな時間。
スポーツでは逆転も狙えるかもしれないし、勉強では単語1つしか覚えられない、小説を読むにしても1ページも読みきれないかもしれない微々たる時間。
だがこの時この場合では、世界を終わらせる事も、世界を救う事も出来る時間と化していた。
終焉まで、後10秒。
第三十五話 帰るべき場所へ
タケシがマキノの転移を止めようと手を掴んだと同時。
マキノの拳が、タケシの鳩尾にめり込んでいた。
「―――ごめん、やっぱり皆を巻き込めない」
たまらず、地面に倒れ伏すタケシを一瞥し、マキノは学園へと走り出す。
「ありがとう、楽しかったよ」
行くな、行くな、行くな!
殴られた衝撃で声も出せず、体も動かず、タケシはひたすらに声になっていない叫びを上げ続けた。
マキノのレヴァが輝き始め、周囲の空間が歪んでいく。
歪んでいく世界を前に、タケシは確かにマキノの声を聞いた。
これ以上は無いほどに、はっきりと。
「さよなら」
別離の声を。

「…確認させてください、シュウヤさん」
周囲が呆然とマキノたちのやりとりを見ていた時、ユイはシュウヤに質問した。
「レヴァの空間転移はリンちゃんでも可能ですか?」
「…駄目だ、あくまでマキノでしか転移は不可能だ」
シュウヤは悔しそうに俯いた。
魔具は同じでも、マキノとリンでは積まれていた経験が違う。
今、レヴァで時間移動するようリンに伝えても、リンでは時間移動はおろか、通常の転移すらままならないだろう。
残り10秒で未来と過去を往復など出来ないし、ましてやリンを犠牲にも出来ない。
打つ手は無い、とシュウヤは答えた。
「分かりました」
もう質問は終わったと言わんばかりに視線をマキノ達に移すユイ。
マキノはレヴァに命令し、転移を行おうとしている。後数秒で彼女は未来へ飛び、そこで果てるだろう。
―――おあつらえ向きじゃないですか、とユイは思った。
「何をするつもりだ、佐藤ユイ」
「何をって…決まっているじゃないですか」
そう言ってのけたユイの手には、新世界の門が。
「新世界の門では無理だ!」
「無理は承知です」
即答するや否や、ユイは新世界の門を開いてある事を願う。
限界が見えている魔力と体力を振り絞り願いを投影する。
(新世界の門の発動が先か、転移が先か―――――――)
新世界の門が輝き、ユイの願いがページに書かれ、願いが現実を歪ませる。
(今まで負けっぱなしの人生だったけど、今回だけは、勝たせてもらいます!)





「……あれ?」
確かに、レヴァの能力は起動した。
起動し、自分と学園は未来へ飛び、そこで学園は爆発して自分は死ぬはずであった。
なのに。
「なんで…ここにいるの?」
彼女が立っていた場所、そこは。
決別したはずの、タケシ達が居る世界だった。
振り向くと起き上がろうとしているタケシと呆然とこちらを見ている仲間の姿がある。
無いのは学園だけであった。
「マキノォォォォォ!」
「ちょっと……ええい、鬱陶しい!」
こちらに駆け寄るタケシをカウンター気味に思い切り殴るマキノ。
ぐしゃりという音と共に、タケシは地面に叩き付けられる。
痛え、夢じゃねえ!と叫んでいるタケシを無視し、マキノはレヴァに尋ねた。
「レヴァ、確かに転移はしたのよね?」
マキノの問いに対し、レヴァは頷く。
そうすると、転移自体は確かに実行された事になる。
じゃあ、誰が?どうやってマキノを助けた?
誰からともなく出たその質問に、一人が答えた。
「私が……やりました」
そう言って立ち上がったのは、佐藤ユイであった。
「え、ちょっとまって?新世界の門だと学園には干渉出来なかったんでしょ!?」
マキノの発言に周囲がどよめく。
爆弾と化した学園は魔王の力で、新世界の門を含む並大抵の魔具では手出し出来なかったはずである。
「確かに、新世界の門では学園に干渉は出来ません。でも、他の魔具の『ルール』には干渉が出来たのです」
残り時間10秒という極限状態の中で、ユイが見つけた答えはあまりにも他人任せなものであった。
「だから、私はこうしました。『空間転移は、自分自身は転移できない』 『転移するのは他のものだけ』、と」
現存する魔具で学園に唯一干渉できる魔具、レヴァの性質そのものに対しユイは新世界の門を発動したのである。
『マキノが自分を犠牲にしてまで未来に学園を転移させる』その事を計算に入れての発動で、友達の思いを利用した最低の行為だとは思いますが。
と、ユイは続ける。
「魔具の『ルール』に干渉できるかは分かりませんでしたが、こうして発動した所を見るとやろうと思えば何とかなるものですね」
ふう、と一呼吸入れるユイ。
「と、すると……」
「私たちは……」
タケシとマキノは、未だ信じられない面持ちでユイを見やる。
ユイはその問いかけに、誇らしげに答えた。
「ええ、私達の勝ちです」
次の瞬間、校庭は歓喜の渦に包まれた。
ある者は安堵からかその場にへたり込んだり、またある者は絶叫しながら喜びの咆哮を上げた。
マキノは安堵から崩れ落ちかけたがタケシが抱きしめるように支え、マキノも泣きながらタケシを抱きしめ返した。
その姿を見たユイは、ほっと一息をつくとまだ吹き飛ばされていなかった校庭の塀に寄りかかり、重たいため息を吐く。
ユイの体力と魔力は、すでに新世界の門に食い潰されており、立っているのもやっとであった。それに気がついたトウヤが、満身創痍のユイを支える。
「何やっているんですか佐藤さんは!また無茶な発動して、自分だけで何とかしようとして!」
「全くです。おかげでまた入院ですよ、私」
新世界の門を無理やり発動した為、皮膚や筋肉がずたずたに裂けた右手をひらひらさせながら、それでもユイは笑った。
強がりでもなく、作り笑顔でもなく。
それは事を成し遂げた、勝者の笑顔であった。
「………今気づいたんですが、佐藤さん」
「何ですか?」
トウヤは眉間にシワを寄せ、どう表現すればいいのか迷うような表情をしながらぽつりと呟いた。
「あなた…もしかして馬鹿ですか?」
「違いますよ、私はですね」
即答するユイ。
ユイは未だに抱きしめあっているタケシとマキノを見ながら、笑顔で続けて言った。
「大馬鹿者です」
byキング